2010年12月29日水曜日

見つめる

私はA子ちゃんと撮った写真の中で、この写真が一番好きだ。
彼女の脆さも強さも共に、その表情に表れている気がして。

彼女のような人が、この日本に、どのくらいいるだろう。
世界で見たら、一体どのくらいに数は膨れ上がるんだろう。

それでもみな、それぞれの位置で、それぞれに必死に今を生きている。
闘っている。
一瞬一瞬を、生き延びるためにただひたすら、闘っている。

そんな彼女たちの存在が、私の背中を押す。
まだいける、まだ大丈夫、まだもう少し、と。
だから私は、倒れ付すたび、もう一度と立ち上がり、歩き出す。

こうした犯罪が皆無になることは、在り得ないだろう。人間が人間である限り、人間はこうした罪を繰り返すに違いない。でもだからこそ。
彼女たちの生き延びて欲しいと私は願う。そうしたことを経てもあなたの魂は光り輝いているのだよ、と、ただそれだけを伝えたい。
そう、どんな重たい枷を引きずることになっても、その胸にある魂の玉は、間違いなく光り輝いているよ、と。

2010年12月27日月曜日

ひとつの影

光と影、というと、たいてい、光はポジティブなイメージで、影はその反対、と言われる。
でも本当にそうなんだろうか。
光の中に影があるからこそ、光はさらに輝く。影の中に光が射すからこそ影の色濃さが浮かび上がる。
両方が両方をそれぞれに支えあっている。
だから私には、光と影というのは、一組で存在しているものだ。どちらかだけでは成り立たない、両方あるからこそ互いを光り輝かせる、そういう存在だ。

あの撮影は確か冬の終わりだった。
だから影も細長く、アスファルトに伸びていて。
私はふと、彼女の足元から伸びるその影に、シャッターを切った。

彼女はその時後ろ向きだったから、私がシャッターを切ったことなど、気づかなかったかもしれない。
でも私には、彼女のその無防備な背中が露に見えており。だからこそ、シャッターを切らずにはおれなかった。

か細い肩、折れそうに細い腕。それらがこれまで背負ってきた荷物はどれほどのものだったろう。
それを思うと、胸が詰まる気がした。
でも、言葉なんて、何の役にも立たず。
だから私はただ、黙っていた。

今日もきっと彼女はこの地平の何処かで生きていて、光と影の中、佇んでいることだろう。どうかそんな彼女にとって、光と影が優しい存在でありますよう。
私は祈る。

2010年12月26日日曜日

ひとり

彼女はひとりで横浜までやってきた。
西の西の町、遠く離れた町から。或る日突然。
最初彼女を見た時、小さな小さなハリネズミのように見えた。全身の針を逆立てて、必死になって外界から身を守ろうとするハリネズミのように。

写真を撮ってください。私の写真を。
そう言って、私の前に現れた彼女は、ゆるぎない瞳を持っている女の子だった。
ここに来るまでに、どんな決意をしてきたのだろう。
私は彼女のその瞳を見つめながら、そのことを思っていた。

近親姦に悩まされ続けた時間。そこから這い出よう這い出ようとしても蟻地獄のようで、繰り返される時間。それでも彼女は、それらの時間を生き延びてきた。
生き延びてきた強さが、彼女には在った。

でもそれは、裏返せば、どれほどに孤独だったろう。
ひとりきりの闘いを、ずっとずっと続けてこなければならなかった彼女。
それを思うと、私は胸が引き裂かれる思いだった。

この写真を撮った場所はもう、今は全く違う風景に変わっている。
空き地だった場所にはビルが建ち、彼女と訪れた時の様子は片鱗も残っていない。
でも。
私の脳裏には、まざまざと今でも浮かぶ。
ひとりきり、闘い続ける彼女の姿が。凛と立つ、彼女の姿が。

2010年12月21日火曜日

終章

物語にはいつでも、終わりがある。
それは写真にもきっと、同じ。

波に飲まれてずぶ濡れになった私と、同じくずぶ濡れのモデルになってくれた彼女と、ぶるぶる震えながら焚き火を囲む。
冬の海は、入っているときはとてもあたたかい。ぬくい。でも一度海から上がると、とんでもなく寒い思いをするのが常だ。この時もそうだった。震えながら、歯をかちかち言わせながら、それでも私たちは何となく、笑っていた。

今日できることは全部やった。
そんな気がしていた。
だから笑えたんだろう。自然に。
笑っていたんだろう。

気づけば夕暮れに近い頃合になっており。
私たちは砂浜で着替えながら、海を見ていた。

どんどんどんどん深く濃くなってゆく海。
まるでそこだけ一段二段、闇が深いかのような。

その時、はっとした。終わりを撮らなくては。と。
その時の私たちにとっての終わりは何だろう。

それがこの一枚。
《地平Ⅱ》の写真たちは、この写真で終わりを迎える。

2010年12月17日金曜日

私は海に行くと、ついじっとしていられなくなる。海に引き寄せられてしまう。引き寄せられて、おのずと入ってしまう。それが冬であっても、いや、冬なら尚更に。

水平線の辺りで燃え上がる雲。低い音を立てて砕ける波。その日の波はまるで怒っているかのようで。
何処までも何処までも、揉み荒れていた。

カメラを持ったまま、一歩、また一歩。引き寄せられるようにして。
私は気づけば、胸の辺りまで海に沈んでいた。カメラを濡らさぬように、ということだけは頭の中はっきりと意識があったが、それ以外は何もなかった。
あるのはただ、
海と私と。それだけだった。

あぁいっそこの海に溶けてしまいたい。
何度思ったことだろう。
でもそのたび、溶けることのできない固い確かな肉体を思い知らされるばかりで。
でもそれは、哀しい、わけではない。
どちらかといえば、多分、嬉しい。
私はまだ生きている、生きなければならないんだ、と、言われているようで。

結局その日、私は頭から大波を被った。咄嗟に振り上げた腕の天辺にはカメラが在り。
不思議とカメラは、殆ど濡れずに済んだ。
でも正直言うと。そのまま泳いでしまいたいくらい、気持ちよかった。

2010年12月15日水曜日

人魚

昔絵本で読んだ、人魚の物語。
それはどんな姿をしているんだろう、それはどんなふうに泳いで、また、陸に上がるんだろう。全てが不思議だった。何もかもが不思議の中にあって、でもだから胸がどきどきした。

その日の撮影ももうじき終わりにしようかと思っていた頃。
彼女が海に入って行った。
そして。
波の届くところにそのまま、横になった。

人魚だ。

そう思った。
彼女の長い黒い服が波に洗われ、揺れて、再び彼女の足に絡みつく。
彼女はただじっと横たわっており。それは誰にも触れられないほど静謐な空間で。
私はファインダー越しに、見惚れた。

耳を澄ますと、どどう、どどう、と繰り返し響く波の砕ける音。
でもその音さえが、彼女の横たわる場所から透明になっていくような、そんな錯覚を覚える。

私はあの日、陸に上がったばかりの人魚を、見た。

2010年12月13日月曜日

ガーベラ

湯船に浸かっているMちゃんを撮る際、花がほしいと思った。ちょうど束のように買ってきたガーベラがあったのを思い出し、どかどかと湯船に浮かべた。すると、Mちゃんのやわらかい曲線をもった体と花とが、ちょうどいい具合を醸しだしてくれた。
撮りながら、自分が男だか女なのだか、全然分からなくなっていく感じがした。でも全然いやじゃなかった。気づけばMちゃんはすっかり湯だっており。慌てて撮影を切り上げた。

その後、残ったのはガーベラ。
このままにしておくのはあまりに可哀相だと、私たちは一花一花掬い上げた。
そうして彼女の寝床に、そっと横たえた。

お湯にあてられて、すっかりくたびれた花。でも。
そんな中にあっても、ガーベラという花は凛としている。
決してひしゃげたりしない。何処までも何処までも真っ直ぐであろうとする。

まるで十代の少女のようだ、とその時思った。

こんなふうに何処までも真っ直ぐであれたら。そう思うが、年を重ねる毎に人は覚えてゆくのだ、避け方、転び方、起き上がり方。様々な、生きるための知恵を。蓄えてゆくのだ。そうして幸か不幸か、それなりに器用になってゆく。
生きる、ということに。

人に与えられた時間は、もしかしたらちょっと長すぎるのかもしれない。長すぎるから、途中で撓んでしまったり、折れてしまったりするのかもしれない。

でもそれが、人に与えられた時間ならば。
精一杯、生きるだけだ。撓もうと折れようと、そのぼろぼろになった体躯を引きずってでも、死に向かって一直線、生きるだけだ。
そんなふうに必死に生きた誰かの道の痕には、きっとたくさんの花が咲くに違いない。たとえばこのガーベラも、そんな花のひとつに違いない。

2010年12月10日金曜日

「視線/私線」より

壊れた。昨日まで座っていたはずの椅子

壊れた。プラットホームに喰い込んだ爪先

壊れた。逆立ちを始めた腕時計

それは今日も、

今日も、今日も、

壊れる、壊れ続ける、

私を取り囲んでいる事象は

妄想に侵蝕され、

赤い靴を履いた踊り子が描く

孤線に沿って、今、

日没が 始まる。

2010年12月8日水曜日

横たわる瞳

まだ私が、モノクロの世界で生きていた頃。
横になることがとてつもなく難しかった。眠るために横になろうと思ってもそれができない。横になることが怖いのだ。無防備な体勢になるのが、とてつもなく怖い。

あの日、私は少なくとも、無防備ではなかったはずだった。それでも襲われた。足掻いても足掻いても、加害者の体はコンクリの壁のように重く、ずらすことさえできなかった。喉から声を出そうとしても、出る声は絞り出された滓かのような、しゃがれた声で、何処にも届きはしなかった。助けてくれるものなど、どこにもなかった。

あれ以来、横になる、という行為が私には難しい。

私の世界にも色彩が徐々に徐々に戻ってきて、光溢れる世界に戻ってきて。それでも。闇の中横たわる、それにはとてつもない抵抗感を覚える。
いや、もうここは安全な場所、ここは私の部屋、誰も入ってきやしない、守られた場所、自分に何度も何度もそう言い聞かせるのに、体は勝手に足掻く。

そうして知った。横になることの重要さ。体を休めることの大切さ。それがなければ、人は動き続けるなんて無理なんだってこと。

Mちゃんの瞳は時々からっぽになる。がらんどうになる。
この時もそうだった。からっぽのまま、かんっと見開かれ、横たわっていた。その時どきっとした。まるで、あの被害を受けた後の、自分の目を見ているかのような気がした。
きっとこんなふうに、空っぽだったに違いない。そう思えた。

2010年12月6日月曜日

人はどんな気持ちの時、涙を流すのだろう。
哀しいとき、嬉しいとき、辛いとき…。
あの時彼女が流した涙は、何色だったんだろう。

夜明けを待って撮り始めた。まだまだ冬の気配が残る季節、薄着の彼女は鳥肌だって、ぷるぷる小刻みに震えていた。
それでも私たちは何だろう、満たされていた。
光に。思いに。

ほろり。
彼女がまた、涙を零した。
ほろり、ほろり。
数粒の大きな大きな涙の粒が、彼女の頬を伝って流れ落ちる。

私はそんな彼女の横顔を、美しいと思った。

私と彼女はそうして、やがて別々の道を往くことになる。
もう二度と、彼女と会うことはないだろう。でもだからこそ私は祈る。
彼女が今その場所で、幸せであることを。満たされてあることを。そりゃぁ背負う荷物はいつだってあるけれど、それでも、生きていくことを諦めていないことを。
ただ、祈る。

2010年12月3日金曜日

横たわり、

その日、午前三時頃から私たちは動き出した。まだ真っ暗闇の中。起き出して、タクシーに飛び乗って、目的地へ。

彼女が何となく手持ち無沙汰でいるのを見て、私は、枕でも持っていく?と尋ねた。
すると彼女は嬉々として、それを抱いた。

朝陽が出るか出ないか、それを見定めて私たちは撮影を始めた。
林立する木立ちの中、てくてくと歩きながら、私は折々にシャッターを切っていた。

彼女がふっと、立ち止まり、徐に抱いていた枕を土の上に置いた。そしてくぅっと小さな息を立てて、目を閉じた。
それがあまりにかわいくて、私はしばし見入っていた。

私の家に逃げ込んでくるまで、彼女は眠れない眠れないと繰り返し言っていた。
でもうちでは、娘以上に大きな寝息を立てて眠ってばかりいた。まるで今まで足りなかった睡眠を、一気に取り戻そうとする勢いで。

眠りは、とても必要なものだ、と今の私なら分かる。眠りがないと、一日が終わらない。一日の区切りが曖昧になって、昨日と今日が一続きになってしまうことさえある。
そうすると疲労がどっと襲ってきて、何をやろうにも気だるく、動きたくなくなる。

どのくらいそうして彼女は横たわっていただろう。
冬の朝。ぐっと冷え込んでいるにも関わらず、彼女はくう、くぅっと静かな寝息を立てていた。

そんな彼女を守るように、朝陽は何処までもやさしく、彼女に木立に、降り注いでいた。

2010年12月1日水曜日

闇の中の向日葵

その日Mちゃんとの撮影で、花をたくさん用いた。その花たちは使用後バケツや花瓶にどっさり入れられて、私の部屋に置いてあった。

ふと転寝から目が覚めて見やると、闇の中、黄色い黄色い向日葵が、ぼんやり浮かんでいる。まるで自ら発光しているかのような、そんな具合に、闇に浮かんでいる。
私は思わず、その花に見入った。

昼間の光の中では決して気づかなかった、この、向日葵自身の持つ光。それはしんしんと沈黙の中に在りながら、堂々とした光だった。

決して周囲を驚かすことなく、侵すこともなく、淡々とそこに佇み。佇みながらその存在感をいっぱいに現わしている。
私はその姿に、魅了された。

闇の中、ただひたすらシャッターを切った。どう撮れているかなんてその時考えなかった。考える隙間なんてなく、ただ向日葵と対峙するために、私は必死にシャッターを切っていた。

花と対等でありたいなんて思ったのは、それが初めてだったかもしれない。

気づけば夜明けが近づき。すると不思議なことに、向日葵の光は徐々に徐々に弱まってゆき。とうとうふつっと途切れた。

あれは何だったのだろう。闇の中で発光する向日葵。
まるで、これが花本来の力なのだと主張するかのような光だった。

2010年11月29日月曜日

掠れた紫陽花

紫陽花の花というのは不思議な花で。花びらが散り落ちることがまずない。
じゃぁ椿のようにぽてっと花が丸ごと落ちるのかと思えば、それもない。
季節を越えて、花はドライフラワーのようになって枝にくっついている。

夏も終わりの頃、川沿いの道に紫陽花が群れをなしていた。花はもう時期が終わり、すっかり荒廃していた。撒き散らされる排気ガスをたっぷり浴びて、花の色はもうほとんど失われ、汚れに汚れた姿でそこに在った。

手を伸ばそうと伸ばしかけて、私はふいに手を引っ込めた。
触ってはならない、そんな雰囲気が、花には在った。
もう花の時期はとうの昔に終わって、いってみれば枯れた花だというのに、それでもその存在感は大きかった。私はまだ終わりじゃぁない、と、まるで厳然とこちらに申し立てているかのように見えた。

もとはピンク色の、かわいらしい花だったのだろう。その片鱗が花びらの片隅に残っている。でも今はもう、すっかり汚れた、荒れた姿、だというのに。
花は主張していた。私はまだ終わっていない。終わっちゃいない。触れてくれるな、と。

どのくらいそうやって、花と対峙していただろう。私は持っていたカメラを構え、花を切り取った。
後日、プリントしながら、思った。
これが彼らの品格なのだ、と。
どんな姿になろうと、自分は花だという品を失わない、その姿勢が、何処までも何処までも貫かれており。

こんなふうに私も立つことができたら。
思わずそう、思った。

2010年11月26日金曜日

立つ人

もうそろそろ、終わりにしようか。
そんな頃だったと思う。
彼女がすっと、波打ち際に立った。

少しずつ少しずつ荒れ始める海の様子。
その、波打ち際に立った彼女を、取り囲むように流れる波。
まるで波と一体と化すかのように、彼女はそこに立っていた。

ピントも何も確認する暇なく、私はシャッターを切った。
今この瞬間、が、欲しかった。
他のどの瞬間でもない、今この瞬間。
彼女と世界とが一体になった、その瞬間を。

その時、打ちつける波の音は消え、びゅうびゅう吹き荒ぶ風の音も私の耳から消え失せた。あるのはただ、彼女の立ち姿。
世界と一体と化した、彼女の立ち姿。

立っている人の姿を、これほど美しいと思ったことは多分これまでなかった。
かわいいとか、きれいとか、そんなんじゃない。ただ美しいのでもない。
凛と、美しい。
そう思った。

あんなふうに、いつも世界と一体になって歩いていけたら、どれほど素敵だろう。
いつも思う。
世界と溶け合いながら、かつ、その足で立つということを忘れずに歩いていけたら、どれほど素敵だろう。

世界がどうやっても、遠くて遠くて、かけ離れて、もう手の届かないところにしか存在しないという時期があった。世界と自分との緒は切れてしまったのだ、と、そう思った。でも。
世界はいつだって開けていて。私が手を伸ばしさえすれば、届くところに、在ったのだ。そのことを、ずいぶん時間を経て、知った。

私は確かにこの、砂粒ひとつにも満たない存在かもしれない。これっぽっちの存在かもしれない。でも、それでも、この世界を構成している分子の一つ、細胞の一つであるということ。私がいなかったら、世界もまた違っているということ。
それだけ私もまた、確かな存在なのだということを。

気づくまでに時間がかかった。

気づいて、そうして日々を営むようになって、世界はがらりと変わった。モノクロだった世界が色を取り戻し始め。音を取り戻し始め。感触を取り戻し始めた。
今私は、色の溢れる世界の中に住む住人の一人ありつつ、あのモノクロの世界をはっきりとありありと今も覚えている。
それでいいと思っている。その両方を、私は失いたくない。

2010年11月22日月曜日

花と女



何という名前の花だったのか、もう覚えていない。その時の撮影に、私は、見かけがごつい花をあえて選んで、三、四本持っていった。
モデルになってくれる彼女はとても華奢で、だから彼女の姿からしたら、このごつい花はかけ離れたイメージがある。でも。
何故だろう、どうしてもその花が気にかかって気にかかって、だから私はその花を選んで持っていった。

砂丘の、只中に立った彼女の、後姿を捉えた時、気づいた。あぁここだ、ここにあの花が必要だったんだ、と。
百八十度、まっすぐの地平線、そこに立つ華奢な彼女、そして。
その彼女を飾るように、あの厳しい花々。

そして改めて気づく。彼女はとてもとても華奢で可憐な人なのだけれど、とても骨太だということに。そう、一本ぐいっと芯が通っている。その外見からは想像もつかないほどの強い太い芯が、通っている。
あぁだから、この花だったんだ。私はカメラを構えながら、改めて頷く。

天気はどんどん崩れてゆく気配。その気配に、もし彼女が華奢なだけの人だったら押し潰されていたかもしれない。でも。そうならない芯の強さが、そこに在った。

走る

いつの間にか空を覆い始めていた雲。でもその向こうには確かに太陽が在り。
雲を透かしてその陽光が舞い降りてくる海の上。砂の上。
白銀の道が生まれる。

その道を追いかけるようにして、彼女は走った。
海岸を、まさに波が砕けるその場所を、彼女は走っていた。

その日風が強くて、砂にうつ伏せになってカメラを構えるたび、砂嵐にばしばし叩かれた。でも、彼女の足取りは強く、何処までも強く、細い体でしかと、砂地の上を走っていた。

打ち寄せる波の音はいつの間にか遠ざかり、私の内にはただ、彼女が砂を踏むその確かな音だけが響き始める。彼女とは距離がこんなに離れているはずなのに、その音は確かに私の内に響いて。
それはまるで一枚の画のような、光景だった。

カメラを構えていると、よくこういった状況に陥る。自分が捉えた光景の音しか自分の内に響かなくなる、という時間が。その間、私はいつ自分でシャッターを切っているのか、殆ど意識していない。意識しないところで次々シャッターを切ってはピントを合わせ、彼女の姿を追いかけている。
彼女にとってはどうだったんだろう。走っている彼女にとっては。それを問うたことはないから、私には分からないけれど。

だからプリントして初めて、その時の光景がありありと、まざまざと立ち現れる。そして私はあの瞬間に引き戻される。暗室の中にいるはずなのに、私の内側から彼女のあの確かな足音だけが、ざっざっざっと、響いて溢れ出す。
そして私は何度でも体験する。あの、被写体と自分とが溶け合う瞬間を。

2010年11月17日水曜日

海と空と、

そこにはただ、海と空があった。
まだ世界が白黒でしか見えなかった時期、私にはそれはまるで、渾然一体となった空と海だった。
それはどこまでもどこまでも広がっており、視界全て、海と空とで。

そこを一隻の舟が、ゆっくり、ゆっくりと横切ってゆく。
乗っているのは二人ほどか。

その舟の存在によって、私は海と空との境を知る。あぁあそこがちょうど、境目なのだ、と。

白黒の世界の住人に、一度でもなったことがある人なら、分かるだろう。
色によって作られる境界が、白黒では曖昧になるのだ。だから、何処までも何処までもモノクロが続いていくようにさえ見えることがある。
それは本当に曖昧で。だから、不安に、なる。

目の前に広がる海と空と、そして一隻の舟と。
私の目の中ではそれは果てしなくモノクロで。
隣に立つ娘の目の中でそれは果てしなくカラーでもって。
こんなに近くに立って、手を繋いでいる者同士なのに、見える世界がこんなにも違っていて。

だから思うのだ。
どんなに似通った体験を経ても、感じることは人それぞれ。思うことは人それぞれ。
決して同じであるわけがない。
だから私たちは言葉を持ったのだ。きっと。
違いを知るために。

言葉の使い方を一歩間違えれば、それは刃になる。
だからこそ、大事に使いたいと思う。
あなたと、わたしと、その違いを知って、互いに受け容れるためにこそ。
言葉を用いたいと、そう思う。

2010年11月15日月曜日

昇りつめた先に、

誰にでも、しんどいときは、ある。しんどいときというのは、何もかもがマイナスに見えて、起こる出来事起こる出来事すべてが下向きに見えて、だからなおさらにしんどくなる。
もうこれでしんどいことは終わりだろ、と油断していると、最後にかっつーんと脳天を叩くような出来事が降ってきたり。だからもう、立ち上がる隙間もないほど、落ち込む。

もう駄目だ、もういい加減駄目だ、これで終わりだ。
そう思って、ばたんと地べたに倒れ伏す。
じっと、倒れ伏して、そうしていると、自然、地べたの体温がこちらに伝わってくる。
それは不思議なほど温かくて。

そして耳を澄ますと、鼓動まで聴こえてくるから不思議だ。
とくん、とくん、とくん。

そうして気づく。
生きてる。まだ生きてる。自分はまだ、こんなになってまでも生きてる。
そのことに、気づく。

そうか、ここは地の底か。堕ちに堕ちた、地の底なのか。そうして上を見やると、点のようにしか見えない僅かな光。まさしくそこは地の底で。
でも、不思議なことに、堕ちるところまで堕ちると、あとは、這い上がるだけ、とも言える。

だから私は登る。地の壁に指を食い込ませ、必死に登る。点のような光の存在を信じて、ひたすら登る。途中、爪が割れることだってあるだろう、登ったつもりが滑り落ちてしまうこともあるだろう。それでも。
点だった光が輪になり、やがて一面光の海になり。

あぁ、ようやっと上がってきたのだ、とあたりを見やれば、それはもう光の洪水で。
そんなとき、私は、あぁ生きてる、と感じることができる。そして自分の心臓が、間違いなく脈打っている、その音を聴くことが、できる。

だから今日も、昇る。一歩、また一歩、時にずり堕ちることがあっても、それでも、信じて昇る。この先にきっと、私の待つ世界が在るのだと、そう信じて。

2010年11月12日金曜日

真っ青な空の下、

その日、空はこれでもかというほど澄んでおり。真っ青に、澄み渡っていた。
そんな空の下、私は彼女と会った。
冬も終わりの、頃だった。

工事現場の、金網に縋りついた彼女が、ぽつり、言った。
鍵が開けばいいのに。
開いたら向こう側へ行けるのに。

近親姦に苦しみ続けた彼女にとって、この今目の前にある金網は、彼女を取り囲む金網に見えていたのかもしれない。どこにも逃げられない、どう逃げても捕まってしまう、そうして餌食にされる。彼女の声にならない悲鳴は、いつだって誰にも届かないままで。

鍵のかかった錠を握り締め、こんな錠、壊れてしまえばいいのに、と彼女が言った。
私も、壊れてしまえばいい、と、心底思った。

そうしたら逃げられる。追っ手から逃げることができる。

近親姦の怖いところは、そういうところだと思う。密室という家の中で起こるから、何処にも助けを求められないし、逃げ場もない。

彼女が小さい声で言った。私は絶対、向こう側に行くんだ。
と。

空は青く青く青く。澄み渡り。風が流れていた。彼女の小さな声は、風が運んでいった。そして私は祈る。彼女の地獄が一日も早く終わりますように。彼女が解放されて、羽ばたいていける日が必ず来ますように。

来ますように。

2010年11月11日木曜日

暗闇の花

その年、私はアネモネを育てた。儚さを全身に纏った花で、どこまでもどこまでも微かだった。
その花も、もう終わりの頃、ふと思いついて、カメラを持ち出した。

このかそけき花を、何処まで写真にできるだろう。
そう思いながら、カメラを構えるのだが、全然シャッターが切れない。
困った。

アネモネは、私の感じるイメージだと、光の花だ。溢れる光の中、微かな風に揺れながら咲く、そういう花に思える。
でも。
そのままじゃ撮れない。私には、撮れない。そう思った。

そのまま真夜中になり。どうしてもアネモネが気になって、私は寝床から起き出した。その時、私は初めて、真夜中の、闇の中のアネモネを見た。

闇の中、彼らはふわぁっと浮かび上がるようにして咲いており。それは、妖しく。昼間の姿とは全く異なる姿を晒していた。
この花は、こんな姿も持ち合わせていたのか、と、私は初めて知った。

そうしてシャッターを切った。

あれ以来、アネモネは育てていない。一年で終わってしまう花は、どうしても育てるのに躊躇する。だから今私のプランターにあるのは、薔薇の他にはムスカリ、イフェイオン、スノードロップといった、放っておいても次の年また芽を出す者たちばかりだ。

そうして改めて思い出す。アネモネの、あの、真夜中の姿を。
それはまるで、夜の女王のようで。儚さの向こうにしぶとさを秘めているかのようで。妖しく輝いていた。

いつかまた会うときがきたら。
その時もきっと私は、夜のアネモネを撮るのだと、思う。

2010年11月8日月曜日

花と瞳

Mちゃんのことをそれなりに長い間撮って来たけれど、彼女はいつでも、凛と立っている人だった。
彼女の幼少期、いじめやらなにやら本当に大変だったことは、さらりと彼女が語ってくれたことで知っている。
でも本当に彼女は、そういったことをさらりと語るのだ。決して重く語らない。どこまでもどこまでもさらりと話してくれる。

今振り返ると、私はMちゃんのことを何処まで知っていたのだろう、と思う。何処まで理解していただろう、と。
Mちゃんはどんなときでも、一本筋が通っていた。
失恋したときも、挫折するときでも。

だからかもしれない。私はMちゃんのそういう姿勢に、とても憧れた。
そして何より、彼女の目に憧れた。

真っ直ぐで、曇りない眼。人を射るわけではないのだけれども、真っ直ぐに向かってくるその瞳は、こちらを捉えて離さず。気づくと虜になっているのだ、彼女のあの瞳の。

その瞳は、彼女が語ろうとしない彼女の生き様を、しかと見届けてきているのだろう。だからこその真っ直ぐさなのだろう。

最近会った時、彼女が、私ってば目力が衰えてきた気がするのよぉ、とおどけながら話していた。私もその時、彼女に合わせて笑った、が。
年齢を重ねた分、柔らかくなったけれど。でも。
彼女の瞳の奥に秘められた輝きは、ちっとも変わっていず。
あぁ、目は口ほどにものを言うというが、本当だな、と、私に思わせるのだった。

2010年11月4日木曜日

眠り

眠りはいつでも、私から遠かった。幼い頃から、ちゃんと眠れたと思って起き上がって時計を見ても、たいてい四、五時間。病を持ってからは、薬を服用しても三時間前後。

だから幼い頃はいつも、出窓で時間を過ごした。出窓に毛布を引っ張って行って、そこでちょこねんと体育座りをし、空を見上げて過ごした。
真冬でも窓を開け、外との境をなくし、白い息を感じながら、何を考えるでもなく、何を眺めるでもなく、ぼんやり過ごす。その時間は、だんだんと私にとってかけがえのない時間になっていった。

どんなことを想像していても咎められたりしない。思う存分花の香りを楽しんでいても、風の匂いを感じていても、誰にも変に思われたりしない。そういう時間。
日の光が溢れる明るい時間には、考えられないことだった。そういう時間は、人の目が気になって、突き刺さってきて、とても自分の内奥に浸ってはいられなかったから。
私の中から物語が生まれるのも、たいていそういう時間帯だった。

そしてまた、弟と紡いだ時間も、そういう、人が眠っている時間帯だった。
コンコン、と、小さな音がして、扉が開く。弟が顔を覗かせる。私は床に弟の場所を作って迎え入れる。そうして朝まで、朝父が起きてくる直前の時間まで、あれやこれやと語り合った。
あの頃はそう、父や母の話が殆どだった。どうやってこの父や母の手から逃れるか、そればかり私たちは話していた。そして逃れた先で、どんなことをしたいか。私たちはもう、夢中になって語り合った。

今私の隣には、娘が眠っている。娘は私と違って、真夜中に起きることもなく、朝までぐぅぐぅ眠る子だ。そんな娘の眠りを見やりながら、私はぼそぼそと、本を開いたり、天井を眺めたりして過ごす。

転寝するMちゃんの横に、花を飾り、シャッターを切った。
誰の眠りも、邪魔されることなく安らかでありますよう。
私のような子供が何処かにいるかもしれないけれど、それはそれで、彼らの想像の翼が、何処までも広がっていきますよう。
祈りながら。

2010年11月1日月曜日

視線=私線

彼女の何処に惹かれるって、それは彼女の目だ。
真っ直ぐにこちらを捉えて離さない、そういう目をしている。
決してねじれもよじれもしない。真っ直ぐに向かってくるその目、視線。
私はいつも、それにやられてしまう。

最近、目を合わせて話をする人が、昔より随分少なくなったように思う。宙を漂う目、そっぽを向いたままの目、俯いて決してこちらと合わせようとしない目。
目が大好きな私としては、そのたび寂しくなる。心の中ひっそりと、寂しくなる。そしてつい、言いたくなってしまう。ねぇ、こっち見て、と。心の中で。

射るような目にも、損なところがあって。うちのお嬢は、その真っ直ぐな目ゆえ、しょっちゅう電車で絡まれる。「おまえ何こっち見てんだよ」「睨んでんじゃねぇよ」と、中学生くらいの子たちから、絡まれる。私がそばにいるときなら構わないのだが、一人のとき、彼女はどうするのかと尋ねてみると、それでも絶対目を逸らさない、と言う。いやいや、そういうときはさりげなく目を逸らさないと、怖いことになるかもしれないから、と言う私を抑えこみ、「だってこっちは何も悪くないのに。なんで向こうの言う通りにしなくちゃいけないの。私の目はこの目なんだよ。とりかえようがないんだよ」と、言った。そこには少し、怒りも含まれているような、そんな勢いだった。

本当は。本当は、それでいいと母は思っているんだよ。多少の小競り合いが起きようと、それはそれで、やってみればいいと、母は思っていたりするんだよ。なんだか無責任だけれども。
目がどれほどに物を言う代物かを、自分で覚えて感じていかなければ、目と付き合っていくこともできないだろうと思うから。

そして何よりこの母は、その真っ直ぐな君の目が大好きだから。Mちゃんの目しかり、お嬢の目しかり、こちらが隠していることまでも暴いてしまいそうなほど鋭い真っ直ぐな目は、もうそれだけで脅威ではあるけれども、でもそれは、素晴らしい宝物だと私は思うから。

あの時、Mちゃんの真っ直ぐな目と対峙しながら、私は、余計な心の垢がざぁっと取れていくのを感じていた。
言い訳も何も通用しない、でもそれが心地よい、そういう場所で、彼女の目に見守られながら写真を撮ってゆく。そこにもう、嘘など入る余地は無く。

目と目の合わさるところに、そう、できるなら、嘘など在って欲しくない。せめてそこくらいには、露な心があってほしい。

天国への梯子

うちにしばらく身を寄せていた彼女を誘って、マンションの屋上へ上がった。うちのマンションは、屋上に洗濯物を自由に干せるようになっていて、だから出入りが自由なのだ。
屋上からは、隣の小学校が丸ごと見下ろせた。小さめの校庭、小さめの校舎、おまけのように端っこにあるプール。全部が見渡せた。

その日、天気がよくて、空は青く青く澄んでおり、その空に、雲がもくもく、と、浮かんでいた。風も心地よく、屋上でひとときを過ごすには、まさにうってつけの天気だった。
高いところが好きな彼女は、ふと見ると、屋上からさらに高みに上っていた。私はそんな彼女を、彼女がしたいように放っていた。もし誰かに注意されたら、その時考えればいいや、なんて、暢気に構えていた。

すごいよ、さをりさん、空に手が届きそうだ!
うん、こっから見てても、そう見える。
空が近い、とっても近いよ!

うちに来て、彼女がこんなにはしゃいだ声をあげるのは、多分この時が初めてだったんじゃなかろうか。昔彼女は、よくそんなふうにはしゃいだ声を上げていた。でも、ここしばらく、電話でも何でも、彼女の声は沈んでいるか、飲んだくれているか、だった。その彼女が、あの声を出している。
それだけで、私はもう、嬉しかった。

このままさ、この梯子昇って行ったら、天国につけるかな。
うーん、そりゃ、ちょっと無理かも。梯子が短い。
そんなぁ、現実的なこと言わないでよ。
ははは。それにしても、空がきれいだね。
うん!

彼女は喋りながら、笑っていた。笑いながら、喋っていた。
そして多分、この時が、初めてだった。うちに来て、彼女が自らカメラを構えたのは。私は、嬉しいという言葉を飲み込んで、ただその彼女の姿を心に刻んだ。

空は何処までも何処までも澄んで。
やさしく彼女を、見守っているかのようだった。

2010年10月23日土曜日

ただ、空

それはH県からAちゃんが、突然、私の写真を撮ってください、とやってきた時のことだった。あまりに突然の彼女の頼みに、私は唖然とし、呆然とし、一体何故よりによって私に?と思った。でも、断る理由は、何処にもなかった。

Aちゃんと撮り始めたのは午前中早い時間。そして気づくと、太陽は真上に上っており。その頃まだ空き地の多かった埋立地。陽光を遮るものは殆どなく、私たちは燦々と降り注ぐ陽光に、薄く汗をかくほどだった。まだ寒い、冬の終わり。

見上げると、空にはこれでもかというほど激しく怒った雲が浮かんでおり。その勢いはまるで、今朝やってきたAちゃんの、最初に私に向かってきたときの勢いを現わしているかのようで。私はしばし、その空と雲とを見上げた。

すごいね。
うん、すごいですね。
激しくて、でも、きれいだね。
はい、眩しくて、目を開けてるのが大変なくらい。

さっき勢いよく走ったばかりのAちゃんは、肩で息をしながら、そんなふうに応えた。そして二人並んで、空を見上げていた。

どんな状況の中でも、足掻いていたいよね。
あぁ、それはいえます。このままではいたくない。だからここに来ました。
そっか。そうだよね。

彼女は重い荷物を背負っていた。心に重い重い荷物を。それでも生きたいから、何とかしたいから、思い余って彼女はここに飛んできた。

今空は、雲は、そんな私たちを見下ろしながら、まるでこう言っているかのようだった。
足掻けよ、思い切り足掻けよ、そうして何処までも生き延びていけよ。
そう、何処までも。死が自ずとやってくる、その時、まで。

2010年10月22日金曜日

足の裏

その時、私は彼女に、何も言わなかった。彼女が動くまま、動きたいと思えるままに、放っておいた。
裸足で駆け回っていた彼女が、突如、ぽてっと土の上に倒れた。倒れたというか、彼女自ら、倒れ込んだ。

それはまるで、土の感触を楽しんでいるかのようで。私はしばらく、そうしている彼女の様子を見つめていた。
そして背後に回って。
気づいた。
彼女の足の裏。疲れ果てた足の裏。

手も人の年輪を語るが、足の裏というのも、実によく、人の歩いてきた道筋を語ってくれる代物だと私は思っている。まさにその足が歩いてきたのだもの、語ることは尽きないだろう。
私はファインダー越し、彼女の足の裏をじっと見つめた。私の胸の中、切なさがふつふつと沸いてきた。悲しさがぷつぷつと音を立てて沸いてきた。でも。
何も言わず、その代わりに、シャッターを切った。

彼女は一体これから何処へ行こうとしているのだろう。

彼女は撮影中、何度も涙を流した。私はその涙のワケを、一度も訊かなかった。だから、本当の意味を私は知らない。
ただ、あの時彼女は間違いなく、自分がこうして生きているということを、実感していたはずだ。死にたい死にたいと夜毎言いながら、それでも彼女は同時に、生きたいとも叫んでいた。でも、どうやって生きていけばいいのか分からなくて、だから、足掻いていた。
彼女が私の家を出て行ってから、どうしているのか、私は知らない。
何処かで自分の足で、しかと立っていてくれることを、祈ってやまない。
そしてできることなら、カメラを持って、肩を怒らせて、街を闊歩していることを。
ただ、祈る。

2010年10月21日木曜日

彼女の手

しばらくの間、私の家に身を寄せていた子がいた。もう数年前のことになる。死ぬことしか考えられなくなった彼女は、うちに来てからも、しばらく途方に暮れた顔をしていた。それでも娘と私と彼女と三人でご飯を囲めば、ひとりで食べるよりずっと楽しい。痩せ細っていた彼女の頬は、少しずつ少しずつ、膨らみを取り戻していった。

彼女はもともと写真撮りだった。何処へ行くにもカメラを持って、写真を撮っていた。彼女の撮る写真は、私には憧れだった。何がどう、というわけではない、でも、暗い画面から立ち上る目には見えない煙のようなものがあって、私はその得体の知れないものに惹かれていた。もともと彼女とは、そういう縁で知り合ったようなものだった。

あちこちを彷徨い歩いて、あちこちに縋りついてはみたけれど、どれも駄目だった。彼女を支えるには力足りなくて、離れていった。そうしているうちに、彼女は迷子になった。自分の足で立てなくなるほど弱り、そうしてうちに来た。

私が死んだら私のカメラ、貰ってね。彼女は酒を呑むとよくそう私に言った。恐らく誰にでもそう言っていたのだろうと思う。そのたび私は断った。あなたのカメラはあなたのものであって、私のものじゃない。あなたが使うべきもので、私が使うべきものじゃない。断る、と。
それでも彼女は絡んで、貰ってよねぇ、と言いながら、酒をかっくらうのだった。

そんな彼女と、一度だけ、撮影に行った。
早朝の土の上を、私たちは裸足で走った。追いかけ、追いかけられ、そうやって写真を撮った。これはその時の、彼女の、手、だ。
痩せ細った痕跡が、細い皺となって、彼女の手に残っていた。心が疲れ果てていることが、手にまでありありと現れていた。それでも。

あの撮影の最中。彼女は生きていた。生き生きと、それは生き生きと、生きていたんだ。

2010年10月20日水曜日

窓際の椅子

それは車掌室だったのだろうか、それとも待合室のひとつだったのだろうか。机がまだ残っているから、多分何かの部屋だったんだとは思う。
その部屋の窓際に、椅子がぽつり、ひとつ置きざりになっていた。

窓は開け放され、涼やかな風がするすると流れ込んでくる。その風に身を任せるかのように、椅子は心地よさそうに佇んでいる。
もう何年も何年も、そうやって置き去りになっているはずなのに、まるで今さっきまで誰かが座って、窓の外を眺めていたかのような、そんな気配。

私はふと、外にコデマリが咲いていたのを思い出し、それを五本ばかり手折ってきた。そして、椅子に置いてみた。
あぁ、やっぱり。誰かがここにいたんだ。
その誰かは、生身の人間じゃぁない。そんなことはもちろん私も分かっている。

この部屋が使われていた頃、きっとここは生気に満ち満ちていたのだろう。木製の机は艶が出るほど使い込まれており。確かにここは廃墟で、多少荒れてはいるけれど、それでも、ここはまだまだ、とくん、とくん、と息づいていた。

ねぇ、ここがまだ使われていた頃、どんなんだったんだろうね。
それよりさ、この切り株は、何でこんなところに置いてあるんだろう。
分からない、なんでだろう。
椅子が寂しかったのかな、呼んだのかな。
そうだったら、なんか、楽しいね。

コンクリート丸出しの壁、受付だったのだろう窓のガラスは細かく割れ、机の上にその破片が散らばっている。それでも。
それでも、この部屋には風が流れ、そうして椅子と、この切り株とが、共に息づいていた。

私たちは、彼らの邪魔をしないよう、そっとその場所を、離れた。

それから一年もしないうちに、再びその場所を訪れたのだが。悲しいことに、廃墟はもう息づいてはいなかった。心無い人たちにぼろぼろにされ、あちこちが無残に崩れ、それは自然に崩れたのではなく、明らかに人の手によって崩されており。
私たちは、一枚の写真を撮ることもなく、その場所を後にした。
かなしいね、と、ただ一言、言い交わして。

2010年10月19日火曜日

隅っこの気配

そこは、気配の溢れる場所だった。
Mちゃんと延々と電車に乗り、バスに乗り、ようやく辿り着いたその場所。もはや廃墟と化しているその場所。それなのに、すうっと風が流れ、心地よく呼吸のできる場所。

なんだか精霊が住んでいそうな場所だね。
うん。
廃墟なのに何もかもが透き通ってる。
まだまだこの場所が、静かに息づいてるって証拠だね。
うん。

どちらともなくその場所の中を徘徊し、目が合えばシャッターを切り、そうして時間を過ごした。その間も、風はすぅっすぅっと流れ、決して止むことはなかった。
ケーブルカーを動かすための大きな車輪、小さな車輪が入り組んで佇んでいる。そして、もう誰のことも運ぶことのなくなった車両が一両、止まっている。
蝶がひらひらと、その中を漂っている。

崩れ始めた壁も、まるで息づいているかのように透き通っていた。その隅っこ。誰かが今も佇んでいるかのような気配がありありと。

ねぇ、誰かいるよね、あそこ。
うん、いるみたい。
でも、嫌な感じじゃないね。
うん、涼やかな感じ。

私たちは、二人でそおっとその隅っこに近づいた。ふわり、風の揺れる気配がして。でもそれは一瞬で消えた。

やっぱり、誰かいたのかな。
うん、何かいたみたい。
でも、別に私たちのこと、拒絶してないね。
かくれんぼしてるみたいだね。
うん。

その時、さぁっと陽光が窓ガラスからその隅っこに注ぎ込み。
あたりはふわぁっと明るくなった。

隅っこ。それはただの隅っこかもしれない。でも、私たちにはその時、風の子らの遊ぶ、小さな小さな空間のように思えた。

2010年10月18日月曜日

足痕

その日、その浜辺には私と娘の他に誰もいなくて。
私たちは思う存分、浜辺で遊んだ。

ふと振り返ると、自分がついさっき歩いてきたばかりの足跡が、一列に並んで残っていた。こんなにきれいに足跡だけ残るのも珍しい。私はしばし、呆けてその足跡を眺めていた。足跡、いや、違う、足痕だ。これは。

呆けている私に気づいて、娘が私の後ろにやってくる。
ママ、すごい、足跡きれいに残ってる。
そうだね、ママの足痕だけが残ってるね。
これ、きっと、明日の朝まで残ってるよ。
そうかな、ママは、消えちゃうと思うけど。
いや、消えない。ママの足跡だもん、消えない!

私の脳裏には、一瞬にして、これまでの全てが走馬灯のように渦巻いた。
父や母からの精神的虐待、居場所のなさ、事件に遭ってからの途方もない闇の道。そして、この子を産んでからの、がむしゃらな道。
すべて、私だった。

この足痕のあちこちで、いろんな人たちと交叉してきたのだな、と、今改めて思う。
そうして離れていった人、もう二度と会うことのない人、そういった人々もいる。
同時に、つかず離れず、付き合い続けている仲間たちも、いる。

あぁそうか、私を引き受けるということは、私はこの足痕すべてを受け容れるってことなんだな、と、漠然と思った。
できるんだろうか、そんなこと。
まだ、私にはとうていそれはできそうにない。
でも。

死ぬ前に、それができたら。
それができたら、私は、きれいさっぱり死ねるな、とも思う。

2010年10月17日日曜日

ガーベラと、

Mちゃんの部屋で、写真を撮っていたときのことだ。
別にヌードを撮っていたわけではないのだが、最初から彼女はキャミソール姿で、女の私から見ても艶かしい肢体を見せてくれていた。ふと、彼女の足を後ろから撮ろうとし、思いついた。ここにガーベラを置いたらどうだろう。

なんでこう、女性の肢体と花というのは似合うのか。
いつも私は不思議になる。ここまで似合う、しっくりくるものも、そうそうないと思う。そしてまた、女性によって、似合う花の質が微妙に異なる。やわらかい花が似合う人もいれば、凛とした花が似合う人もいたり。でも、女性全般、花が似合う。

その夜は、何となく気分で、私たちはガーベラをたくさん買い込んで部屋に入った。
暗い室内灯のみでの撮影で、私たちはいつのまにか夢中になっており、私が足場にちょうどいいと登った便器の蓋にひびが入るという事態が生じたものの、それもさておいて、撮影は続いた。
夜明け前、私たちはすっかりくたくたになって、床につっぷしたのを覚えている。

Mちゃんのやわらかい足の曲線は、ぴんとしたガーベラと実によく溶け合って。
まるで、最初からこの花はここにあったかのようだった。
まるでMちゃんの足を隠れ処にして、咲いている花のようだった。

私たちは、散らかした花たちを撮影後集めて、土に埋めた。
ありがとうね、ありがとうね、と声を掛けながら。
また何処かで会おうね、なんて言いながら。

今頃、あの土の下、ガーベラたちはどうしているだろう。

2010年10月16日土曜日

その日、夜明けと共に私たちは動き出した。走り、追いかけ、追いかけられ、朝の冷気など何処へやら、私たちの体はフル回転していた。
そしてどちらともなく、しゃがみこんだ、その時、朝陽がすっと昇った。
あぁ、なんてまっさらな陽光なんだろう。そう思って、隣の彼女を見た時。
彼女は、泣いていた。

ぽろぽろ、と、涙を零し、泣いていた。
私は彼女の背中に手を置きかけて、直前で止めた。手を置く代わりに、じっと、待った。
声もなく、ただぽろぽろと涙を零す彼女を、
私は美しいと思った。
だから、シャッターを切った。

それはちょうど彼女の、迷いの時期だったんだろう。
私が死んだら、私のカメラのひとつを貰ってね、なんてことを、酒を飲んでは繰り返し言っていた。酒も、飲むというより飲まれるという具合で、最後はぐでんぐでんになって、床に倒れるのだった。私はそんな彼女に、誰がカメラなんて受け取るもんか、あんたのカメラでしょ、あんたが撮らなきゃしょうがないでしょ、と、言い返した。
その頃にはもう、彼女はぐーかー寝息を立てているのが常だった。

冬の早朝。
ちょっとじっとしていると、手足は凍えてきた。でも彼女は、ぽろぽろと涙を零し、泣いていた。私はそんな彼女を、じっと見つめていた。

あれから何年が経つのだろう。
彼女は、迷いの時期から抜け出ただろうか。もうちゃんと自分の足で歩いているだろうか。私はその後の彼女のことを知らない。
ただできるなら、彼女が自らの足で立ち上がり、歩き出し、しかとこの地をその足で踏みしめていますよう、祈るように思う。

2010年10月15日金曜日

自由

一時、我が家に身を寄せていた子がいた。
彼女にはその頃、「居場所」がなくて、あちこちを彷徨っていた。

どこに行けば自分は自由になれるのか。この籠の外に出て自由にはばたけるのか。
彼女は必死にそれを探していた。でも、見つからなくて。

籠の外に出れば、自分は自由になれるはず、と、最初思っていた。
でも、いざ籠の外に出てみても、そこからどうやって羽を動かしたらいいのかもうすっかり忘れていて。はばたくことなど到底できなくて。
途方に暮れていた。

屋上に上がってみようか。
私が彼女に声を掛けた。私のマンションの屋上は、出入りが自由にできた。彼女は嬉々として私の後について屋上に上がってきた。
屋上には、洗濯物が干せる場所が、金網で囲って、大きな籠を作っているような感じで置いてあった。彼女はしばらく不思議そうにその巨大な籠を見つめていた。

しばらくすると、彼女は、その籠と屋上の塀との間にしゃがみこんでいた。
じっと向こう側を見ていた。塀の向こう側を。そこには遠く霞んで埋立地の高層ビル群が建ち並んでいた。
私、何処に行ったらいいのかな。私の場所ってどこにあるんだろう。

私には、応えられなかった。
それは、自分で見つけるしかない、いや、自分で作るしか、ないんだよ。
そう言うことは簡単だったが、言うことは、できなかった。

だから心の中で言った。足掻くといい、思いっきり足掻いて足掻いて足掻いて、そうして、自分の居場所とは自分で作り出すしかないのだと気づいて、そうしてそこから自分の居場所を作って生み出していけばいい。
今はそう、ジャンプ台の上、しゃがみこんで、じっと力を溜めている、そういう時間なのかもしれないから。

自由は、そう、与えられるものじゃなく、自ら掴み取るものだと、そう思うから。

2010年10月13日水曜日

私はこの華の名を忘れてしまった。花屋で確かに訊いたのだが、家に帰る頃にはすっかり失念してしまった。
でも。
私はこの華に、一目惚れしたのだ。可憐な花たちがこぞって並ぶ花屋の中、何故かひとりだけ厳つい装いで、奥に隠れているこの華に。

家に帰り、水切りをして、大きめの花瓶に生けて、私はゆっくりその華を眺めた。何という存在感なんだろう。ものいわぬその姿に、私は半ば圧倒されていた。
花が元来持っているだろう可愛さ、可憐さなど何処にもない。微塵もない。それでいて、「私が華だ」と言わんばかりの咲きぶり。
久しぶりに、スターを見つけた、そんな気がした。

二日ほど花瓶に生けていただろうか。
ふと見ると、内側の細かい花びらが、少しずつ少しずつ外を向き始めている。なるほど、こうやってさらにこの華は咲いていくのか。私は納得する。
娘がやってきて、花にそっと触れながら、言う。
この華って何処の国の花? 何処から来たの?
分からない。ママ、知らないんだ。
きっと遠い、暑い国から来たんだね。
そうかな、うん、そうだね、きっと。

カメラを構えて、気づいた。この華は容赦なくこちらに向かってくる、そういう勢いがある。存在感がある。
つまり、正面切って捉えるしか、術がない。
娘に茎の根元を支えてもらい、私は彼女と向かい合った。
じわじわと迫ってくる彼女の存在感を感じながら、私はシャッターを切った。
焼いて、思った。私が負けたな、と。でも、気持ちのいい負けだ。

あの華はどんな季節、どんな花屋になら置いてあるのだろう。あれからなかなか会えないでいる。今度会ったときは。さて、どうしよう。

2010年10月12日火曜日

走る

ちょうど工事中で、垂れ幕が張り巡らされている地があった。これからどんな建物ができるんだろうね。そう言いながら、私たちはそれを眺めていた。

ふと思いついて、彼女に声を掛けてみる。
走ってみようか。
声を掛けた途端、彼女は走り出した。一気に走り出し。あっという間に先の方へ消えていった。一瞬の出来事だった。

被害者に対して、よく、「いつまでおまえはそのことを引きずっているんだ」とか「いつまで被害者ぶっているんだ」と言葉を振り回す人がいる。
だが、私は言いたい。
たとえば被害者当人がその傷を受け入れ、乗り越えたとしても、被害者が被害者であったことに変わりはなく。その事実は消えないのだ。
そしてまた、そのことを振り切りたい、もう自由に生きたいと誰よりも誰よりも、そう、他の誰よりも願っているのは、被害者当人なのだ。
そのことを、忘れて欲しくない。

五年、十年、十五年、二十年。それだけ時間が経てば、被害から立ち直るのが当たり前だろう、と人は考えるかもしれない。
でも、そんな容易なことじゃないのだ。
たとえ表面的に、当人が元気に見えたとしても、その奥底には、傷が横たわっている。
その傷と共存しながら生きているのが、被害者の姿だ。

懸命に、懸命に、共存しようと、日々努力しているのが被害者当人の姿だ。

たとえば治療過程で、セックス依存になる人もいる。自傷行為に走る人もいる。そうやって自分を傷つけながら、それでも何とかここから這い出して、あの光の世界にもう一度出ていきたい、と、そう願っている。
もう一度、もう一度、と、唇噛み締め、必死になって這いずり回っている。

それを、赤の他人が、もう何年経ったから平気だろう、とか、回復しているくせに、とか、簡単に言わないで欲しい。
大丈夫になりたいのは、何度も言うが、被害者当人なのだ。

私は一気に走りぬけた彼女の背中を見、思った。
この傷を、どうか一気に走り抜けて欲しい。何度転んでもいい、何度躓いてもいい、それでも、ここを走り抜けて欲しい。そして再び会うときには、最高の笑顔を、満面の笑顔を見せて欲しい。
心の中、そう祈った。

2010年10月8日金曜日

空よ

季節は冬。すかーんと抜けるような青空で。その青空に、表情豊かな雲が、もこもこと漂っていた。風も強い日で。だから雲はぐいぐい流れ、表情を変えていくのだった。
まだこの埋立地が、空き地ばかりだった頃。

空を飛べたら。
誰もが一度は思ったことがあるんじゃなかろうか。幼い頃、空を飛びたいと切に願ったことは、あなたにはなかっただろうか。
私にはあった。
鳥のように空を飛びたい、あの高みから世界を眺めてみたい、そうしたら私はもっと自由になれるんじゃないか。本気でそう思った。
でも私には、羽の代わりに、二本の足が、与えられていた。

彼女が言った。うわぁ、すごい空だ。
本当だね、すごい空だね。
あそこに溶けてしまえたら、気持ちいいだろうなぁ。
あぁ、そうかも。

私たちはじっと、空を見つめた。
真っ青な空が、雲と戯れていた。
それは子供の喧嘩みたいに他愛なく、無邪気で、でも、だからこそ激しい拮抗だった。
そんな空を、私たちはただじっと、見つめていた。

あの空に抱かれたら、何にもなかった頃に戻れるのかもしれない、なんて思ったりするんですよ。彼女が呟く。
そっか。私はただそれだけ返事をして、黙り込む。
それが無理なことは、私たち二人とも知っていた。
それでも、そんなことを思い描いてしまう、そうせずにはいられない、私たちの、背負った性。

そんな私たちにお構いなしに、空はそこに在った。雲はそこに在った。
そして彼らを見つめる私たちを、彼らもまた、見つめているのだった。

2010年10月7日木曜日

突然現れた女の子

その子は突然現れた。この街から遠く離れた、遠く遠く離れた街からわざわざやって来て、私の写真を撮って欲しい、と、その子は言った。

そういう出会いは、正直初めてだったので、ちょっと面食らった。
でも、撮れませんなんて言う雰囲気ではなく。
私は、自信はなかったけれど、シャッターを切り始めた。

でもあっという間に、何と言うのだろう、彼女は私のテンポについてきて、馴染んできて、今初めて会ったような気が、全くしないのだった。

あの時、彼女はどれほどのものを抱えてここまで来たのか、私には知る由もなく。
私はただひたすら、彼女を追いかけ、シャッターを切った。

その夜、泊まる所がないという彼女を家に泊めた。すると、しばらくして彼女が口を切った。聞いて欲しいことがあって。
彼女の幼少期の性的虐待の話だった。医者にかかろうと思っているのだが、一体どこから何を話したらいいか全然分からない。どうしたらいいのだろう、と彼女が言う。
私は、彼女の話をすべて、タイプしていくことにした。

そうしてできた彼女の話をまとめたプリントは、一体何枚になったか、覚えていない。結構な量だった。
彼女はそれを胸に抱いて、これでようやく治療ができる、と涙をひとつ、ぽろりと零した。

翌日帰っていった彼女。その後、数回やりとりをし、自然に遠のいていった。
そして私の手元には、彼女の写真が。
どうか彼女が、今幸せでありますよう。祈るように思う。

2010年10月6日水曜日

私は正直、傘が苦手だ。雨が降っていても、差さなくて済むなら傘を差したくない。持って歩きたくない。
フランスにしばらくいたとき、ざあざあ降りだというのに、立派な毛皮のコートを着た女性が、男性と腕を組んで歩いていた。傘なんて知らないわ、といったふうで、それはとても格好よかった。私は横断歩道を渡るのも忘れ、しばしその姿に見入ってしまった。
いいなぁと思った。傘を差さないで歩いても、何とも言われないって、いいよなぁ、と。私はたまたまフランスに傘なんて持っていかなかったから、その時Gパンによれよれのセーターという格好で雨に濡れていたわけだが、彼女の颯爽と歩く姿を見たら、なんだか自分もそれでいいと言われているような気がして、嬉しくなったものだった。

私は幼少期、蕁麻疹がよく出た。特に雨の日、雨に濡れると、足や手の指に蕁麻疹がぶわっと出て、痛痒くなって仕方がなかった。あまりにひどく腫れて、それを見た教師が、体育は休みなさいね、というほどで。見学にさせられる自分が情けなくて、いつも唇を噛んで授業を端から見つめていた。

大人になって。蕁麻疹はそんなに出なくなったが。それでも、雨の中、傘を差して歩くことは好きじゃない。雨自体は結構好きだったりするのだが、傘、が、だめだ。
そんなとき。
娘と二人、雑貨店に入ってあちこち歩き回っていて。一本の傘を見つけた。赤い傘に、白い細かな斑点が散っている、そんな、何処にでもありそうな傘だった。でも。
何故か私は一目ぼれしてしまった。
ねぇ、これ買ってもいいかな? と娘に問うと、娘はびっくりしたように、ママが傘買うの? いいじゃんいいじゃん、買いなよ!と言う。その言葉に後押しされて、私は結局その傘を買って帰った。

それからというもの。
雨の日が、ちょっと違ってきた。お気に入りの傘を差してもいい日、になった。
面倒なのは変わりないが、でも、好きな傘を広げるのは、結構気持ちいいものなのだということを知った。

友人と、砂丘を訪れた際、ふと彼女の傘が目に入り、ちょっとそれ貸してくれる? と、私は柵にその傘を立てかけてみた。
晴れの日に咲く傘。なんかそれだけで、素敵な気がした。
もちろん今でも、雨の中、娘と自転車で走り回ったりする私だが。傘も結構、格好いいもんじゃん、なんて、最近は思っている。

2010年10月5日火曜日

石段

まだ娘が幼かった頃、この石段を、彼女は這い這いで、器用に上り下りした。開けっぱなしの口からは涎が垂れて、でもそんなのにも構わず彼女は、ただ、上り下りすることに、夢中になっていたものだった。
上って、にかり。下って、にかり。私に向日葵のような笑顔を向けながら、繰り返し繰り返し、飽きずに為していた。

少し大きくなって、もう自分の足で頼りなくも歩けるようになった彼女は、この階段でよく転んだ。段差はとても小さいものなのだけれども、足を下ろすタイミングがうまくつかめないようで、そのたび、大きな頭からころりん、と、転ぶのだった。あまりに転びすぎて、彼女は突如、泣き始める。うっわーんと声を上げて泣き始める。でも、階段から離れようとしない。結局、彼女が飽きるまで、階段で過ごした。

小学校に上がって。もう彼女は、こんな小さな階段など、屁でもないといったふうに飛んで歩く。昔のことなどこれっぽっちも覚えていないのだろう。ここで笑ったこと、ここで泣いたこと、それらは彼女の記憶の奥深くに、眠っているに違いない。

そんなふうに、記憶の奥深く、畳み込まれている記憶が、人には一体どのくらいあるんだろう。
悲しい記憶ばかりが残っているようにみえて、でも、それらを全部吐き出してゆくと、最後の最後に、素敵な思い出がしまいこまれていた、ということが、多々ある。

久しぶりにひとりこの石段に立ち、私は、娘の成長を思い出している。まさにこの階段のように、一歩、また一歩、進んでは転び、転んではまた這い上がって、ここまでやってきた。いや、それはこれからも続く。生きている限り。

いつか彼女がその手に赤子を抱くような年頃になったら、教えてやろう。ここでおまえは何度も遊んだんだよ。這い這いしたり、たどたどしい足で歩いては転んだり。そうやって、オトナになっていったんだよ、と。

いつか。きっと。

2010年10月4日月曜日

影絵

うちから短い急坂を下ってすぐ、こんもりと木の茂る公園が在る。そこには桜の樹がたくさんあって、だから季節になると、大勢の花見客で賑わう。
夏はもう鼓膜が破れるかと思うほどの蝉の声が響き渡り、秋には秋で、虫の音が漂う。この街中にあって、季節を教えてくれる場所。

その公園の桜の樹の中でも、最も老木と言われている樹がある。大きく大きく枝を振り広げ、堂々と立つその姿は、いつ見ても圧巻だ。気軽に幹に触ることさえ躊躇うような、そんな威厳を湛えた樹。私はそんな樹に、一種の憧れを抱く。

冬、葉も散り落ちて、裸ン坊になったその老木の前に立った。明るい柔らかな陽射し降り注ぐ午後。
樹はただじっと黙って佇んでいる。よく見ると、枝のあちこちに、もうすでに新芽の塊を湛えており。あと数ヶ月もすれば、この塊は芽吹き始めるに違いない。

私はそっと、その彼の幹に手を添えてみた。目を閉じ、じっと、手のひらから伝わってくる何かに、耳を澄ましてみた。

とくん。とくん。とくん。
そんな音、聴こえるわけがない、と笑う人もいるかもしれない。でも。
確かに聴こえるのだ。耳を澄ますと、彼の心音が。生きている証が。そこに、在った。

あぁ、生きているということは、もうただそれだけで、尊いのだ。そう思った。
ふと見ると、彼は足元から濃い影を伸ばしており。

私は、彼をそのまま撮る代わりに、影にカメラを向けた。
威厳を湛えたその彼の姿は、影になると、やわらかいやさしげな雰囲気になるのだと、その時気づいた。
私の何倍も、何十倍も長く生きているのだろう、桜の樹よ、私よりさらに、永く生きてくれ。そして見届けてくれ。私たちのありようを。

影はどこまでもやさしく。そしてやがて闇に溶けていった。

2010年10月3日日曜日

泣く

人は泣くとき、どんなふうにして泣くものなんだろう。
ひとり部屋にこもって泣く。
誰かのそばで泣く。
風呂の中、声を上げて泣く。
いろいろな場面が思い浮かぶけれど。
その日、彼女は声を上げずに、泣いていた。

石塀に寄りかかり、冬のあたたかな陽射しを浴びながら、彼女は立っていた。
何があったとか、そんな話、私たちはしない。
ただ、カメラを挟んで向こうとこちら、好きなように佇む。
ただそれだけ。

それだけだからこそ、逆に、伝わってくるものが、ある。
余計な言葉、誤解を生む言葉がそこに挟まっていないからこそ、伝わってくるものが、ある。

まるで彼女は、石の壁に、溶け込みそうなほど、しんと佇んでいた。
そして何処かをじっと、見つめていた。
私はそんな彼女をじっと、少し離れた場所から見つめていた。

彼女は涙も流さず、ただじっと、そこに立ち、泣いていた。

声をあげ、泣き叫ぶことのできた、幼い頃。
そうして今、私たちはもう、それなりにいい年齢に達している。
そんな私たちには、もう、声を上げて泣くことは、なかなかできない。
それでも泣くしかないとき。
人はこんなふうに、泣くのかもしれない。
じっと、佇んで、声を呑み込み、唇噛み締め、ただ、心で泣く。

私たちはいつのまにか、そうやってオトナというものに、なっていた。

2010年10月2日土曜日

水面

その池は、のっぺりとした緑色の水を湛えていた。長いことそこにとどまっている、そんな水の色だった。
そして水草が、要所要所にぽっくり浮かんでいた。
その様子は、ひとつの静止画で。まるでそこだけ、時が止まったような、そんな感じがした。

空は人の心を映す鏡、とよく言う。私はそれに、水面も付け加えたい。
水面を見つめるとき、人は自分の心の状態をそのまま、その水面に移し変える。だから水面は、ありとあらゆる映像を、そこに映し出す。

その中には、悲しい映像もあるだろう。たまらなく楽しかった映像もあるだろう。そのどれもが等しく、水面には浮かび上がり。
あぁそうか、鏡というより、スクリーンなのかもしれない、水面は。

その映像は、ひとりひとり違うもので。だから、目には見えない映像が幾重にも水面で交叉しているに違いない。
今たとえば、私と、私の隣に立つ誰かが、同じ水面を見つめていたとして。それでも、そこに映し出される映像は、ひとりひとり、違う。決して重なり合うことは、ない。

ふと我に返り、緑色の水を湛える池の姿を改めて見つめる。
ぴくりとも動かない景色。それはもしかしたら、
天国の池のようで。
空の隙間からぽとっと落ちてきた、天国の池の姿のようで。

カシャッ。
シャッターの音が、ひときわ高く、あたりに響いた。

2010年10月1日金曜日

影が作る景色

海の向こうの町に出かけた折。日も堕ちて、しばらくした時。見上げた景色にはっとした。あぁ、影が景色を作っている。そう思った。
浜辺、海に半身を浸けながら、ぼんやり眺める。大きな樹がくっきりと浮かび上がり、風が緑を揺らすその音がメロディになって流れている。私はそれが心地よくて、しばらくそうやってじっとしていた。

私はモノクロの描く輪郭の世界が好きだ。
もともとは、私の世界は他の人と同じく、カラーの世界だった。それが、事件に遭ったことを契機に、突如世界の色が失われた。それから何年間か、私の世界はモノクロで。だから、私の世界のことを誰かに話して共有することは、できないことだった。
私がモノクロ写真にのめり込んだのも、多分それが理由だ。あぁここに私の世界の一部がある。モノクロ写真を前に、私はそう思った。だったら私が再現するしかない、私の世界を再現するしかない、それを提示して、世界はこうなのよ、私の世界はこうなの、と誰かに伝えてゆくしかない。そう思った。

モノクロ写真を初めてまともにプリントできたとき、私は声を上げそうになるほど嬉しかった。これだよこれ、私の世界がここに在るよ、と。
ようやっと仲間を見つけたかくらいに、私は嬉しかった。まだ濡れている印画紙を抱きしめて、涙がぽろぽろ零れるのに任せた。そのくらいに嬉しかった。

何年かして、徐々に徐々に世界が色を取り戻し始めて。でも、何故だろう、今度は、違和感を覚えた。ずっと憧れ追い続けてきたはずのカラーの元の世界なのに、そこに私は違和感を覚えるようになっていた。こんな色の洪水だったっけ、こんなに目を射るほどの色の洪水の世界だったんだっけ、ここは、と、戸惑った。たった数年間かもしれないが、色が失われたことによって、私はもう、モノクロの世界に馴染んでしまっていた。

今、確かに私の目は色の在る世界を映しだす。でも、私は何故か、そこから色を取り除いてゆく。そして最後に残るものは何なのか。それを探そうとしてしまう。

最近、必要に応じてカラー写真も撮るようになったが、私はそれをそのまま現像はしない。必ず減色させる。そうやって、私が納得のできるところまで減色して、作り出す。
それが私の、今の世界だ、と。

数年間で終わったはずのモノクロの世界は、初めそれは忌むべき世界だったのに、今ではこうして、親しい世界になった。私にとって落ち着く、落ち着いて呼吸のできる世界、それが、モノクロの世界。

2010年9月30日木曜日

街景

その日は陽光は燦々と降り注ぐ冬の日で。坂道を上りきったところに、ぺろんっと広がった野っ原があった。何の変哲もない、どこにでもありそうな、そんな野っ原。
空にはぽっかりぽっかり、雲が浮かび、ゆったりと流れてゆく。空は濃い水色を誇っており。私はしばし、その景色の前で佇んでいた。

こんな光景は、ある意味何処にでもある。でも、私はそんな、何処にでもある風景が大好きだ。見つめれば見つめるほど、それは懐かしさをまして私の心に広がってゆく。あぁこれはあそこで見た光景に似ている、あぁあそこはあの街角で見た風景に似ている、そんなことを思いながら、私は光景を見つめる。

それでも思う。最近こんな、空き地が少なくなったなぁ、と。ぽっかり空いた窪地というか、野っ原が、なかなかない。私の近所の埋立地は、次から次にビルが建ち、もはや隙間は数えるほど。近所にはそもそも空き地というものがなく。つまり、こうした光景も、やがて「懐かしい記憶の中にある風景」に変わってゆくのだろうことが伝わってくる。

プリントしながら、私はふと、手前の草むらを、全部白く飛ばすことを思いついた。ネガ自体は、美しいグレートーンで出来上がっていたが、このまま焼いたのでは何となく私じゃぁない、そんな気がして。
「私じゃぁない」というその基準がどこに在るのか、今もまだ分からないけれど。ありきたりの光景を、もっと記憶の中の風景に近づけるというか、そうした作業を為すことが、私は好きだ。このまま焼いたのでは場所が特定されてしまうというとき、特定できないようにぼかしたり白く飛ばしたり焼き込んだり。そうすることで、特定の名前を失わせる。失わせることで、誰かの、記憶の中に、この景色が甦れば、と思う。

とりたてて特徴も何もない、何の変哲もない街景。
それがあなたの記憶の何処かで、リンクしてくれますように、と。そう思いながら、私はプリントする。

2010年9月29日水曜日

私が子供の頃、住んでいた町は、まだ砂利道で、空き地や山が周囲に在った。そのせいか、薄もたくさんあって、野原で遊ぶと必ず、薄の葉で手足のどこかを傷つけたものだった。
今、薄に出会うことが、本当に少なくなった。私の町には少なくとも、薄が群生しているところなど、どこにもない。
わざわざ電車に乗って、遠くの町外れへ行き、そこでようやく見つける、といった具合だ。

薄の穂、というと私は一番に、ふくろうを思い出す。
じいちゃんがよく作ってくれたのだ。
その頃、じいちゃんの家は千葉にあった。駅からじいちゃんの家に行くまでの、近道に、ちょっとした山道があって、そこには薄がたくさん生えていた。だから私と弟は、必ず薄の穂をたくさん抱えて、じいちゃんの家に行ったものだった。
するとじいちゃんは、待ってましたとばかりに、薄の穂を器用に編んでゆく。見る見るうちに、ぷっくりふくらんだふくろうが、出来上がっている。私と弟が、紙に書いた目をくっつければできあがり、だ。

あのふくろうたちは、あれから何処に消えたのだろう。私たちは必ずといっていいほど、じいちゃんの家から帰るときには、ふくろうの存在をすっかり忘れて、手ぶらで帰ってしまっていた。そしてまた次来ると、新しいふくろうを、作ってもらっていた。
片付けていたのはじいちゃんか、それともばあちゃんか。きっと苦笑しながら、仕方ないねぇ、まったく、なんて言いながら、片付けていてくれたに違いない。

娘に、薄って知ってる?と尋ねたことがある。何それ、と首を傾げられた。そりゃそうだ、この町に薄がないのだから、図鑑でも広げない限り、知ることはないんだろう。
なんだかちょっと、寂しい気がした。
そうやっていろんなものが、消えてゆくのだろう。徐々に徐々に。私たちの周りから。
自然と共棲していた頃の記憶など、きっとやがて、遥か彼方になってしまうに違いない。それが、寂しい。

2010年9月28日火曜日

小さい頃、自分にとって特別な道があった。小学校と自宅とを結ぶ、山道だ。通学路からは、外れている。
外れているが、私はそこをよく通った。ひとりきりの帰り道、必ずその道を使った。
山道はでこぼこで、小学一年生の私には、結構しんどかった。それでもその道を使うのには訳があった。
幼い頃、まだ昆虫たちが苦手でもなんでもなく、むしろ自分にとって親しい友達と思っていた私は、山道で出会う様々な昆虫たちに、いつも見惚れた。家に帰って図鑑で調べ、こっそり弟に教えたりもした。
また、その山道には、アケビや葡萄、栗の実がたくさん在った。それをよいしょっと木に登って取って食べる。これほどおいしいものは、他になかった。

引越しが決まって、その道と別れることになった。切なくて、一番高いところに座って泣いた。じきにこの辺りには大きな幹線道路が作られることも決まっており、ということは、この山道は、なくなってしまうことになる。
もう二度と会えない。そう思ったら、切なくてたまらなかった。

今、私が大人になり、娘も大きくなり。町はどんどん変化していっている。私があの頃得た秘密の小道なんて、何処にも見当たらない町の様子。娘にとって、大きくなって振り返ったとき、秘密の小道なんて呼べる場所は、きっともう、ないんだろう。

そう思っていたら、娘は実家の近くの山道を、見つけてきた。朝早く起きてそこへ行くと、栗鼠や狸に会える。栗も落ちてる。葡萄もある。あけびはさすがにないらしいが、小さな小川も流れてるらしい。
私は敢えて、その道に行かない。彼女の秘密の小道にしておきたいから。彼女が大きくなって振り返ったとき、あぁ、あんな道があったなぁと、そう思える場所にしておきたいから。

2010年9月27日月曜日

立つ

彼は丘の上にひとり立ち、じっと世界を見つめていた。
荷物は荷物かもしれない。それは永遠に変わらないものかもしれない。でも。
その荷物を重いとするか、それとも共にあるものとするか、それは、自分次第なのだ、と。そのことを、彼は今、思っていた。

あの時、何が起ころうとしているのか、全く分からなかった。
分からないまま、言われるまま、されるがまま、だった。
大人の言うことをききなさい。いい子にしていなさい。そういう父や母たちの言葉が、頭の中をぐるぐる回っていた。でも。
その結果はどうだったか。
彼は、自分の心がぐにゃり、折れるのを感じた。

それでも、普通になろう、普通でいよう、努力してきた。自分は人と違ってしまっているという思いがなおさら、普通でいよう、普通になろうと努力させた。それでも。
拭えなかった。
何も、拭えないどころか、ますます泥沼にはまっていくようだった。

でも。
もう、普通になろうとか、普通でいようとか、そんなことを思わなくてもいいんだ。
自分は自分であればいいんだ。
世界はただそれだけで十分に、自分を迎えてくれるものなのだ。
彼は、そのことに、気づいた。

今、彼はひとりで丘の上に立つ。
けれどそれは、独りではない。彼の周りには世界が渦巻いており、世界が彼を取り囲んでおり、彼を抱きしめている。
彼は決してもう、独りではない。

2010年9月25日土曜日

突き刺さる木片

砂の丘に見つけた木片。
まるで、今の自分のようだと思った。二本の木片にひっかかって、辛うじて立っている枝。二本の木片の、どちらかでももし傾いたら、自分は堕ちる。
そう、思った。

海は轟々と唸り声を上げて砂浜を嬲っていた。雲は風に飛び、一瞬も同じ形では在り得なかった。彼の周りで世界は、動き続けていた。

まるで自分ひとり、取り残されている。
一瞬、そう思えた。

思った瞬間、いや、違う、とも思った。自分をここから風が押し出そうとしている。一歩を踏み出せと、風が背中を押している。海は自分を呼び寄せ、抱きしめてやろうと両手を差し出しているようで。
あっと、彼が声を上げたのはその時だった。
そうか、世界を拒絶していたのは自分で、世界が自分を拒絶していたわけじゃないのだ、と。そのことに、気づいた。

轟々と唸る海と共に、彼は泣いた。
荒れ狂う空と風と共に、彼は泣いた。
もう、いいんだ、あのことを過去にして、いいんだ。
世界はいつだって自分に向かって開けていて、そう、自分はひとりきりなんかじゃぁなかったんだ、と。
彼は、泣いた。

海は風は雲は砂は。
そんな彼を、ただ、見守っていた。
木片は揺れながらも、しっかと足を踏ん張り、砂地の上に立っていた。

2010年9月24日金曜日

ひとり、立つ

それは荒れ狂う空の下。砂地の広がる場所で、ひとり、立っている男がいた。
彼は幼少期、性的悪戯を受け、それを長いこと引きずって歩いていた。
彼には打ち明ける相手もいなくて、だから余計に、荷物は重かった。

もしあの時、あんなことがなければ。自分はまた違った人生を歩めたのかもしれない。
もしあの時、あんなことがなければ、自分はもっと幸せになれたのかもしれない。
もしあの時。

もし、という問いは、いつまでも続く。
でも、もし、は、やっぱりあくまで、もし、であって、現実にはならない。
決して。

もがいていた。足掻いていた。どうにかこの穴から抜け出そうと。何度も試みた。何度も抗った。それなのに。
荷物はまるで重石のように、足に絡みつき、彼をひっぱるのだった。

それでも気づいたら、もうじき四十を数える歳。
自分はこれまで一体何をしてきたのだろう。ふと思う。
あの時のことをここまで引きずってあるいて、自分はここからもまたさらに、この荷物を引きずって歩いていかなければならないんだろうか。
そんなのいやだ。
彼は、叫んでいた。いやだ、いやだ、いやだ。もう、いやなんだ、と。

荒れ狂う空の下、砂地の広がる場所で、その頂に立って、彼は叫んでいた。
その叫び声は、荒れ狂う空に風に、轟々と塗れていった。

2010年9月23日木曜日

砂紋

その場所を訪れて、何が落ち着くといって、それは美しい砂紋の姿だ。一体誰がこんな紋様を描くことができるのか。風と砂とが描き出していると分かっていても、ついそのことを尋ねたくなるほど、それはいつも美しい。

砂紋が一番美しく見えるだろう丘の端に座り込み、ただじっと、砂紋を見つめて過ごす時間。見つめていれば見つめているほど、それは徐々に徐々に変化し、表情を変えてゆく。決してひとところに留まることは、ない。

私は砂紋を見つめていると、いつも、人の人生を思い浮かべる。
人の生き様をもし模様にしたら、多分こんな模様になるんだろう、と、そう思う。今という、現在というその一瞬を境に、過去と未来とが在って、でもそれは、ほんのちょっとのきっかけでいかようにも変化し得るもので。
そう、決してひとところに留まっていない。同じ道を歩いていたとしても決してその道の凹凸は同じではない。そんな様。

樹の年輪にも似ている、と思う。
たとえば同じ土の上に落ちた種であっても、ほんのちょっとの陽の当たり具合、風の流れ具合で全く育ち方は異なってくる。そしてそれが刻む年輪も、これもまた大きく、異なってくる。決して同じものは、存在し得ない。

私たちはよく、自分と他人とを比べてしまう。私なんてよく、他者のありようを妬ましく思って自己嫌悪に陥る。そんなものだ。
でも。
本当は比べようのない人生であることも、知っている。

そう、比べられないのが人の生き様だ。ありようだ。
たとえ同じ言語を使っていようと、似通った環境に育とうと、人はそれぞれ違う。同じ事故を経験したとしても、その事故から得るもの失うものは、その人それぞれで、違ってくる。受け止め方は、本当に、人それぞれ、だ。

だから美しい。
唯一無二のものだからこそ、美しい。
この砂紋も、人の生き様も、何もかも。唯一無二だからこそ、美しく、いとおしい。
あなたはそう、他の誰でもない、たったひとりの、あなた、で、
私もそう、他の誰でもない、たったひとりの、わたし、なのだ。