2010年11月29日月曜日

掠れた紫陽花

紫陽花の花というのは不思議な花で。花びらが散り落ちることがまずない。
じゃぁ椿のようにぽてっと花が丸ごと落ちるのかと思えば、それもない。
季節を越えて、花はドライフラワーのようになって枝にくっついている。

夏も終わりの頃、川沿いの道に紫陽花が群れをなしていた。花はもう時期が終わり、すっかり荒廃していた。撒き散らされる排気ガスをたっぷり浴びて、花の色はもうほとんど失われ、汚れに汚れた姿でそこに在った。

手を伸ばそうと伸ばしかけて、私はふいに手を引っ込めた。
触ってはならない、そんな雰囲気が、花には在った。
もう花の時期はとうの昔に終わって、いってみれば枯れた花だというのに、それでもその存在感は大きかった。私はまだ終わりじゃぁない、と、まるで厳然とこちらに申し立てているかのように見えた。

もとはピンク色の、かわいらしい花だったのだろう。その片鱗が花びらの片隅に残っている。でも今はもう、すっかり汚れた、荒れた姿、だというのに。
花は主張していた。私はまだ終わっていない。終わっちゃいない。触れてくれるな、と。

どのくらいそうやって、花と対峙していただろう。私は持っていたカメラを構え、花を切り取った。
後日、プリントしながら、思った。
これが彼らの品格なのだ、と。
どんな姿になろうと、自分は花だという品を失わない、その姿勢が、何処までも何処までも貫かれており。

こんなふうに私も立つことができたら。
思わずそう、思った。

2010年11月26日金曜日

立つ人

もうそろそろ、終わりにしようか。
そんな頃だったと思う。
彼女がすっと、波打ち際に立った。

少しずつ少しずつ荒れ始める海の様子。
その、波打ち際に立った彼女を、取り囲むように流れる波。
まるで波と一体と化すかのように、彼女はそこに立っていた。

ピントも何も確認する暇なく、私はシャッターを切った。
今この瞬間、が、欲しかった。
他のどの瞬間でもない、今この瞬間。
彼女と世界とが一体になった、その瞬間を。

その時、打ちつける波の音は消え、びゅうびゅう吹き荒ぶ風の音も私の耳から消え失せた。あるのはただ、彼女の立ち姿。
世界と一体と化した、彼女の立ち姿。

立っている人の姿を、これほど美しいと思ったことは多分これまでなかった。
かわいいとか、きれいとか、そんなんじゃない。ただ美しいのでもない。
凛と、美しい。
そう思った。

あんなふうに、いつも世界と一体になって歩いていけたら、どれほど素敵だろう。
いつも思う。
世界と溶け合いながら、かつ、その足で立つということを忘れずに歩いていけたら、どれほど素敵だろう。

世界がどうやっても、遠くて遠くて、かけ離れて、もう手の届かないところにしか存在しないという時期があった。世界と自分との緒は切れてしまったのだ、と、そう思った。でも。
世界はいつだって開けていて。私が手を伸ばしさえすれば、届くところに、在ったのだ。そのことを、ずいぶん時間を経て、知った。

私は確かにこの、砂粒ひとつにも満たない存在かもしれない。これっぽっちの存在かもしれない。でも、それでも、この世界を構成している分子の一つ、細胞の一つであるということ。私がいなかったら、世界もまた違っているということ。
それだけ私もまた、確かな存在なのだということを。

気づくまでに時間がかかった。

気づいて、そうして日々を営むようになって、世界はがらりと変わった。モノクロだった世界が色を取り戻し始め。音を取り戻し始め。感触を取り戻し始めた。
今私は、色の溢れる世界の中に住む住人の一人ありつつ、あのモノクロの世界をはっきりとありありと今も覚えている。
それでいいと思っている。その両方を、私は失いたくない。

2010年11月22日月曜日

花と女



何という名前の花だったのか、もう覚えていない。その時の撮影に、私は、見かけがごつい花をあえて選んで、三、四本持っていった。
モデルになってくれる彼女はとても華奢で、だから彼女の姿からしたら、このごつい花はかけ離れたイメージがある。でも。
何故だろう、どうしてもその花が気にかかって気にかかって、だから私はその花を選んで持っていった。

砂丘の、只中に立った彼女の、後姿を捉えた時、気づいた。あぁここだ、ここにあの花が必要だったんだ、と。
百八十度、まっすぐの地平線、そこに立つ華奢な彼女、そして。
その彼女を飾るように、あの厳しい花々。

そして改めて気づく。彼女はとてもとても華奢で可憐な人なのだけれど、とても骨太だということに。そう、一本ぐいっと芯が通っている。その外見からは想像もつかないほどの強い太い芯が、通っている。
あぁだから、この花だったんだ。私はカメラを構えながら、改めて頷く。

天気はどんどん崩れてゆく気配。その気配に、もし彼女が華奢なだけの人だったら押し潰されていたかもしれない。でも。そうならない芯の強さが、そこに在った。

走る

いつの間にか空を覆い始めていた雲。でもその向こうには確かに太陽が在り。
雲を透かしてその陽光が舞い降りてくる海の上。砂の上。
白銀の道が生まれる。

その道を追いかけるようにして、彼女は走った。
海岸を、まさに波が砕けるその場所を、彼女は走っていた。

その日風が強くて、砂にうつ伏せになってカメラを構えるたび、砂嵐にばしばし叩かれた。でも、彼女の足取りは強く、何処までも強く、細い体でしかと、砂地の上を走っていた。

打ち寄せる波の音はいつの間にか遠ざかり、私の内にはただ、彼女が砂を踏むその確かな音だけが響き始める。彼女とは距離がこんなに離れているはずなのに、その音は確かに私の内に響いて。
それはまるで一枚の画のような、光景だった。

カメラを構えていると、よくこういった状況に陥る。自分が捉えた光景の音しか自分の内に響かなくなる、という時間が。その間、私はいつ自分でシャッターを切っているのか、殆ど意識していない。意識しないところで次々シャッターを切ってはピントを合わせ、彼女の姿を追いかけている。
彼女にとってはどうだったんだろう。走っている彼女にとっては。それを問うたことはないから、私には分からないけれど。

だからプリントして初めて、その時の光景がありありと、まざまざと立ち現れる。そして私はあの瞬間に引き戻される。暗室の中にいるはずなのに、私の内側から彼女のあの確かな足音だけが、ざっざっざっと、響いて溢れ出す。
そして私は何度でも体験する。あの、被写体と自分とが溶け合う瞬間を。

2010年11月17日水曜日

海と空と、

そこにはただ、海と空があった。
まだ世界が白黒でしか見えなかった時期、私にはそれはまるで、渾然一体となった空と海だった。
それはどこまでもどこまでも広がっており、視界全て、海と空とで。

そこを一隻の舟が、ゆっくり、ゆっくりと横切ってゆく。
乗っているのは二人ほどか。

その舟の存在によって、私は海と空との境を知る。あぁあそこがちょうど、境目なのだ、と。

白黒の世界の住人に、一度でもなったことがある人なら、分かるだろう。
色によって作られる境界が、白黒では曖昧になるのだ。だから、何処までも何処までもモノクロが続いていくようにさえ見えることがある。
それは本当に曖昧で。だから、不安に、なる。

目の前に広がる海と空と、そして一隻の舟と。
私の目の中ではそれは果てしなくモノクロで。
隣に立つ娘の目の中でそれは果てしなくカラーでもって。
こんなに近くに立って、手を繋いでいる者同士なのに、見える世界がこんなにも違っていて。

だから思うのだ。
どんなに似通った体験を経ても、感じることは人それぞれ。思うことは人それぞれ。
決して同じであるわけがない。
だから私たちは言葉を持ったのだ。きっと。
違いを知るために。

言葉の使い方を一歩間違えれば、それは刃になる。
だからこそ、大事に使いたいと思う。
あなたと、わたしと、その違いを知って、互いに受け容れるためにこそ。
言葉を用いたいと、そう思う。

2010年11月15日月曜日

昇りつめた先に、

誰にでも、しんどいときは、ある。しんどいときというのは、何もかもがマイナスに見えて、起こる出来事起こる出来事すべてが下向きに見えて、だからなおさらにしんどくなる。
もうこれでしんどいことは終わりだろ、と油断していると、最後にかっつーんと脳天を叩くような出来事が降ってきたり。だからもう、立ち上がる隙間もないほど、落ち込む。

もう駄目だ、もういい加減駄目だ、これで終わりだ。
そう思って、ばたんと地べたに倒れ伏す。
じっと、倒れ伏して、そうしていると、自然、地べたの体温がこちらに伝わってくる。
それは不思議なほど温かくて。

そして耳を澄ますと、鼓動まで聴こえてくるから不思議だ。
とくん、とくん、とくん。

そうして気づく。
生きてる。まだ生きてる。自分はまだ、こんなになってまでも生きてる。
そのことに、気づく。

そうか、ここは地の底か。堕ちに堕ちた、地の底なのか。そうして上を見やると、点のようにしか見えない僅かな光。まさしくそこは地の底で。
でも、不思議なことに、堕ちるところまで堕ちると、あとは、這い上がるだけ、とも言える。

だから私は登る。地の壁に指を食い込ませ、必死に登る。点のような光の存在を信じて、ひたすら登る。途中、爪が割れることだってあるだろう、登ったつもりが滑り落ちてしまうこともあるだろう。それでも。
点だった光が輪になり、やがて一面光の海になり。

あぁ、ようやっと上がってきたのだ、とあたりを見やれば、それはもう光の洪水で。
そんなとき、私は、あぁ生きてる、と感じることができる。そして自分の心臓が、間違いなく脈打っている、その音を聴くことが、できる。

だから今日も、昇る。一歩、また一歩、時にずり堕ちることがあっても、それでも、信じて昇る。この先にきっと、私の待つ世界が在るのだと、そう信じて。

2010年11月12日金曜日

真っ青な空の下、

その日、空はこれでもかというほど澄んでおり。真っ青に、澄み渡っていた。
そんな空の下、私は彼女と会った。
冬も終わりの、頃だった。

工事現場の、金網に縋りついた彼女が、ぽつり、言った。
鍵が開けばいいのに。
開いたら向こう側へ行けるのに。

近親姦に苦しみ続けた彼女にとって、この今目の前にある金網は、彼女を取り囲む金網に見えていたのかもしれない。どこにも逃げられない、どう逃げても捕まってしまう、そうして餌食にされる。彼女の声にならない悲鳴は、いつだって誰にも届かないままで。

鍵のかかった錠を握り締め、こんな錠、壊れてしまえばいいのに、と彼女が言った。
私も、壊れてしまえばいい、と、心底思った。

そうしたら逃げられる。追っ手から逃げることができる。

近親姦の怖いところは、そういうところだと思う。密室という家の中で起こるから、何処にも助けを求められないし、逃げ場もない。

彼女が小さい声で言った。私は絶対、向こう側に行くんだ。
と。

空は青く青く青く。澄み渡り。風が流れていた。彼女の小さな声は、風が運んでいった。そして私は祈る。彼女の地獄が一日も早く終わりますように。彼女が解放されて、羽ばたいていける日が必ず来ますように。

来ますように。

2010年11月11日木曜日

暗闇の花

その年、私はアネモネを育てた。儚さを全身に纏った花で、どこまでもどこまでも微かだった。
その花も、もう終わりの頃、ふと思いついて、カメラを持ち出した。

このかそけき花を、何処まで写真にできるだろう。
そう思いながら、カメラを構えるのだが、全然シャッターが切れない。
困った。

アネモネは、私の感じるイメージだと、光の花だ。溢れる光の中、微かな風に揺れながら咲く、そういう花に思える。
でも。
そのままじゃ撮れない。私には、撮れない。そう思った。

そのまま真夜中になり。どうしてもアネモネが気になって、私は寝床から起き出した。その時、私は初めて、真夜中の、闇の中のアネモネを見た。

闇の中、彼らはふわぁっと浮かび上がるようにして咲いており。それは、妖しく。昼間の姿とは全く異なる姿を晒していた。
この花は、こんな姿も持ち合わせていたのか、と、私は初めて知った。

そうしてシャッターを切った。

あれ以来、アネモネは育てていない。一年で終わってしまう花は、どうしても育てるのに躊躇する。だから今私のプランターにあるのは、薔薇の他にはムスカリ、イフェイオン、スノードロップといった、放っておいても次の年また芽を出す者たちばかりだ。

そうして改めて思い出す。アネモネの、あの、真夜中の姿を。
それはまるで、夜の女王のようで。儚さの向こうにしぶとさを秘めているかのようで。妖しく輝いていた。

いつかまた会うときがきたら。
その時もきっと私は、夜のアネモネを撮るのだと、思う。

2010年11月8日月曜日

花と瞳

Mちゃんのことをそれなりに長い間撮って来たけれど、彼女はいつでも、凛と立っている人だった。
彼女の幼少期、いじめやらなにやら本当に大変だったことは、さらりと彼女が語ってくれたことで知っている。
でも本当に彼女は、そういったことをさらりと語るのだ。決して重く語らない。どこまでもどこまでもさらりと話してくれる。

今振り返ると、私はMちゃんのことを何処まで知っていたのだろう、と思う。何処まで理解していただろう、と。
Mちゃんはどんなときでも、一本筋が通っていた。
失恋したときも、挫折するときでも。

だからかもしれない。私はMちゃんのそういう姿勢に、とても憧れた。
そして何より、彼女の目に憧れた。

真っ直ぐで、曇りない眼。人を射るわけではないのだけれども、真っ直ぐに向かってくるその瞳は、こちらを捉えて離さず。気づくと虜になっているのだ、彼女のあの瞳の。

その瞳は、彼女が語ろうとしない彼女の生き様を、しかと見届けてきているのだろう。だからこその真っ直ぐさなのだろう。

最近会った時、彼女が、私ってば目力が衰えてきた気がするのよぉ、とおどけながら話していた。私もその時、彼女に合わせて笑った、が。
年齢を重ねた分、柔らかくなったけれど。でも。
彼女の瞳の奥に秘められた輝きは、ちっとも変わっていず。
あぁ、目は口ほどにものを言うというが、本当だな、と、私に思わせるのだった。

2010年11月4日木曜日

眠り

眠りはいつでも、私から遠かった。幼い頃から、ちゃんと眠れたと思って起き上がって時計を見ても、たいてい四、五時間。病を持ってからは、薬を服用しても三時間前後。

だから幼い頃はいつも、出窓で時間を過ごした。出窓に毛布を引っ張って行って、そこでちょこねんと体育座りをし、空を見上げて過ごした。
真冬でも窓を開け、外との境をなくし、白い息を感じながら、何を考えるでもなく、何を眺めるでもなく、ぼんやり過ごす。その時間は、だんだんと私にとってかけがえのない時間になっていった。

どんなことを想像していても咎められたりしない。思う存分花の香りを楽しんでいても、風の匂いを感じていても、誰にも変に思われたりしない。そういう時間。
日の光が溢れる明るい時間には、考えられないことだった。そういう時間は、人の目が気になって、突き刺さってきて、とても自分の内奥に浸ってはいられなかったから。
私の中から物語が生まれるのも、たいていそういう時間帯だった。

そしてまた、弟と紡いだ時間も、そういう、人が眠っている時間帯だった。
コンコン、と、小さな音がして、扉が開く。弟が顔を覗かせる。私は床に弟の場所を作って迎え入れる。そうして朝まで、朝父が起きてくる直前の時間まで、あれやこれやと語り合った。
あの頃はそう、父や母の話が殆どだった。どうやってこの父や母の手から逃れるか、そればかり私たちは話していた。そして逃れた先で、どんなことをしたいか。私たちはもう、夢中になって語り合った。

今私の隣には、娘が眠っている。娘は私と違って、真夜中に起きることもなく、朝までぐぅぐぅ眠る子だ。そんな娘の眠りを見やりながら、私はぼそぼそと、本を開いたり、天井を眺めたりして過ごす。

転寝するMちゃんの横に、花を飾り、シャッターを切った。
誰の眠りも、邪魔されることなく安らかでありますよう。
私のような子供が何処かにいるかもしれないけれど、それはそれで、彼らの想像の翼が、何処までも広がっていきますよう。
祈りながら。

2010年11月1日月曜日

視線=私線

彼女の何処に惹かれるって、それは彼女の目だ。
真っ直ぐにこちらを捉えて離さない、そういう目をしている。
決してねじれもよじれもしない。真っ直ぐに向かってくるその目、視線。
私はいつも、それにやられてしまう。

最近、目を合わせて話をする人が、昔より随分少なくなったように思う。宙を漂う目、そっぽを向いたままの目、俯いて決してこちらと合わせようとしない目。
目が大好きな私としては、そのたび寂しくなる。心の中ひっそりと、寂しくなる。そしてつい、言いたくなってしまう。ねぇ、こっち見て、と。心の中で。

射るような目にも、損なところがあって。うちのお嬢は、その真っ直ぐな目ゆえ、しょっちゅう電車で絡まれる。「おまえ何こっち見てんだよ」「睨んでんじゃねぇよ」と、中学生くらいの子たちから、絡まれる。私がそばにいるときなら構わないのだが、一人のとき、彼女はどうするのかと尋ねてみると、それでも絶対目を逸らさない、と言う。いやいや、そういうときはさりげなく目を逸らさないと、怖いことになるかもしれないから、と言う私を抑えこみ、「だってこっちは何も悪くないのに。なんで向こうの言う通りにしなくちゃいけないの。私の目はこの目なんだよ。とりかえようがないんだよ」と、言った。そこには少し、怒りも含まれているような、そんな勢いだった。

本当は。本当は、それでいいと母は思っているんだよ。多少の小競り合いが起きようと、それはそれで、やってみればいいと、母は思っていたりするんだよ。なんだか無責任だけれども。
目がどれほどに物を言う代物かを、自分で覚えて感じていかなければ、目と付き合っていくこともできないだろうと思うから。

そして何よりこの母は、その真っ直ぐな君の目が大好きだから。Mちゃんの目しかり、お嬢の目しかり、こちらが隠していることまでも暴いてしまいそうなほど鋭い真っ直ぐな目は、もうそれだけで脅威ではあるけれども、でもそれは、素晴らしい宝物だと私は思うから。

あの時、Mちゃんの真っ直ぐな目と対峙しながら、私は、余計な心の垢がざぁっと取れていくのを感じていた。
言い訳も何も通用しない、でもそれが心地よい、そういう場所で、彼女の目に見守られながら写真を撮ってゆく。そこにもう、嘘など入る余地は無く。

目と目の合わさるところに、そう、できるなら、嘘など在って欲しくない。せめてそこくらいには、露な心があってほしい。

天国への梯子

うちにしばらく身を寄せていた彼女を誘って、マンションの屋上へ上がった。うちのマンションは、屋上に洗濯物を自由に干せるようになっていて、だから出入りが自由なのだ。
屋上からは、隣の小学校が丸ごと見下ろせた。小さめの校庭、小さめの校舎、おまけのように端っこにあるプール。全部が見渡せた。

その日、天気がよくて、空は青く青く澄んでおり、その空に、雲がもくもく、と、浮かんでいた。風も心地よく、屋上でひとときを過ごすには、まさにうってつけの天気だった。
高いところが好きな彼女は、ふと見ると、屋上からさらに高みに上っていた。私はそんな彼女を、彼女がしたいように放っていた。もし誰かに注意されたら、その時考えればいいや、なんて、暢気に構えていた。

すごいよ、さをりさん、空に手が届きそうだ!
うん、こっから見てても、そう見える。
空が近い、とっても近いよ!

うちに来て、彼女がこんなにはしゃいだ声をあげるのは、多分この時が初めてだったんじゃなかろうか。昔彼女は、よくそんなふうにはしゃいだ声を上げていた。でも、ここしばらく、電話でも何でも、彼女の声は沈んでいるか、飲んだくれているか、だった。その彼女が、あの声を出している。
それだけで、私はもう、嬉しかった。

このままさ、この梯子昇って行ったら、天国につけるかな。
うーん、そりゃ、ちょっと無理かも。梯子が短い。
そんなぁ、現実的なこと言わないでよ。
ははは。それにしても、空がきれいだね。
うん!

彼女は喋りながら、笑っていた。笑いながら、喋っていた。
そして多分、この時が、初めてだった。うちに来て、彼女が自らカメラを構えたのは。私は、嬉しいという言葉を飲み込んで、ただその彼女の姿を心に刻んだ。

空は何処までも何処までも澄んで。
やさしく彼女を、見守っているかのようだった。