2014年1月29日水曜日

少女へ


ぽてっと腹が出ていた頃から
手足がすっと長く伸びてきた頃。
気づけば君はすっかり幼児から「少女」に変わっており。

なんだか眩しくて。
正直母は、君を正面から見つめるのが照れくさくなるほどだった。

君の目は容赦なく
レンズの向こう側から私を射るから
私もそれに応えようと
足を踏ん張ったりして。

そうやって時間はどんどん
積み重なり

私の後ろをついてあるいていた君はもういなくなった
いつだって私の前を
すっと歩いてゆく少女に なった

2014年1月27日月曜日

シャボン玉


シャボン玉遊びが大好きな娘だった。
学校の後普段は学童へ行く。
でも私が家で仕事をしている日だけは学童へ行かずこっそり私の家へ戻ってきたりする娘で、そういうときはたいてい、彼女はシャボン玉をひっぱりだしてきた。

ベランダで、ぷー。
外に向かってぷー。

夥しいほどのシャボン玉が生まれては消え、消えては生まれ。
彼女はそのたび、にぃっと笑って手でシャボン玉を追いかけるのだった。

いつごろだろう。
気づいたら彼女は、シャボン玉を卒業していた。
今じゃきっと、彼女はすっかり忘れているんだろう。
そして彼女が子供を育てる頃になって
その子供がシャボン玉に興じる姿を見、はっと思い出す日が来るんだろう。
いつか。いつの日か。

2014年1月24日金曜日

凛とした、


冬が好きだ。
とてつもなく好きだ。

凍え切ったりんりんと張り詰めた大気、凍るように燃える夜明け、
葉が落ちた後の枝に張り付いた固い固い新芽。

どれもこれも
私の琴線を震わせてやまない。

そして。
みっちゃんは、冬がとてもよく似合うひとだ。
それはきっと、彼女の生き方、生きる姿勢にあるんだと私は思っている。
悩むだけ悩んだら潔く立ち上がり足を踏み出す、
過ぎ去ったことは笑い飛ばし、
そして何より、
まっすぐであるということ。

凛としたひとが好きだ。
凛としたひと、凛とした季節。
世界は矛盾で満ち満ちている。凛としたものばかりでも、筋の通ることばかりでも、ない。むしろ
そういったモノたちが忌み嫌われることが多かったりもするのだけれど。

それでいい。
ありとあらゆるものが混在している、ありとあらゆるものが抱かれている世界。

そんな世界に、私たちは、生きて在る。

2014年1月22日水曜日

【明るい映画館】という試み

現在上映中の映画『Plastic Love Story』。
それに出演している友人の廣瀬君が、今回、私の何気ない言葉をしっかり受けとめてくれて、しかもこうして実現させてくれました。
「暗いところがだめで普段映画館に行くことができない」ひと、ぜひこの機会を使って映画を楽しんでください!

 http://tokyonewcinema.com/?p=2452

詳しい情報は上記ページに記されています。
1月30日、13時30分からの回です。

上映映画館は、下北沢のトリウッドというところです。

http://homepage1.nifty.com/tollywood/map/map.html

 

あなたの近くにいる、映画館でなかなか映画を楽しめない誰かに、
どうぞ伝えて。
そして今回の機会を、ぜひ、使って、映画館で映画を楽しんでほしい。

いろんなひとたちに、この情報を伝えてほしい。

よろしくお願いします。

なお、ここで予告編を見ることができます。

『Plastic Love Story』予告編
http://www.youtube.com/watch?v=LAKZdtctlKU

二人三脚の日々


小学校に入って、学童にお世話になった。
たまたま美術系大学出身の指導員さんたちに囲まれた学童で、
手縫いのお手玉やら、縫い物やら。ミサンガの作り方まで、彼女は学童で教えてもらった。
新しいことを教えてもらった夜には、彼女はたいがい自慢げに私にそれを披露してくれるのだった。

彼女が学校でたちのわるい虐めにあっていたとき、
真剣に耳を傾けてくださったのもまた、学童の指導員さんたちで。
もし指導員さんたちがいなかったら、
母と娘ふたりきり、一体どこへ行きついてしまっていたことか。

娘と私の二人三脚は、いつだって、
そうやって多くの周囲のひとたちによって、支えられていた。

それでも。
彼女は微妙に、心に扉をもっていた。
その扉は本当によく、簡単にしまってしまう敏感な扉で。

そんな彼女と定期的にカメラのこちら側と向こう側、向き合うと、
決して媚びない、それでいて震えたまっすぐな眼差しが
私を射るのだった。

2014年1月21日火曜日

たとえば


たとえば。

こんなふうにただ、ただ、ただ、
膝を抱いて蹲っていたい夜がある。

何もできない
何も思えない
何も願えない
そんな、夜には

たとえば。

こんなふうにただ、ただ、ただ、
闇が沈黙してしまう夜がある。

何もかもが眩しすぎて
何もかもが儚すぎて
何もかもが嘘のようで

たとえば。

2014年1月20日月曜日

にこにこふわふわ


私が産後すぐ体を壊したせいで、彼女は生後半年してすぐ保育園に入れられた。
迷惑だったろう、と想像する。いきなり知らない世界にその年齢で入れられて、何がなんだか分からない毎日だったろう。

保育園に朝送りに行くと。
たいがい入り口が込み合っている。理由は簡単で、赤子がみんなして泣いているからだ。
かぁちゃんかぁちゃん、と、かぁちゃんの手を求めて泣き喚いていて、ためらうお母さん方でごった返している。
そんな中、
彼女は違っていて。
にっこり笑ってふわふわと手を振る。
保育士さんが「いい子ねぇ」と褒めるとさらにふわふわ手を振ってにこにこ笑い、私を見送ってくれる。
そんなんだから、私は逆の意味で躊躇ったんだ、いつも。
大丈夫なんだろうか、この子は私に気を使ってこんなふうにしてるんじゃなかろうか、
本当はつらいんじゃなかろうか、なんてあれこれ想像して。

逞しい子だった。
でも同時に、
とても孤独な子だった。
マイペースで、自分のテンポを頑なに変えようとしない、
幼い頃からそういうところがあった。

そんな君は。
走るときさえにっこにこ笑って走ってたっけね。
みんな、走るのがよほど好きなんだね、って言ってたけど。
本当はどうだったの?

いつか、教えてほしい。

2014年1月18日土曜日

お絵描き


娘は。
お絵描きの好きな子だった。彼女がひとりで遊んでいるときはたいがい、スケッチブックが友達だった。クレヨン、絵の具、サインペン、描き出すと黙々と作業していた。

彼女の絵はいつだって、誰かとふたりの絵だった。
尋ねたら、
ひとりは寂しいから。私はいつもママといるから。
という返事がいつだったか返ってきたことがある。
そうか、彼女の中にはお父さんという項目はないのか、と
少し寂しくなったことを覚えている。

でも。
それは当然なのだ。二、三歳で離婚し、物心ついたときには私とふたりきり、
二人三脚で歩いてきた彼女と私。
お父さんなんていう項目ははるかかなたの夢の物語だった。

私たちはよく、近所の公園にお絵描きにいった。
お絵描きといっても砂の上に絵を描くといったものなのだが、
つまり、スケッチブックだけでは足りなくて、地面に大きく描こう、ということで。
彼女は、描いていいよ、と私が声をかけると、もうその後は一心不乱、
夢中になってひとりで描き続けるのだった。

もちろん絵はその日のうちに、下手すれば描いているそばからなくなってゆく。
それでも私たちはかまわなかった。
描くという行為が楽しいのであって、描いたものを残して評価してもらう、なんてことは考えてもいなかったから。
だから毎日が、お絵描き日和で、ただただ楽しかった。

彼女があの日突然言った。
ママ、いなくならないでね。

地面には大きな大きな、ママの絵が描いてあった。

2014年1月17日金曜日

後姿


後姿というのはひとが思っている以上に多くを語る、
と私は思っている。
そのひとが表では隠している言葉を、背中が黙々と語ってしまうのである。
つまり、後姿は饒舌だ。

たとえば。
「いえそんなことありません、こちらこそありがとう」とにっこり笑って去ってゆく誰かの
後姿、肩のあたりを私は見つめる。
その肩の線が語るのだ。
ああなんてこと、残念でならない、こんなことなら・・・。
そんな声がありありと、聴こえてくる。

私は娘の後ろ向きの立ち姿がとても好きだ。
彼女の背中は多くを拒絶する。
そして、なぜか彼女の後姿は寡黙だ。
寡黙であるが故の、確固たる言葉を、持っている、と
私は感じる。

2014年1月16日木曜日

娘との対話


それまで私は、ごくごく普通に友人や風景にカメラを向けシャッターを切っていた。
或る日離婚するまで。

離婚して、何がまず困ったといえば、娘が休日私にくっついて存在しているということだった。
いや何とわがままなと言われるかもしれない。確かに私もそう思う。
しかし、それが本当に困った。

写真を撮りに行こうとしても行けない。
何をするにも彼女がくっついてくる。
一体何を撮ればいいんだ。

そう悩み始め、堂々巡りの日々を過ごしもした。しかし、或る時はじけるように気づいた。
あぁそうだ、彼女を撮ればいいのだ。

そうして彼女との対話が始まった。

彼女はまだ幼く、私の撮影についてくるなんて気分でもなく、
つまり、
彼女にとってはおそらく、ママと遊びに或いは散歩に出かける、という程度の気持ちだったに違いない。

でも、写真を撮りたくて撮りたくて仕方がない私にとって、一転、彼女は最高のモデルになり得た。集中力が短時間で切れることを除けば。

つまり。
短時間で撮るしかない。彼女の集中力が続いている短い時間である程度の代物を仕上げるしかない。その壁にぶつかって、私はあっさり諦めた。
彼女が気分の乗っている間だけ、カメラを向ける。それが途切れたら、さっさと引き上げる。

そうして何年。彼女と対話し続けているだろう。
最近では、写真撮りに行こう、と声をかけると、「おこづかい頂戴!」とのたまうようになってしまったが、それでも、彼女と撮ることをやめる気持ちはない。

カメラのこちら側とあちら側、対等になって、初めて見えてくるものが、ある。
それが面白いから、やめられない。
今では、写真を撮りにでかけることは、彼女の新たな一面を発見できる、大事な機会になっている。

2014年1月15日水曜日

ホルガ


私は結構ホルガというカメラが好きだ。
あのおばかなカメラが。

よくフィルムを巻き忘れ、あちゃ!という事態に陥るが、それもこのカメラの味のひとつになって、仕上がってみると結構納得いっちゃったりする。

計算しつくされて、隙間もないほど整えられたカメラよりも
隙間だらけ穴だらけの、ポンコツカメラが写し出す世界の方が
ずっと
余白に満ちていて、ほっとする。

余白というのは美だ。
私はそう思っている。
余白、余韻、そういったものがないと、私は窮屈さを覚える。どうにもこうにもお尻のあたりがむずむずしてきて落ち着かなくなる。
もちろん、むやみやたらに余白やら余韻やらを醸し出した作品は、それはナンセンスなのだけれども、あるべくしてある余白や余韻には、酔わずにはいられない。

ホルガ。
それは、隙間だらけ穴だらけの
余韻の世界。
そして私は、その世界がたまらなく、好きだという、こと。

2014年1月8日水曜日

やめてやる、と思う夜には / シリーズ michiko より

もうやめよう。もうやめてやる。こんなことになるくらいなら写真などやめてやる。
そういうふうに暴力的に思うことが、時々、ある。
写真なんざやめてやる。
思う傍から、私の心身は凍り付いていたりするのに。

それでも。
思わずにはいられないときというのはやっぱりあって。
だから、そういう夜は、必ずみっちゃんとの写真を見返す。
私の写真のはじめに、ずっと付き添っていてくれた絵描きの友人・みっちゃんとの写真。
彼女との時間はとても濃密だった。
ほんの数年という短い時間だったけれど、でも、きっとこれから先いつ振り返っても、
彼女との時間は濃密だった、と私は言うに違いない。

彼女が最初のモデルでなかったら。
今の私の写真はきっと、なかった。
彼女が最初のモデルでなかったら。
今の私の距離感はきっと、なかった。
そう思う。
そう思わせるほど、彼女の存在は大きかった。

もうやめよう。やめてしまおう。写真なんて。
そう思う程に、彼女が頭の中浮かんでくる。色濃く浮かんでくる。
私はそんなためにモデルになったんじゃないわよ、とあっさりばっさり言い切る彼女が
まるで目の前に立っているかのような気持になる。
彼女に、私がばしんと言い返せないかぎり、まだ、やめられない。
まだしばらく、ばしん、となんて言い返せそうにない。

大丈夫。
まだ、やめない。