2011年3月30日水曜日

開かない扉

それは短い急勾配の坂の上にあった。
ひとつの扉。
その扉が開くところを、これまで見たことがない。
いつでも閉まっている、そんな、暗い扉。

私の心は穴ぼこだらけで。気づいたときにはもう、穴ぼこだらけで、窓を閉めてみても、あちこちに開いた穴ぼこから隙間風がひゅるひゅると流れてくるという具合だった。
開かない扉はなく、いつでも蝶番が壊れているかのように、扉がぱたぱたとひらめいていた。
扉を持たないといけないよ、頑丈な扉を。
そう教えてくれたのは誰だったか。
もう、覚えていない。

扉を持たないといけないよ、頑丈な扉を。
言われたとき、その意味が咄嗟には分からなかった。だから問うた。どういう意味、ですか。
君の大切な大切なものを、守り通す頑丈な扉を、持たなければいけないよ、君は。
その人は確か、そんなことを、言った。

今なら分かる。その意味が、私なりに。
扉をいつでも誰にでも開け放しておければ、それに越したことはないのかもしれない。けれど。人には誰にも大切なものがある、それはたとえば秘密だったり、譲れない想いだったり、いろいろな形をしているのだろうけれども。
その大切な大切なものを、大事にしまいとおせる場所を、作らなくちゃいけない、と、その人は多分私に、教えようとしてくれたのだろう、と思う。

四十になり。
それでもまだ、私はそんな扉を作りきれていない。
気づくとあっちこっちの扉が好き勝手に、ぱたぱたと風に揺れてひらめいてしまう。そのおかげで、一体いくつのものを、いくつの人を、失ったろう。
もちろんそれゆえに出逢った人もいたけれど。それでも、失うものの方がずっと、多かった、気がする。

そろそろ私はその扉作りに取り掛かっていい頃なんじゃなかろうか。
今目の前に在る、開かずの扉をじっと見つめながら思う。
こんな扉を、私の内に。たったひとつで十分だから、ひとつで十分だから、もてるようになりたい、と。

2011年3月15日火曜日

積み上げられたブロックに座して

それは畑と畑の間の小道にあった。無造作に積み上げられたブロック。
ママ、これ何するもの?
何するんだろう? わからないなぁ。
ふたりして首を傾げる。
のぼってもいい?
いいよ。

それはとても晴れた日で。空には殆ど雲がなく、濃い水色の海からは魚が跳ね出してきそうなほどで。
ねぇママ、空はどこに繋がってるの?
空は・・・空だよ。うん。
何処に繋がってるの?
うーん、世界中に繋がってる。
あ、飛行機。
あ、そうそう、飛行機の道があるんだよ、空には。
飛行機の道?
うん、空にはね、飛行機の道があって、だから飛行機がぶつかったりしないでちゃんと飛んでいけるんだよ。
道、見えないよ。
うん、見えない道なの。
どうやったらそれが分かるの?
いっぱい勉強して、空の道のことについて勉強して、それで覚えるんだよ。
ふぅーん。

娘が突然手を打ってこんなことを言う。
ねぇママ、ママが迷子になったら、空の道使って探しにいってあげるね。
ママ、迷子になんてならないよ。
いやいや、ママは時々ふらふら歩いてるから、迷子になる時もあるよ、絶対。
ははははは。じゃぁその時はよろしく。
よし!

ふたりしてしばらくそうしてじっと空を見上げていた。首が痛くなるまで。ふと振り返ると。
ブロックに座した娘が、空に溶けていきそうな気がした。

2011年3月2日水曜日

白樺の原で

その森には所々、白樺が群生する場所があって。
私はその場所が、いっとう好きだったりする。

白い白い節くれだった幹。所々その樹皮が薄く剥けている。娘がそれをそおっと引っ張っては、薄皮を集めて回っている。
それ集めて何にするの? 秘密。ええー、教えてよ。まだ決めてない。あ、そうなのか。じゃぁなんで集めてるの? 綺麗だからに決まってるジャン! 娘はそう言ってにぃっと笑う。

この場所で白樺に出会うまで、私は白い樹皮を持つ樹があるなんて知らなかった。以来私はこの樹に魅せられている。
何といえばいいのだろう、どこか優しく、同時に厳しく、まっすぐに立つその姿が、私にはたまらなく凛々しく見える。
その凛々しさが、私に憧れに近いものを抱かせる。

そんな背の高い樹でもない。ほどほどの高さの樹。それでもその白い樹皮のせいだろう、ぱっと目に付く。
何処にいても。

ママ、これは白樺の赤ちゃん? どれ? これ。あぁ、そうだね、葉っぱの形がおんなじだ。ここに種が落ちて、今、芽吹いてきたんだよ。へぇっ! 樹も種で増えるの? そうだね、そうやって飛んでいって何処かに舞い降りて、根を張るんだよ。

娘が今度はどんぐり拾いに夢中になっている。私は何となく白樺の枝に手をかけ、少しだけ木登りしてみる。ぐいっと世界の高さが変わり、娘が小さく見える。

白樺よ、荒地にも根付くという強い白樺よ、私たちをどうか見守っていて欲しい。この子が大きくなるまで、どうぞ。