2010年9月30日木曜日

街景

その日は陽光は燦々と降り注ぐ冬の日で。坂道を上りきったところに、ぺろんっと広がった野っ原があった。何の変哲もない、どこにでもありそうな、そんな野っ原。
空にはぽっかりぽっかり、雲が浮かび、ゆったりと流れてゆく。空は濃い水色を誇っており。私はしばし、その景色の前で佇んでいた。

こんな光景は、ある意味何処にでもある。でも、私はそんな、何処にでもある風景が大好きだ。見つめれば見つめるほど、それは懐かしさをまして私の心に広がってゆく。あぁこれはあそこで見た光景に似ている、あぁあそこはあの街角で見た風景に似ている、そんなことを思いながら、私は光景を見つめる。

それでも思う。最近こんな、空き地が少なくなったなぁ、と。ぽっかり空いた窪地というか、野っ原が、なかなかない。私の近所の埋立地は、次から次にビルが建ち、もはや隙間は数えるほど。近所にはそもそも空き地というものがなく。つまり、こうした光景も、やがて「懐かしい記憶の中にある風景」に変わってゆくのだろうことが伝わってくる。

プリントしながら、私はふと、手前の草むらを、全部白く飛ばすことを思いついた。ネガ自体は、美しいグレートーンで出来上がっていたが、このまま焼いたのでは何となく私じゃぁない、そんな気がして。
「私じゃぁない」というその基準がどこに在るのか、今もまだ分からないけれど。ありきたりの光景を、もっと記憶の中の風景に近づけるというか、そうした作業を為すことが、私は好きだ。このまま焼いたのでは場所が特定されてしまうというとき、特定できないようにぼかしたり白く飛ばしたり焼き込んだり。そうすることで、特定の名前を失わせる。失わせることで、誰かの、記憶の中に、この景色が甦れば、と思う。

とりたてて特徴も何もない、何の変哲もない街景。
それがあなたの記憶の何処かで、リンクしてくれますように、と。そう思いながら、私はプリントする。