2010年10月1日金曜日

影が作る景色

海の向こうの町に出かけた折。日も堕ちて、しばらくした時。見上げた景色にはっとした。あぁ、影が景色を作っている。そう思った。
浜辺、海に半身を浸けながら、ぼんやり眺める。大きな樹がくっきりと浮かび上がり、風が緑を揺らすその音がメロディになって流れている。私はそれが心地よくて、しばらくそうやってじっとしていた。

私はモノクロの描く輪郭の世界が好きだ。
もともとは、私の世界は他の人と同じく、カラーの世界だった。それが、事件に遭ったことを契機に、突如世界の色が失われた。それから何年間か、私の世界はモノクロで。だから、私の世界のことを誰かに話して共有することは、できないことだった。
私がモノクロ写真にのめり込んだのも、多分それが理由だ。あぁここに私の世界の一部がある。モノクロ写真を前に、私はそう思った。だったら私が再現するしかない、私の世界を再現するしかない、それを提示して、世界はこうなのよ、私の世界はこうなの、と誰かに伝えてゆくしかない。そう思った。

モノクロ写真を初めてまともにプリントできたとき、私は声を上げそうになるほど嬉しかった。これだよこれ、私の世界がここに在るよ、と。
ようやっと仲間を見つけたかくらいに、私は嬉しかった。まだ濡れている印画紙を抱きしめて、涙がぽろぽろ零れるのに任せた。そのくらいに嬉しかった。

何年かして、徐々に徐々に世界が色を取り戻し始めて。でも、何故だろう、今度は、違和感を覚えた。ずっと憧れ追い続けてきたはずのカラーの元の世界なのに、そこに私は違和感を覚えるようになっていた。こんな色の洪水だったっけ、こんなに目を射るほどの色の洪水の世界だったんだっけ、ここは、と、戸惑った。たった数年間かもしれないが、色が失われたことによって、私はもう、モノクロの世界に馴染んでしまっていた。

今、確かに私の目は色の在る世界を映しだす。でも、私は何故か、そこから色を取り除いてゆく。そして最後に残るものは何なのか。それを探そうとしてしまう。

最近、必要に応じてカラー写真も撮るようになったが、私はそれをそのまま現像はしない。必ず減色させる。そうやって、私が納得のできるところまで減色して、作り出す。
それが私の、今の世界だ、と。

数年間で終わったはずのモノクロの世界は、初めそれは忌むべき世界だったのに、今ではこうして、親しい世界になった。私にとって落ち着く、落ち着いて呼吸のできる世界、それが、モノクロの世界。