2010年9月30日木曜日

街景

その日は陽光は燦々と降り注ぐ冬の日で。坂道を上りきったところに、ぺろんっと広がった野っ原があった。何の変哲もない、どこにでもありそうな、そんな野っ原。
空にはぽっかりぽっかり、雲が浮かび、ゆったりと流れてゆく。空は濃い水色を誇っており。私はしばし、その景色の前で佇んでいた。

こんな光景は、ある意味何処にでもある。でも、私はそんな、何処にでもある風景が大好きだ。見つめれば見つめるほど、それは懐かしさをまして私の心に広がってゆく。あぁこれはあそこで見た光景に似ている、あぁあそこはあの街角で見た風景に似ている、そんなことを思いながら、私は光景を見つめる。

それでも思う。最近こんな、空き地が少なくなったなぁ、と。ぽっかり空いた窪地というか、野っ原が、なかなかない。私の近所の埋立地は、次から次にビルが建ち、もはや隙間は数えるほど。近所にはそもそも空き地というものがなく。つまり、こうした光景も、やがて「懐かしい記憶の中にある風景」に変わってゆくのだろうことが伝わってくる。

プリントしながら、私はふと、手前の草むらを、全部白く飛ばすことを思いついた。ネガ自体は、美しいグレートーンで出来上がっていたが、このまま焼いたのでは何となく私じゃぁない、そんな気がして。
「私じゃぁない」というその基準がどこに在るのか、今もまだ分からないけれど。ありきたりの光景を、もっと記憶の中の風景に近づけるというか、そうした作業を為すことが、私は好きだ。このまま焼いたのでは場所が特定されてしまうというとき、特定できないようにぼかしたり白く飛ばしたり焼き込んだり。そうすることで、特定の名前を失わせる。失わせることで、誰かの、記憶の中に、この景色が甦れば、と思う。

とりたてて特徴も何もない、何の変哲もない街景。
それがあなたの記憶の何処かで、リンクしてくれますように、と。そう思いながら、私はプリントする。

2010年9月29日水曜日

私が子供の頃、住んでいた町は、まだ砂利道で、空き地や山が周囲に在った。そのせいか、薄もたくさんあって、野原で遊ぶと必ず、薄の葉で手足のどこかを傷つけたものだった。
今、薄に出会うことが、本当に少なくなった。私の町には少なくとも、薄が群生しているところなど、どこにもない。
わざわざ電車に乗って、遠くの町外れへ行き、そこでようやく見つける、といった具合だ。

薄の穂、というと私は一番に、ふくろうを思い出す。
じいちゃんがよく作ってくれたのだ。
その頃、じいちゃんの家は千葉にあった。駅からじいちゃんの家に行くまでの、近道に、ちょっとした山道があって、そこには薄がたくさん生えていた。だから私と弟は、必ず薄の穂をたくさん抱えて、じいちゃんの家に行ったものだった。
するとじいちゃんは、待ってましたとばかりに、薄の穂を器用に編んでゆく。見る見るうちに、ぷっくりふくらんだふくろうが、出来上がっている。私と弟が、紙に書いた目をくっつければできあがり、だ。

あのふくろうたちは、あれから何処に消えたのだろう。私たちは必ずといっていいほど、じいちゃんの家から帰るときには、ふくろうの存在をすっかり忘れて、手ぶらで帰ってしまっていた。そしてまた次来ると、新しいふくろうを、作ってもらっていた。
片付けていたのはじいちゃんか、それともばあちゃんか。きっと苦笑しながら、仕方ないねぇ、まったく、なんて言いながら、片付けていてくれたに違いない。

娘に、薄って知ってる?と尋ねたことがある。何それ、と首を傾げられた。そりゃそうだ、この町に薄がないのだから、図鑑でも広げない限り、知ることはないんだろう。
なんだかちょっと、寂しい気がした。
そうやっていろんなものが、消えてゆくのだろう。徐々に徐々に。私たちの周りから。
自然と共棲していた頃の記憶など、きっとやがて、遥か彼方になってしまうに違いない。それが、寂しい。

2010年9月28日火曜日

小さい頃、自分にとって特別な道があった。小学校と自宅とを結ぶ、山道だ。通学路からは、外れている。
外れているが、私はそこをよく通った。ひとりきりの帰り道、必ずその道を使った。
山道はでこぼこで、小学一年生の私には、結構しんどかった。それでもその道を使うのには訳があった。
幼い頃、まだ昆虫たちが苦手でもなんでもなく、むしろ自分にとって親しい友達と思っていた私は、山道で出会う様々な昆虫たちに、いつも見惚れた。家に帰って図鑑で調べ、こっそり弟に教えたりもした。
また、その山道には、アケビや葡萄、栗の実がたくさん在った。それをよいしょっと木に登って取って食べる。これほどおいしいものは、他になかった。

引越しが決まって、その道と別れることになった。切なくて、一番高いところに座って泣いた。じきにこの辺りには大きな幹線道路が作られることも決まっており、ということは、この山道は、なくなってしまうことになる。
もう二度と会えない。そう思ったら、切なくてたまらなかった。

今、私が大人になり、娘も大きくなり。町はどんどん変化していっている。私があの頃得た秘密の小道なんて、何処にも見当たらない町の様子。娘にとって、大きくなって振り返ったとき、秘密の小道なんて呼べる場所は、きっともう、ないんだろう。

そう思っていたら、娘は実家の近くの山道を、見つけてきた。朝早く起きてそこへ行くと、栗鼠や狸に会える。栗も落ちてる。葡萄もある。あけびはさすがにないらしいが、小さな小川も流れてるらしい。
私は敢えて、その道に行かない。彼女の秘密の小道にしておきたいから。彼女が大きくなって振り返ったとき、あぁ、あんな道があったなぁと、そう思える場所にしておきたいから。

2010年9月27日月曜日

立つ

彼は丘の上にひとり立ち、じっと世界を見つめていた。
荷物は荷物かもしれない。それは永遠に変わらないものかもしれない。でも。
その荷物を重いとするか、それとも共にあるものとするか、それは、自分次第なのだ、と。そのことを、彼は今、思っていた。

あの時、何が起ころうとしているのか、全く分からなかった。
分からないまま、言われるまま、されるがまま、だった。
大人の言うことをききなさい。いい子にしていなさい。そういう父や母たちの言葉が、頭の中をぐるぐる回っていた。でも。
その結果はどうだったか。
彼は、自分の心がぐにゃり、折れるのを感じた。

それでも、普通になろう、普通でいよう、努力してきた。自分は人と違ってしまっているという思いがなおさら、普通でいよう、普通になろうと努力させた。それでも。
拭えなかった。
何も、拭えないどころか、ますます泥沼にはまっていくようだった。

でも。
もう、普通になろうとか、普通でいようとか、そんなことを思わなくてもいいんだ。
自分は自分であればいいんだ。
世界はただそれだけで十分に、自分を迎えてくれるものなのだ。
彼は、そのことに、気づいた。

今、彼はひとりで丘の上に立つ。
けれどそれは、独りではない。彼の周りには世界が渦巻いており、世界が彼を取り囲んでおり、彼を抱きしめている。
彼は決してもう、独りではない。

2010年9月25日土曜日

突き刺さる木片

砂の丘に見つけた木片。
まるで、今の自分のようだと思った。二本の木片にひっかかって、辛うじて立っている枝。二本の木片の、どちらかでももし傾いたら、自分は堕ちる。
そう、思った。

海は轟々と唸り声を上げて砂浜を嬲っていた。雲は風に飛び、一瞬も同じ形では在り得なかった。彼の周りで世界は、動き続けていた。

まるで自分ひとり、取り残されている。
一瞬、そう思えた。

思った瞬間、いや、違う、とも思った。自分をここから風が押し出そうとしている。一歩を踏み出せと、風が背中を押している。海は自分を呼び寄せ、抱きしめてやろうと両手を差し出しているようで。
あっと、彼が声を上げたのはその時だった。
そうか、世界を拒絶していたのは自分で、世界が自分を拒絶していたわけじゃないのだ、と。そのことに、気づいた。

轟々と唸る海と共に、彼は泣いた。
荒れ狂う空と風と共に、彼は泣いた。
もう、いいんだ、あのことを過去にして、いいんだ。
世界はいつだって自分に向かって開けていて、そう、自分はひとりきりなんかじゃぁなかったんだ、と。
彼は、泣いた。

海は風は雲は砂は。
そんな彼を、ただ、見守っていた。
木片は揺れながらも、しっかと足を踏ん張り、砂地の上に立っていた。

2010年9月24日金曜日

ひとり、立つ

それは荒れ狂う空の下。砂地の広がる場所で、ひとり、立っている男がいた。
彼は幼少期、性的悪戯を受け、それを長いこと引きずって歩いていた。
彼には打ち明ける相手もいなくて、だから余計に、荷物は重かった。

もしあの時、あんなことがなければ。自分はまた違った人生を歩めたのかもしれない。
もしあの時、あんなことがなければ、自分はもっと幸せになれたのかもしれない。
もしあの時。

もし、という問いは、いつまでも続く。
でも、もし、は、やっぱりあくまで、もし、であって、現実にはならない。
決して。

もがいていた。足掻いていた。どうにかこの穴から抜け出そうと。何度も試みた。何度も抗った。それなのに。
荷物はまるで重石のように、足に絡みつき、彼をひっぱるのだった。

それでも気づいたら、もうじき四十を数える歳。
自分はこれまで一体何をしてきたのだろう。ふと思う。
あの時のことをここまで引きずってあるいて、自分はここからもまたさらに、この荷物を引きずって歩いていかなければならないんだろうか。
そんなのいやだ。
彼は、叫んでいた。いやだ、いやだ、いやだ。もう、いやなんだ、と。

荒れ狂う空の下、砂地の広がる場所で、その頂に立って、彼は叫んでいた。
その叫び声は、荒れ狂う空に風に、轟々と塗れていった。

2010年9月23日木曜日

砂紋

その場所を訪れて、何が落ち着くといって、それは美しい砂紋の姿だ。一体誰がこんな紋様を描くことができるのか。風と砂とが描き出していると分かっていても、ついそのことを尋ねたくなるほど、それはいつも美しい。

砂紋が一番美しく見えるだろう丘の端に座り込み、ただじっと、砂紋を見つめて過ごす時間。見つめていれば見つめているほど、それは徐々に徐々に変化し、表情を変えてゆく。決してひとところに留まることは、ない。

私は砂紋を見つめていると、いつも、人の人生を思い浮かべる。
人の生き様をもし模様にしたら、多分こんな模様になるんだろう、と、そう思う。今という、現在というその一瞬を境に、過去と未来とが在って、でもそれは、ほんのちょっとのきっかけでいかようにも変化し得るもので。
そう、決してひとところに留まっていない。同じ道を歩いていたとしても決してその道の凹凸は同じではない。そんな様。

樹の年輪にも似ている、と思う。
たとえば同じ土の上に落ちた種であっても、ほんのちょっとの陽の当たり具合、風の流れ具合で全く育ち方は異なってくる。そしてそれが刻む年輪も、これもまた大きく、異なってくる。決して同じものは、存在し得ない。

私たちはよく、自分と他人とを比べてしまう。私なんてよく、他者のありようを妬ましく思って自己嫌悪に陥る。そんなものだ。
でも。
本当は比べようのない人生であることも、知っている。

そう、比べられないのが人の生き様だ。ありようだ。
たとえ同じ言語を使っていようと、似通った環境に育とうと、人はそれぞれ違う。同じ事故を経験したとしても、その事故から得るもの失うものは、その人それぞれで、違ってくる。受け止め方は、本当に、人それぞれ、だ。

だから美しい。
唯一無二のものだからこそ、美しい。
この砂紋も、人の生き様も、何もかも。唯一無二だからこそ、美しく、いとおしい。
あなたはそう、他の誰でもない、たったひとりの、あなた、で、
私もそう、他の誰でもない、たったひとりの、わたし、なのだ。

2010年9月22日水曜日

海と雨と風と砂と、

その日、天気は酷く不安定で。ぱらぱらと雨が降ったり止んだりしていた。そんな中、私は砂丘に立っていた。
何故だろう。海が呼んでいる。そう思った。

私はまだ、泳げない頃から、海に憧れていた。いつか自分は海に還るんだ、と、まだその意味も何も知らない頃から、そう思っていた。
死んだら私は海に還る。死ぬときは海で。そう信じきっていた。
そんなこと、現実には無理だと知らぬ頃、そう信じて信じてやまなかった。

あの日、荒れる海に構わず、私は呼ばれるまま、海に入っていった。別に死ぬとかそういうつもりは全くなく、ただ、呼ばれるまま、そのままに。入っていった。
もう胸までぐっしょり濡れて、長く伸ばした髪も濡れ、ふと振り返ると、砂浜はもうだいぶ遠くて。
その時、はっとした。あぁ私はもうこんなところまで歩いてきてしまったのか、と。

犯罪被害者となって、PTSDを抱え込んで、もう何年。数えるのさえ面倒くさくなる。
それでも私は、ここまで生きてきたのか、と。こんなところまで生きてきてしまったのか、と、或る意味愕然とした。
こんなに生きるつもりは、全くなかった。そんな中でそれでも、私は生きてきてしまった。まるでこの今私が立つ場所と砂浜との、この明確な距離のように、それは歴然としてそこに在った。

あぁそうか、私はもう、生きるしかないのだ。ここまで来たからには、私はもう生きるしか術はない。漠然とそう思った。

帰り道は、来る道よりも険しく。波に押し戻されながら何度も足を取られながら、ようやく浜に辿り着いた。
多分。生きることは、死ぬことよりしんどいんだろう。それでも。
私は、生きていくんだろう。ここからこうして。

様々な荷物を、背負って、それでも。

2010年9月21日火曜日

私には、母に抱きつく、という習慣はなかった。幼い頃から或る意味突き放されて育った。母と手を繋いで歩くのはいつも弟で、私ではなかった。
そんな母の手を、或る時まじまじと見つめたことがあった。細いながらも、骨のごつっとした手。そんな母の手にぶらさがるのは、私ではいけないのだ、と、強く思ったことを今でもはっきり覚えている。

娘は今もう十歳になる。けれど、娘はよく私の手を握ってくる。一緒に歩くときは自然、彼女が私の手を握ってきて、そうして歩く。また、家にいるときでも外に出ているときでも、はたと思いついたように私に抱きついてくることがある。私はそのたび、彼女の小さなやわらかな手が、自分の背中をぎゅっと押してくる、その感触を味わう。

私は娘が私の手を握ってきたり、抱きしめてきたりするとき。
正直戸惑いを覚える。どう応えたらいいのか分からなくなる。こんなとき、どう応えたらいいのか、私の記憶にはその答えがないからだ。
抱きしめ返したらいいのか、それともじっとしていたらいいのか。握り返したらいいのかそれとも突き放したらいいのか。分からない。母には突き放された。けれどそれは、私の中で切ない痛みとなって残っている。だから突き放したくない。でも、素直に抱きしめてやれない、そういう自分がいる。
だから、わざとふざけて彼女の脇腹をくすぐったりして、自分の戸惑いを押し隠す。そうでもしないと、私の中の何か邪悪なものが、娘に乗り移ってしまうような、そんな怖さがあるからだ。

それでも娘は私を求める。私はそのたび戸惑う。それでも娘は私を求める。そうして私は自己嫌悪に陥る。
そんなとき、娘の顔が目の前に現れる。そしてにっと私に笑いかける。何考えてるの、といわんばかりの表情で。
もうそうなると、私は何もいえなくなる。私の負けだ、と、もう万歳をして、降参したくなる。

今朝も娘は私にぎゅうと抱きついてきた。私はちょうど出掛けるところで。でも、一分くらいそうして抱き合っていただろうか。
その空間に、耐えられなくなって、私は娘をくすぐった。娘は笑い転げて、いってらっしゃいと手を振ってくれた。でも私は心の中、ごめんね、と言っていた。
私は誤魔化したのだ。娘と同じ分量、いや、それ以上の力で彼女を抱きしめ返せないでいる自分を、誤魔化したのだ。だから、ごめん。娘よ。

この小さな、やわらかな手が、いつか私の手より大きくなって、細く女らしくなって。そうして私を越えてゆくに違いない。
その前にせめて、せめて、あの子より強い力で、あの子を抱き返してやりたい。

私は今日も、そう思う。

2010年9月20日月曜日

座るという言葉を思うとき、私にはひとつの映像が浮かぶ。実家の自室にあった大きな出窓だ。夜中眠れなくて、その出窓に毛布をひっぱり上げ、そこにぺたんと座り込んでは外を眺めて過ごした。その時の映像だ。
まだ夜の早い時間には、通りを行き交う車のヘッドライトが、くわんと天井を這って、消えていった。誰も通りを通らない夜遅くの時間になると今度は、母の庭の植物たちが、語らいを始めた。それはとても小さなひそひそ話で、だから私がよほど耳を澄まさないかぎり聴こえないのだったが。でも、私はそのひそひそ話に聞き耳をたてるのが大好きだった。そうして朝までじっと、出窓に座って過ごしたことが、一体何度あったことか知れない。

ざわざわと金木犀を揺らす風の音。ミモザの枝を揺らす風の音。ラヴェンダーの上を渡ってゆく風の音。同じ風のはずなのに、みんなみんなそれぞれに違う音色をしていた。花たちも、昼間陽光によって露にされるのと違い、闇の中にほんのり灯る明かりのようで。私はそんな、やわらかい花の輪郭が大好きだった。昼間だったら、輪郭が露になり、ぶつかりあい、押しのけあう人、人、人。それが、適度に溶け合って、共存しあって、そこに在る、そんな気がして。

どうしてもっとやさしくなれないんだろう。どうしてもっと強くなれないんだろう。どうしてもっと。どうしてどうしてどうして。
私は出窓に座りながら、いつもそんなことを思っていた。人が二人居れば自然に生じてくる軋轢に、私は正直悲鳴を上げかけていた。でももし悲鳴を上げたら、実際上げてしまったら。だから私は出窓に座り、自分の心を浄化する時間が必要だった。

座る。いや、座るというより膝を抱えて丸くなるというその形は、私をそれだけで安堵させた。膝頭に当たる胸のところで、とくん、とくん、と心臓の鳴る音が響いていた。私はちゃんと生きてる。大丈夫、生きている。私はそのたび、確認した。

夜が明けてこようとする頃、ようやく丸まっていた体を伸ばし、空を見上げた。私の昨日と今日はたいてい、連続して、終わりのないものだったが、それでも、あぁ今日がやってきた、と思い、そのことに背中を押される感じがしたものだった。

今もう、実家には、あの出窓は、ない。

2010年9月17日金曜日

私は、あまり花の写真を撮らない。花は眺めるもの、というような意識が頭の何処かにあって。だから、写真に撮る、ということに繋がることが少ない。
実家の母の庭はいつだって、何かしらの花が咲いていた。春でも夏でも秋でも冬でも。何処かしらに何かしらの花が、ちょこねんと咲いている。そういう庭だった。
そんな中で育ったせいなのか、母の庭の花の色や香りで、私は季節の移ろいを知った。母が菫を植える、母がラヴェンダーの世話をする、母が梅の実を?ぐ、母がブルーベリーの実を取る、母が鉄扇の蔓を窓に這わす。そんな諸々の、母の作業で、あぁいまはいつなんだ、というのを知った。
だからというのもおかしいかもしれないが、カメラをわざわざ向ける対象ではなく、花はあくまで眺めるもの、愛でるもの、として私のそばに在った。

今、こうして実家から遠く離れて暮らすようになり、あの頃どれだけ自分が恵まれた環境にあったのかを思う。
母の営む庭に、私が実はどれだけ支えられていたのか、そのことを、強く強く感じる。
母や父が寝静まった後、私はよく自室の出窓に座り込み、窓を開け放して、庭をじっと見下ろして過ごしたものだった。窓のすぐ横には大きな金木犀の樹があって、季節になるとこれでもかというほどの香りを放った。正面には私の誕生樹のひとつ、梅の樹があって、それは暗闇の中でも黒々とその幹の存在を私に知らせていた。色とりどりのパンジーやデージー、ラヴェンダーたちは、闇の中でもほんのり光を放ってそこに在った。泣きながらそれらを眺める夜もあれば、謳いながらそれらを眺める夜もあった。
花はいってみれば、私の生活の一部、だった。

今、僅かながら、私もベランダで、薔薇を育てている。そう、それは、事件に遭った後のことだ。ある日突然、白い薔薇がここに欲しい、そう思った。家から出ることもままならず、食をとることも眠ることもままならない日々の中で、突如、そう思った。そして花屋に飛んでゆき、十本の白薔薇を買った。それを挿し木にし、ひとつひとつ、育て始めた。
あの時、何故突然、白薔薇がここに欲しい、なんて思ったのだろう。よく分からない。でも、多分それは、私の昔からの生活に、花が在ったからなんじゃないか、今はそう思っている。

そして今も私の小さなベランダには、いろんな種類の薔薇が、ちょこねん、と、在る。

2010年9月16日木曜日

佇む

花屋に行くと、たいてい、短く切りますか、と尋ねられる。持ちやすいようにと考えてのことなのだろうが、私はそれが、とてもとてももったいないと思ってしまう。
この日も、Mちゃんと花屋に寄った。そこで、やっぱり、どのくらいまで切りますか、と尋ねられ、いえ、切らなくていいです!と、二人揃って応えていた。
家に持ち帰り、家中のバケツを集めて、そこにどんどん買ってきた花を挿していく。向日葵、トルコキキョウ、ガーベラ、その他諸々。花瓶では絶対見られない、豪勢な花たちの立ち姿が眺められる。
もう太陽はちょうど真上を過ぎた頃で。これから西に傾き始める頃。私たちはしばしぼんやり休む。

もともとうちに今あるテーブルは、結婚するときに買ったものだ。たくさんの人が集えるように、と大きな大きなテーブルを買った。離婚して、棄ててしまおうかと一瞬考えたが、あまりに立派なテーブル、そのまま棄てるには惜しくて。部屋が狭くなることを承知で、持ち出した。今、そのテーブルに付属のベンチに、Mちゃんはぺたんと座って窓の外を眺めている。

狭い部屋の中、二人が吸う煙草の煙がゆらゆらと開け放した窓の外に流れてゆく。その煙の行く先を辿るように、窓の外を見やる。傾き始めた太陽が、黄色い光を放っていた。
Mちゃんが何となく、向日葵に手を伸ばす。ねぇ向日葵ってさ、こんなに小さかったっけ。いや、大きいよ、子供の頃育てた向日葵は、こーんなに大きい花を咲かせて、これでもかってほどの種をつけた。そうだよね、こういう小さな向日葵って、何だか可哀相に見えるよ、私。あぁ、そうかもしれない。

ふと見ると、Mちゃんは向日葵と同化して、ひとつの置物のようにそこに佇んでいた。私はそれを邪魔しないようにそっと、シャッターを切った。

2010年9月15日水曜日

何気ない、

昔、祖母がまだ生きていた頃。
祖母は洋服も着ることは着たが、たいていは着物だった。着物に割烹着、それが私の記憶に残る祖母の一番多い姿だ。

そんな祖母の家には、着物がたくさん置いてあり。緑、紅、紫、菫色、様々な色の着物があった。中でも祖母には、紫色の着物がよく似合った。

もしあの頃、祖母が生きていた頃、私がカメラというものを持っていたなら。私は祖母の踊る姿や、何気ない台所での立ち姿を、何枚も何枚も写真におさめていたに違いない。それができなかったことが、正直言うと、心残りだ。

今、私の目の前でMちゃんが、私の長襦袢を羽織って座っている。Mちゃんの上半身よりずっと丈の長い花を両腕に抱え、座っている。
ふと、そのMちゃんの、膝の上に落ちた花びらが目に入った。
いろいろ動いているうちに、たまたまそこに散り落ちたのだろう花びら。でも。
それが、私の目には、強く強く、突き刺さってきた。

どうということはない、何気ない、ただの一枚の写真。
でもそこには、花びらの軌跡が確かに在って。

この撮影が終われば、片付けられてしまうだろう花びらの、それでも、ここに在るよ、ここに在るよという声が耳の内奥に木霊してきそうで。
何気ない、どうということはない写真の中にこそ、もしかしたら生の気配は色濃く残るのかもしれない。

2010年9月14日火曜日

私が写真を始めて間もなく、よくモデルになってくれたMちゃん。私はMちゃんの瞳がいっとう好きだ。
真っ直ぐに見つめる目。それでいながら決して冷たくはなく。真実を射るように伸びてくるその視線。彼女に嘘はつけない、と、その目を見る度、思ったものだった。

その日、花屋でこれでもかというほどたくさんの花を買って帰り、Mちゃんと二人、部屋に篭った。さて、これで何ができるか。
せっかくだからと、私の長襦袢を引っ張り出してきて、私よりずっと小柄なMちゃんに着てもらった。そうだそうだ、鏡が割れて、枠だけ残った、その木枠があった、と、それも引っ張り出してきた。

狭い部屋の中、ああでもない、こうでもないと形を作りながら、撮影するのは、実は結構珍しかったりする。私たちはたいてい、外に撮影に出るのが殆どだったから。

ふと振り返った瞬間、彼女と目が合った。その目がたまらなく、私の心を射た。私は自然、シャッターを切っていた。

部屋の中、花の匂いが充満していた。その花の色や匂いなどよりも何よりも、彼女の目は輝いていて。真っ直ぐに真っ直ぐにこちらに向かっており。
あぁ、この目だ、この瞳が、私は大好きなんだ、そう思った。

2010年9月13日月曜日

唸る空の下

その日、天気はくるくると変わり。いつのまにか空一面にうねるような雲が広がっていた。いつ雨が降り出してもおかしくはない、そんな空模様だった。

砂丘には、強い強い風が吹き荒れて。私たちは真っ直ぐに立っていることさえ難しかった。
吹き付ける風には細かい砂が混じっており、その砂が私たちをひっぱたくようにして過ぎていった。

友人は黒いワンピースを着ており。その友人がゆっくり、向こう側から歩いてきたとき。あぁ、この光景、何処かで見たことが在る、そんな錯覚を覚えた。
真っ黒な空の下、それでも歩き続ける誰か。決して歩みを止めることなく、歩き続ける誰かの姿。そんな光景を、夢の中、何度か見たことが在る。
今それが、目の前に在った。

風が唸り、彼女を嬲ってゆく。
砂が悲鳴を上げ、彼女に飛び掛ってゆく。
それでも彼女は歩みを止めることはなく。
一歩、また一歩、踏み出してゆく。

あぁ、これが、生きるというひとつの形だよな、と私はファインダーを覗きながら思った。雨風にじっと耐え、諦めることなく歩き続ける姿。それは、まさに生きるということそのものに見えた。
自分を守ってくれるものなど何処にもなくとも、それでも歩き続ける。それが人の性なのかもしれない、と。そんなことを思いながら、シャッターを切った。

今もあの場所で、砂は唸っているだろうか。雲は呻いているだろうか。私たちを諌めるように、風は泣き叫んでいるのだろうか。

2010年9月12日日曜日

海辺にて

その一歩、その一歩を踏み出すことができない。そういう時が多々ある。
たった一歩だ、たった一歩じゃないか、と自分を鼓舞するのに、足が動かない。体全体が鉛の塊になったかのように重くて固くて、ぴくりとも動いてくれない。
そういう時が、ある。

そんな時、いつも思い出すのは、仏蘭西のとある映画監督の言葉だ。
「絶望の先にこそ、真の希望が在る」

それでも。踏み出せないまま、泣き崩れ、倒れ付すことが多々あった。もうこのままでいいよ、動けなくてもいいよ、このまま腐ってなくなってしまっても、それはそれでもう諦めがつく、と。

でもそこで、はたと気づくのだ。諦めがつく? 本当に? 本当に諦められるのか? と。
諦められないからここまで足掻いて来たんじゃなかったのか? 諦めきれないから、こんなにもみっともない姿を晒してまで、ここまで生きてきたんじゃなかったのか?
自問自答はそうして激しくなってゆく。

頭を掻き毟り、もう放っておいてくれ、と叫びたい衝動に駆られる。でも本当は、本当は、放っておいてなんてほしくないのだ。構ってくれとはいわない、せめて、見守っていてくれ、と、本当はそう言いたいのだ。分かってる、分かってる分かってる!
幾重にも切り刻んだ腕からは血が滴り落ち、床に広がる血の地図は、何を描こうというのだろう。ぼんやりと、赤黒いその血だまりを見やりつつ、知るのだ。
もう何処にも逃げ場所なんてない、と。

そう、ここまで生き延びてきたのが自分なら、ここから先を歩いていくのも自分しかいないのだ。私の人生は私だけのもので、私が主人公で、その主人公が舞台から降りたら、もう二度と幕は開かない。
そして知るのだ。自分の本音を。私はまだ、人生から降りたくない。降りたくなんかない、という自分の本音を。

この先に、光があるのか、闇があるのかさえ分からない。それでも。
「絶望の先にこそ、真の希望がある」、その言葉を支えに、私はまた今日も、一歩を踏み出すんだろう。そこがもしかしたら、針山かもしれないし、底なし沼かもしれないし、そんなこと分からないけれど、それでも。

生きる。それはとてつもない作業で。でもだから、生きるのだ。今日も明日も明後日も。この先にきっと、希望が待っている、と信じて。

2010年9月11日土曜日

地点

トンネルを出て、砂浜を歩く。ところどころ、砂浜が割れ、そこを川のように水が流れている。私たちは裸足の足で、とっとこそこを渡っていく。でも、時に、深いところで膝上まで埋まるところがあったりして。荷物を落とさないかどうか、それだけが心配だが、こういう道程もまた、楽し。

ふと前を見ると。まるで昔々の朝礼台のような、木製の台があった。

これ、何?
わかんない、何だろう?
私が座っても…壊れないね。
うん、大丈夫みたい。

まるで特等席だった。その台に座って辺りを眺めると、百八十度水平線が広がっていた。海と砂浜とが、ただそこに在った。

なんか私、ちょっと偉くなったみたい?
ははは。

沖に漁船の影さえ見えない、まるで一枚の静物画のような光景。その光景の中に私たちは立っており。

時間が、止まったみたいだね。
うん、私もそう思う。
ここにいたら、夕暮れまであっという間に過ぎちゃいそうだ。
水平線が本当にきれい。真っ直ぐ。

太陽は少し西に傾き始めたところで。でも、ほぼ真上にあるには変わりなく。
私たちはその陽射しにくらくらした。

小学校の先生って、朝礼台に乗るとき、いつもこんな感じなのかな?
そうかもしんない。ちょっと緊張して、でも、眺めよくって。
自分がちょっと偉くなったようにも感じられたりして。
うんうん。
今思ったけど、この台に座ると、自分が石像になったような、錯覚に陥るよ。

陽射しは容赦なく降り注ぎ。
海は白銀に輝き、灰色であるはずの砂までもがちょっと離れたところから見ると白っぽく浮き上がり。
まるでモノトーンの世界だった。

2010年9月10日金曜日

光り輝く波

トンネルの壁に寄りかかって、二人、眺めるでもなくあたりを眺める。

ここから眺めてると、海はまさに白銀だね。
うん、角度によったら、雪原にさえ見える。

耳を澄まさずとも、打ち寄せる波の音、潮の香りが、私たちを包み込んでいる。波は途切れることなく、ざざん、ざざんと打ち寄せ、潮の香りは近くに漁港があることを教えるかのように強く。

私、おばあちゃんになったらこの辺りに住もうかなぁ。
あぁ、それいいかもしれない。
なんかね、時間の流れ方、違うよね。
うん、違う。私たちの時間より、すべてがゆったりだ。

まるで、私の一時間がここでは半日くらいあるような。そのくらい、違いがあった。秒針に追われて生活している人間が、ここにやって来たら、きっと吃驚仰天するだろう。
人の声は全く聴こえない。
波の音、風の音、潮の香り、眩しい陽光。私たちを取り囲むのは、それだけ。

2010年9月9日木曜日

トンネル

石段を降りると、そこには奇妙なトンネルがあった。砂浜の上にトンネル。何故こんなものがあるのだろう。よく分からない。
分からないが、何とも心地の良いトンネルで。私たちはしばし、腰を下ろす。

さっきまで頭上に強い勢いで降り注いでいた陽光がトンネルで遮られ、突如涼しい風が吹き抜けていく。なんだか得したような気分。

トンネルの向こうの出口は、かんかん照りの太陽をそのまま知らせるような眩しさをもっていて。私たちは目を細めながらその出口の方を見やる。

なんだか長閑だね。
釣りしてる人たちも、長閑だ。
何が釣れるんだろう。
わかんない。

私たちは小さく笑いながら、とりとめのないおしゃべりをする。遠くで鴎の啼く声が響く。

2010年9月8日水曜日

木陰

それは砂浜に続く石段で。地図もなく当てもなく二人で歩いていた。そして見つけた石段。

すごく大きいねぇ。
うん、自転車まで走れるようになってる。
ここに自転車で来る人もいるってことか。
そうなんだろうね。
でも、こんな石段の存在、この辺りの人しか知らないんだろうなぁ。
だろうね、うん。

最初は急勾配、それが下三分の一くらいから急に緩やかになる石段。私たちは落ちないようゆっくり降りていった。
そしてそれはそのまま、砂浜に続いている。

こういうさ、抜け道っていうか隠れ道みたいなの、好きだなぁ。
私も。
得した気分になるよね。
うんうん、分かる。

冬だというのに陽射しは強く。歩き続けてきた私たちはうっすら汗ばんでいた。砂浜から私たちはいつものように裸足になって。
まずはその石段にご挨拶。こんにちは、お邪魔します。二人してそう言ってちょっと笑った。石段には葉陰が、ゆらゆらと揺れていた。

2010年9月7日火曜日

気配

写真を撮り始めて、しばらくして私がぶち当たったのは、気配というものだった。
気配がほしい、ここにさっきまで人がいた、これからまた人が来るかもしれない、そういう気配が欲しいと思ったとき、どうやって現わせばいいんだろう。
写真はそのものをあるがままに写し出す。撮り手さえ気づかぬ要素までもをありありと浮かび上がらせて、現実を写し出す。
でもたとえば、昼間大勢人通りのある通りを撮ろうと思ったとき、人がわんさかいるのをそのまま撮りたいとは思えなくて。かといって夜の閑散とした通りをそのまま撮るのも躊躇われて。私の撮りたいのは、その間をうろうろするような、通りの姿だったりして。
気配、風、雰囲気、そういったものが撮りたいと願う私にとって、それは大きな課題となった。乗り越えられそうにない、とてつもない大きな課題に。

もしこの世の中に、半透明な人間がいたとしたら。
私はその人にこそ、モデルになってもらっていたかもしれない。
いるのか、それともいないのか、輪郭の定かでない半透明人間。
でもやっぱりいる。いや、いないんじゃないか。
見る人に、そんなことを想像させながら見てもらえる写真。

私が撮りたい写真は、そんな写真。

2010年9月6日月曜日

緑破片(11)

今望むことは? 何かある?
私が尋ねる。

そうだなぁ、
まず、解離が減ってほしい。
彼女がからからと笑う。
自分が選んで、楽しいとか笑うとか、そういうことちゃんと自分で選んでやっていきたいじゃない。
自分が今生きてるんだなっていう実感が今より少しでもいい、強くなっていってほしいって思うよ。

そう言って、彼女はまた駆けだした。
芝の丘、てっぺんに向かって。ひたすら彼女は駆けた。

私が彼女の名を大きな声で呼ぶ。
彼女はちょうどてっぺんに来たところで立ち止まる。
仁王立ちになった彼女が、そこには在た。

そう、
私たちはそれでも生きる。精一杯。
誰が何と言おうと、毎分毎秒、精一杯、生きている。
これでもか、というほど。

2010年9月5日日曜日

緑破片(10)

生きていくということ。
終わってくれないから生きてる、と彼女は言う。
何回も何回も死のうとしたけど死ねなかった、何故かわからないけど死ねそうなのに死ねないっていうのを繰り返しているから、多分私は死ねないんだなとも思う。
だからとりあえず息をして、生きてみようか、というところに私はとりあえず立っているんだ、と。

昔嫌なことが在った分、これから幸せになれるんだよ、
なんて無責任なこと言う人もいるけど、そんなこと、私たちが信じられると思う?
無理だよね。そんな希望的観測、持てるわけがない。

でも
それでも一秒一秒、私は生きてる。
必死に生きてる。
だからせめて、私にこれ以上要求しないでって思うんだよ。
「昔あんなことがあったけど、それはもう過去のことなんだから、昔の元気なあなたに戻れるはずよ」なんて言う人もいるけど、冗談じゃないや。
そんなふうに私に、今元気であることや笑うことを強要しないでって言いたい。
私はこの、たった一秒を越えるだけで、精一杯なんだ。

2010年9月4日土曜日

緑破片(9)

彼女の声が出なくなる時。
何について何に対して悲しんでいるのか怒っているのかもうわからなくなってしまうことがある、そういうときに、たいてい声が失われる。
ようやく声を出して、辛いよと声を出して言ってみたのに、
「そんな昔のことを言われても困る」と放られると、たいてい彼女は声を失う。
もう、伝えてもだめなんだ、いくら伝えようとだめなんだ、という思いが、
彼女の声帯を潰してしまう。

私は間違っているんだろうか。
あのままDVを受け続けていればよかったんだろうか。
死ねばよかったんだろうか。

もう言葉などでは追いつかなくなるほどぐるぐると思考が回り始めると、彼女の身体は外への回路をぱたんと閉じる。

声が出なくてやだなと思うこともあるけど、
声が出ないことで救われる部分もある、と彼女は笑う。
声が出ないから伝わらないのが当たり前だよね、と
最初から諦めることができるから、と。

言葉とか、爆発しそうな感情を、そのまま爆発させてしまったら、周りに責められる。だから彼女は自分を責める。責めて責めて、責めて責めて、また自分を傷つける。

2010年9月3日金曜日

緑破片(8)

彼女は生きていることに耐えられなくなると、よく腕や足を切りつける。

自分の言いたいことがあったり吐きだしたいことがあって、
たとえば苦しかったとか怖かったとか。
そういうことを言う場所が何処にあるのかもう分からないから言えなくて。
一体私たちは、そういう気持ちを何処に持って行ったらいいんだろう。本当に分からない。こんな重たい荷物、背負い続けて歩くなんて無理なのに。
でも場所が、ない。
場所がないから言えない。そんな言えない自分と、言っても分からないだろう家族や諸々の人たちに対しての絶望感が、
私にそうさせるの。
同時に、
切りつけて切りつけて、切り刻むことで、もう誰にも期待感をもたなくてすむ自分になれるかもしれない、とそう思って切ってしまう。
気づけば辺りは血みどろで。

そんなことが何度も。数え切れないほど

そうだな、それに、
今の自分と、昔の被害遭ったときすぐに抜け出せなかった自分に対しての怒りもあって、その勢いは強くなるばかりで。

気づけば傷だらけの身体になり。

それが彼女の今の身体なのだ。

2010年9月2日木曜日

緑破片(7)

大丈夫?と尋ねられれば 大丈夫だよ、と笑顔を返し。 平気?と尋ねられれば 平気だよ、と笑顔を返し。 そうやっているうちに、私、自分の本当の笑顔がどんなものだったか、 すっかり忘れちゃったよ。 顔を歪ませて、彼女が呟く。 ねぇさん、ほら、今あそこにいるカップル。 仲よさそうだよね。きっと仲いいんだよ、うん。 でもさ、 一瞬でも彼らは、自分たちが被害者になることがあり得るって 考えたりするんだろうか。 しないよね。 自分たちには起こり得ないことだと思っているだろうし、 そもそもそんなこと想像さえしないんだろうな。 私にも、そんな頃があったかもしれないけれど。 もう、あまりに遠い昔で、私、忘れちゃったよ。 何もかもが遥か彼方で。 もう二度と、私には戻ってくることはなくて。 それでも 私は生きていかなくちゃならなくて。 こんな残酷な仕打ちって、ある?

2010年9月1日水曜日

緑破片(6)

思いつめて思いつめて、被害後何年も経って、周りの人たちは容赦なく「もう終わったことなんだから」って言葉を私にぶつけてくる。励ましてくれてるってことは分かってる。でも。
いくら励まされたって、何度でも私は襲われるんだよ。夢の中だけでなく、目を覚ましている時間でさえ、あらゆる恐怖に襲われるんだ。

そう、何度だってやってくるのだ。何度だって私たちは襲われるのだ、あの恐怖に。五年経とうと十年経とうと。
でもそんなこと、被害者以外の誰が知る。

励ますつもりの彼らの言葉が、実は一番残酷に私たちの傷を抉ってくるんだなんて、
誰に言ったら伝わるだろう。
だから私たちは口をつぐんで、必死で笑顔を作るのだ。
そうだよね、もう終わったことだよね、と、
必死で自分に嘘をつくのだ。

何度でも。何度でも。