2010年8月5日木曜日

苔むした石柱

それはいわゆる橋桁で。
だから、満潮の頃にはそこに立つことはできず。川の深みが浅いときに、立つことの赦される場所だ。
その頃はまだ、草が生え放題の場所でもあり。忍び足で近づくと、小さな蟹がさささささっと、群れをなして滑ってゆく、そんな場所でも在った。

その日たまたま水嵩が低く、立つことができた。そこに立ち、私たちはしばし、電車の行き交う橋を見ていた。

こういうものを人があちこちに作ってゆくんだよね。
うん。
やっぱりこういうのって、便利っていうべきなんだよね。
うん、多分、きっと。

それぞれに何を考えていたのか、分からない。私たちは敢えて確かめ合うこともせず、ぼんやりそこに立っていた。
向こう岸の茂みには、白い水鳥が二羽、舞い降りて来て、しきりに足元を突付いている。餌を探しているんだろう。

私たちがいなくなっても、この光景は続いていくのかな。
そうなんだろうね、続いていくんだろう。少しずつ形を変えながらも。
私たちって本当に、一瞬でいなくなるよね。
うん。

そうして私たちは、向かい合った。そして一枚、写真を撮った。橋桁を背にして。
焼き込んでみて、感じたのは、橋桁の年齢だ。それは苔むしており。もうその橋桁がどのくらいの年月をここで経てきたのかを語っているかのようで。
私たちの時間はこんなふうに、時折交叉しながら、それぞれに、過ぎてゆく。