昔、木登りが大好きだった。木と木が接して立っている時になど、木から木へ渡って歩いた。地べたに降りるのがもったいなくて、猿のように枝から枝を渡った。
木の上から見る光景は、地べたにいるときとは全く異なっていた。もし私があと十センチでも身長があったら。そうしたら見える世界もまた違って見えただろうにと、中学で身長が止まってしまった自分の身体を呪った。木登りはそんな自分のコンプレックスを、解消させてくれる術の一つだった。
或る時はおにぎりとお茶と本を持って木に登った。木の上で読書しながらお弁当、というわけだ。これがたまらなく気持ちいいのだ。そよ風が木々の間を渡り、葉が擦れる音がさざ波のように響き渡る。季節それぞれの匂いが風に乗って私の周りを回っていた。晴れ渡る空には真っ白な雲が浮かび、それは刻々と表情を変え。陽ざしの色も刻一刻と変化していった。そうして迎える夕焼けは、煌々と燃え、私の目を射るのだった。
或る時は泣きながら木に登った。何が悲しいとか、何が辛いとか、そんなものは地べたに置いて、ただ泣いた。泣けるだけ泣いた。そして、私はそれをごっくんと飲み込んだ。忘れてしまえ。こういうことがあったことだけ覚えていればいい、あとの感情は全部飲み込んで忘れてしまえ、と。そうやって、私はしんどいことをやり過ごした。
今この年になっても、もし身近にのぼれる木があれば、私は無意識のうちにのぼってしまうだろう。そのくらい、木登りが好きだった。
毎年春、娘や友人たちとピクニックに行く公園には、桜の樹がたくさん植わっている。去年その桜にも、老木だからということで綱が張られ、のぼることが禁止されるようになった。
これはその直前の一枚。
子供らが我先にと木に登り、心地いい場所によいしょと腰を下ろし、座った時の顔といったらなかった。得意げで気持ちよさそうで。
ふと思う。あと五年もした時に。私たちに、木登りできる木は残っているんだろうか。