大地にいつでもこの両の足を踏ん張って、立っていたいと思っていた。いつの頃からか忘れたが、もう思春期の頃から、私にはそういう思いがあった。
自分の足を折ることで、誰かと一緒にいることを選んだ。独りに耐えられなかった。独りでいることがたまらなく好きでありながら、独りでいることに耐えられない、そんな時期があった。
自分で自分の足を折ったことで、誰かと一緒にいることは一時期できたけれども、それが過ぎて自分の足で歩きだそうとしたとき、歩けないことに気づいた。足は折れたままだった。
この足を、いったいどうやって元に戻したらいいんだろう。私は途方に暮れた。
折れた足を引きずり引きずり、それでも歩いた。履いていた靴などとうに擦り切れ、底も抜けて、役立たずになっていった。裸足の足にアスファルトは痛かった。それでも歩くしか術はなかった。
一度立ち止まったら、私はもう二度と歩くことができない、そんな強迫観念に私はとっつかまっていた。
もう無理だ、もう歩けない、私はもうここで終わりだ。そう思い、立ち止まり、崩れ落ち、大地にひれ伏したその時。
見えたものが在った。感じるものが在った。
大地のぬくみと、空の青さだ。
あぁそうか、終わりじゃぁないんだ、と知った。絶望の先に待っているのは、新しい希望の萌芽なのだ、と、その時知った。
大地が拒絶するのではない、私が大地を忘れていたのだ。大地に根を張ってこの足で生きていきたいと願いながら、大地がどれほどあたたかいものであったかをすっかり忘れ去っていた。空に両手を伸ばせば、空はただそこに在り、私を見つめていた。
あぁここからなんだな、と知った。またここから始まるのだ、と。
絶望の先にこそ真の希望がある。その言葉の意味を、私はようやく知った。