2010年3月4日木曜日

焦がれたのは、ただ最後まで学校に残ることだった

私は小さい頃、ひどく体が弱かった。おなかが痛くなったり、熱を出したり、吐いて戻したり。そうして毎日のように保健室に通った。
だから保健室のベッドの上、寝転がりながら、保健室の天井の、穴の模様を数えて過ごした。うんうん痛みに唸りながら、模様の数を数え、少しでも早く教室に戻れるようにと祈った。小学校四年生頃まで、それは続いた。
教室で一日を終わりまで過ごすこと。その頃の私にとって、それが一番の、願い、だった。

私は何かと目立つ子供だった。顔つきがそもそもきつかったのもあるだろう。何かと目をつけられた。
また、私は朝礼で何かと名前を呼ばれる子供でもあった。絵のコンクールに参加したり何したりと結構していたため、そのたび名前が呼ばれるのだった。そのせいでも、何となく子供らの間から浮いて、遠巻きにされることがしばしばだった。

引越しや分校によって、小学校は三つ通った。でもその何処ででも、やはり、私は何となく浮いていた。いじめられることもしばしばだった。

すぐ具合が悪くなって保健室へ運ばれ、そして早退。私はそれが嫌で嫌でたまらなかった。何とか最後まで教室に残りたい、具合が悪くなってもだから、しばらく机に齧りついていた。でも絶えられなくなって、涙がぽろぽろこぼれ、結局先生に運ばれるのだった。

そうして早退して帰る学校は、いつもがらんとしていた。いや、学校の中には大勢の生徒が今、まさに勉強なり何なりをしている。そう、がらんとしていたのは、学校の外、だった。
朝礼台がいつでも、ぽつねんとそこに在った。私はその脇を通り抜け、校門を出て、ひとりとぼとぼ帰るのだった。

この写真は、娘の小学校を朝まだ誰もいない時間に写したものだが。
あの頃の私が見ていた小学校がここに在る。とぼとぼ一人で早退して帰る、その時見上げる学校。校庭。朝礼台。

焦がれ焦がれて、涙に濡れて見上げた小学校。
したかったのはただ、一日の最後まで、学校に残ること。
あの頃の私がまだ、ぽつり、校庭に居残っている。