森の縁に佇んでいると、いろんな音がやってくる。葉の擦れる音、鳥の羽ばたく音、風が過ぎてゆく音、それは本当に様々な音色がする。
そういえば子供の頃、こうして音に耳を澄まして、時を過ごしたものだった。それは薄の葉の陰だったり、竹薮の縁だったり。たいていが、かくれんぼうをしている最中だった気がする。そうでなければ、ひとりで最初からその場所に行った、か。
見上げるとそこには空が在り。空はいつだって広く広く、そこに広がっていた。雲がかかっていることももちろんあったが、それでも空は空だった。
何にも犯されない空が、そこに在った。
今目を閉じると、風の轟々鳴る音と、今にも雨が降り出しそうな湿っぽい気配、それから記憶の引き出しの中から香る、線香のような匂いがする。
誰もが忙しく往き来する街。何か用事を済ますため、何か不安ごとを隠すため、私たちは忙しく時を過ごす。そうやって、自分の時間を埋め尽くしてゆく。
でも時には手ぶらで。何をするでもなく、何処に行くでもなく、ただ歩き、佇む、そうした行為を忘れないでいたいものだと思う。
そうやって過ごす時にだからこそ、見えてくるものがあるのだから。