小学校に入って、学童にお世話になった。
たまたま美術系大学出身の指導員さんたちに囲まれた学童で、
手縫いのお手玉やら、縫い物やら。ミサンガの作り方まで、彼女は学童で教えてもらった。
新しいことを教えてもらった夜には、彼女はたいがい自慢げに私にそれを披露してくれるのだった。
彼女が学校でたちのわるい虐めにあっていたとき、
真剣に耳を傾けてくださったのもまた、学童の指導員さんたちで。
もし指導員さんたちがいなかったら、
母と娘ふたりきり、一体どこへ行きついてしまっていたことか。
娘と私の二人三脚は、いつだって、
そうやって多くの周囲のひとたちによって、支えられていた。
それでも。
彼女は微妙に、心に扉をもっていた。
その扉は本当によく、簡単にしまってしまう敏感な扉で。
そんな彼女と定期的にカメラのこちら側と向こう側、向き合うと、
決して媚びない、それでいて震えたまっすぐな眼差しが
私を射るのだった。