2014年1月16日木曜日

娘との対話


それまで私は、ごくごく普通に友人や風景にカメラを向けシャッターを切っていた。
或る日離婚するまで。

離婚して、何がまず困ったといえば、娘が休日私にくっついて存在しているということだった。
いや何とわがままなと言われるかもしれない。確かに私もそう思う。
しかし、それが本当に困った。

写真を撮りに行こうとしても行けない。
何をするにも彼女がくっついてくる。
一体何を撮ればいいんだ。

そう悩み始め、堂々巡りの日々を過ごしもした。しかし、或る時はじけるように気づいた。
あぁそうだ、彼女を撮ればいいのだ。

そうして彼女との対話が始まった。

彼女はまだ幼く、私の撮影についてくるなんて気分でもなく、
つまり、
彼女にとってはおそらく、ママと遊びに或いは散歩に出かける、という程度の気持ちだったに違いない。

でも、写真を撮りたくて撮りたくて仕方がない私にとって、一転、彼女は最高のモデルになり得た。集中力が短時間で切れることを除けば。

つまり。
短時間で撮るしかない。彼女の集中力が続いている短い時間である程度の代物を仕上げるしかない。その壁にぶつかって、私はあっさり諦めた。
彼女が気分の乗っている間だけ、カメラを向ける。それが途切れたら、さっさと引き上げる。

そうして何年。彼女と対話し続けているだろう。
最近では、写真撮りに行こう、と声をかけると、「おこづかい頂戴!」とのたまうようになってしまったが、それでも、彼女と撮ることをやめる気持ちはない。

カメラのこちら側とあちら側、対等になって、初めて見えてくるものが、ある。
それが面白いから、やめられない。
今では、写真を撮りにでかけることは、彼女の新たな一面を発見できる、大事な機会になっている。