2010年5月6日木曜日

森の中の小屋

それはまさに森の中で。木を掻き分けて入っていかないと届かないような場所に、その小屋は在った。
思い返してみると、もう何年も何年も、それはその場所に在り。でも、誰かがそこを出入りしている姿は、一度として見たことが、ない。

森の中、迷い込んだとき、それを初めて見つけた。最初ぎょっとして、それからおずおずと首を伸ばして眺めた。窓も何もない、小さな扉が裏側にあるきりの、小さな小さな小屋だった。
物置にしているにしては、周りに何も家がなかった。鬱蒼と木々に囲まれ、それは在った。

そういえば昔、小さな頃、窓も何もないところに押し込められたことがあった。何が原因でそうなったのかは覚えていないが、閉じ込められた。
徐々に徐々に、目が闇に慣れ、闇が見えるようになってきて。眺め回してみると、壁という壁が蠢いて見えたものだった。それが何より、恐ろしかった。
でも同時に、闇が呼吸しているということが、何処か、嬉しかった。ほっとした。闇も呼吸するものなのかという気づきは、闇を近しいものにした。

私はカメラを持ったまま、小屋をただじっと眺めていた。眺めながら耳を澄ますと、森を渡ってゆく風の音が、さやさやと響いてきた。
こんなに暗い場所でも、風が通り、葉がざわめくのだ。という、当たり前のことに気づいて、少し嬉しかった。確かに辺りの空気は静謐だった。決して澱んでなどいなかった。

時々、カメラを持って歩いていると、こういう小屋に出会う。もう誰にも彼にも忘れ去られたような、窓もない小屋。窓がない、ということが、私を不安にさせるのだが。

そうしてカメラを構え、ファインダーを覗いたとき、栗鼠がとととっと木を登っていった。それは一匹ではなく、三匹の栗鼠で。子連れなのだろうか。私がここに在るにも関わらず、木を登ったり降りたり。忙しい。
あぁ、小屋もこれなら、寂しくはない。そのことを思ったとき、自然にシャッターを切っていた。こうして木々に囲まれ、栗鼠に囲まれていたら、きっと寂しくはない。
それまでひとりぼっちに見えていた小屋が、生き生きとしてきた。私の目の中で、鼓動が聴こえるようだった。