2010年3月14日日曜日

痕跡~樹映より06


一体どのくらい歩き続けたんだろう、私たちは。
台風はどのくらい、この町から離れていったろう。
分からない。私たちは誰もそのことを知らない。

もう森の中、何処をどう歩いたか分からない、というほど、私たちは歩き続けていた。雨に濡れ、冷え切った爪先は少し、痺れ始めてさえいた。

でも何だろう、濡れて泥だらけになればなるほど、彼女と彼の輝きは、増してゆくようで。
私は先導して歩きながら、何とも振り向いた。
荒れ狂うこの空の下、それはまるで、ひとつの灯りだった。

あの時、彼らの足は、もう痺れていたんだろうか。
傷だらけになっていやしなかったか。
何も云わず、ただ神経を撮影に集中させて、一心に自分に入り込んでいる彼と彼女に、私は余計な言葉は掛けなかった。
掛ける必要など、何処にもないように思えた。
そう、何処にも。

森を歩き続け、荒れ狂う自然の中歩き続けた足が、ここに、在る。

濡れた蔦葉に埋もれて~樹映より05

さらに歩いてゆくと、森の中、みっしりと葉の茂る場所を見つける。
その葉たちはぐっしょりと濡れていた。濡れて輝いていた。
どこにも陽ざしなどないというのに、それでも彼らは輝いていた。

ここに、横になれる?

彼女と彼は、うんともいいやとも何も云わず、黙ってその中に入っていった。

横たわる彼らは、葉よりもずっと、しんしんと、輝いて見えた。

雨はまだ荒れ狂いこちらを刺すように降り続けている。
私の前髪からは、雨粒が滴り落ちる。
でもファインダーの向こうは、そう、輝いて、いた。

暗室に籠り、このネガをプリントしていて、なおさらに思う。
まるで発光しているようだ、と。
ぬめぬめと照り輝く葉々は、まるで爬虫類か何かの身体のようで。
私はプリントしながら、一瞬身震いする。
それでも何だろう、蠢く気配の中に横たわる彼らは、決して冒すことができないほどに、しんとして、まっさらだった。

2010年3月11日木曜日

沈黙する森(2)(3)~樹映より03/04

私たちはさらに歩く。そして出会う。
森の中の丘、ぽっかりと、まるで森が口を開けたかのような空間。
土の上を這う草も途切れ途切れ、私たちは足を泥だらけにしながら、その中央へ歩いていった。
見上げれば、梢もぽっかりと口を開け。空は丸見えだった。

今にもこちらに堕ちてきそうなほど唸り狂う空が、そこには在った。
けれど森は。
沈黙していた。
ただ、沈黙していた。

私たちは、そんな、森の中に在った。

彼女と彼がもたれかかって座り合う、その場所から私は少しずつ離れていった。
一歩、また一歩。
そうして離れた場所から彼女と彼を見やると。

まるで、一枚の静物画のようで。
私は、シャッターを切った。

猛り狂う空と雲。弄りつけてくる雨粒。
にも関わらず、そこには静謐さが在った。
犯しがたい沈黙が在った。
私は正直、彼女と彼に、見惚れていた。

2010年3月9日火曜日

沈黙する森(1)~樹映より 02


ざわわ、ざわわ、ごう、ごごう。
風は音を立てて吹き荒れ、雨は横殴りに降っていた。
それでも私たちを止められるものは、何処にもなかった。
いまさら、ここまで来て、私たちはもう、止まることなどできなかった。

森の中へ歩き出す。
ごう、ごごうごごう。樹々はまるで嘲るように唸っていた。
ばしばしと、音を立てて雨粒は地面に突き刺さった。
三人とも、着ているものはまたたくまにずぶ濡れになっていった。
それでも、歩みを止めることはなかった。

頭上で雲はぐいぐいと流れ、その表情は一瞬として同じものはなく。
強まったり弱まったりしながら、雨粒は私たちの頬を叩いた。

と。
それまで右に左に揺れていた樹々が、その瞬間、ぴたりと止まった。
彼女と彼が、そこに立った瞬間だった。

森が沈黙している。
私にはそう感じられた。
彼女と彼とをまるで、出迎えるかのような沈黙。その沈黙は、じわじわと、辺りに広がっていった。

2010年3月7日日曜日

嵐の樹の下で~樹映より 01


それは台風がこの町にやってきた日だった。
その日、遠い西の町からやってきてくれた彼女が、彼と一緒にうちにやって来た。この日しか三人の時間が合わない。だから台風の中だというのに彼らはやって来た。
夜通し話をして過ごした。その間も、窓の外はびゅうびゅうと風が吹き、雨が激しく窓に叩きつけていた。
無事に撮影できるんだろうか。
いや、できるかできないかじゃなくて、撮影するんだよ。
そんなことを、私たちは言い合いながら、互いを励まし合った。

そしてまだ叩きつけるように降る雨の中、私たちは家を出た。一心にその場所へ向かった。夜明けの時刻だった。台風は直前にこの町を通り過ぎていった。その台風を追いかけるかのように、私たちはただ、森へ向かった。

真っ白な服を。私は彼女と彼にお願いした。森の中で彼女らを撮るのなら、真っ白な服だ、そう思ったからだ。
まだ雨は降っていた。風も強く樹々を嬲っていた。空は荒れ、大気はまるで怒っているかのようだった。

でも何だろう。そんな中で、彼女と彼は凛々しかった。輝いていた。
自然は怒りながら、それでも、彼女と彼を迎えていた。
私はただ、そんな彼らを、追いかけるだけだった。

2010年3月4日木曜日

焦がれたのは、ただ最後まで学校に残ることだった

私は小さい頃、ひどく体が弱かった。おなかが痛くなったり、熱を出したり、吐いて戻したり。そうして毎日のように保健室に通った。
だから保健室のベッドの上、寝転がりながら、保健室の天井の、穴の模様を数えて過ごした。うんうん痛みに唸りながら、模様の数を数え、少しでも早く教室に戻れるようにと祈った。小学校四年生頃まで、それは続いた。
教室で一日を終わりまで過ごすこと。その頃の私にとって、それが一番の、願い、だった。

私は何かと目立つ子供だった。顔つきがそもそもきつかったのもあるだろう。何かと目をつけられた。
また、私は朝礼で何かと名前を呼ばれる子供でもあった。絵のコンクールに参加したり何したりと結構していたため、そのたび名前が呼ばれるのだった。そのせいでも、何となく子供らの間から浮いて、遠巻きにされることがしばしばだった。

引越しや分校によって、小学校は三つ通った。でもその何処ででも、やはり、私は何となく浮いていた。いじめられることもしばしばだった。

すぐ具合が悪くなって保健室へ運ばれ、そして早退。私はそれが嫌で嫌でたまらなかった。何とか最後まで教室に残りたい、具合が悪くなってもだから、しばらく机に齧りついていた。でも絶えられなくなって、涙がぽろぽろこぼれ、結局先生に運ばれるのだった。

そうして早退して帰る学校は、いつもがらんとしていた。いや、学校の中には大勢の生徒が今、まさに勉強なり何なりをしている。そう、がらんとしていたのは、学校の外、だった。
朝礼台がいつでも、ぽつねんとそこに在った。私はその脇を通り抜け、校門を出て、ひとりとぼとぼ帰るのだった。

この写真は、娘の小学校を朝まだ誰もいない時間に写したものだが。
あの頃の私が見ていた小学校がここに在る。とぼとぼ一人で早退して帰る、その時見上げる学校。校庭。朝礼台。

焦がれ焦がれて、涙に濡れて見上げた小学校。
したかったのはただ、一日の最後まで、学校に残ること。
あの頃の私がまだ、ぽつり、校庭に居残っている。

2010年3月2日火曜日

足跡という軌跡

今住む部屋の、玄関を出ると、目の前に小学校がある。娘が通う小学校だ。一学年二クラスしかない、小さな小さな小学校。
小学校の校庭を眺めると、いつも思う。ひとつとして同じ景色はない、と。当たり前のことかもしれないが、そのことを強く思う。
八時十分。締まっていた校門が開き、子供らがわらわらと雪崩れ込む。五分後には閉められる校門。みんな勢い良く校舎に入ってゆく。
授業の様子もここから目を凝らせば見ることができる。窓際で手を上げる子、こっくりこっくり舟を漕いでいる子、みんなそれぞれだ。
休み時間になれば、遊具に群がる子、校庭を走り回る子、みんな思い思いに校庭を走り回っている。
そして午後三時を過ぎると、子供らはそれぞれちりぢりになり。学校はがらんどうになる。
毎日繰り返されるその光景。しかし、ひとつとして同じものは、ない。

娘を待っていた夕暮れ。ふと、校門がもう締められ、子供らのいなくなった校庭を眺める。あまりにもそれはがらんとしており、それはあまりにも寂しげで。
胸がきゅう、と鳴った。

そこには昼間子供らがつけた足跡がくっきりと残っており。それは幾重にも幾重にも重なり合って。砂の上、くっきりと残っており。
けれどもう誰も、いないのだ。そしてまた、この足跡などに目を留めるものも恐らく、誰も、いない。明日になればその足跡は、新しい足跡によって消されてしまう。

多分私が明日またこの同じ時刻、同じ角度でもってシャッターを切っても、同じ風景は残すことはできないだろう。あの日あの場所、あの瞬間。誰もいなくなった校庭に残された、幾つもの足跡。生きている、そのことの、軌跡。