まだ港湾地帯が整備される前の頃。そこには棄てられた家屋が何軒か建っていた。以前は何かしらの事務所に使われていたのだろうその建物たちは、私が訪れるたび横に罅が入り、縦に罅が入り、と、いつ崩れてもおかしくない程に錆びついていった。
それでも何だろう、それはそこに在るものであって。なくなることなど、私には考えられなかった。窓の柵に突っ込まれた塵も、もはやそれはひとつの模様だった。立て掛けられた梯子ももはや使い道はありそうになく、それでもそこに、在るべきものだった。
私以外にも時折そこを訪れる人は居り。ほったて小屋のようながらりんとした倉庫によっかかりながらコンビニ弁当を食べる人、何となくその場所を歩きに来た人、ぼんやりとそのあたりから港を見つめる人。みなどこか陰りを持った、ひとりで時間を過ごしたい人たちがそこに、居た。
私が病に伏せっている間に、赤レンガ倉庫がショッピングモールとして生まれ変わり、港湾地帯も整備されて美しい遊歩道に作り変えられた。
或る日訪れたときにはもう、私が親しんだ建物たちは何処にもなく。これでもかというほど美しく整えられた街並みがそこに、広がっていた。
もうここに、ひとりで時を過ごしたい人など、居る余地はなく。私はすごすごと逃げ帰った。もう何処にも、ひとりで海を港を眺めて過ごせる余白など、そこには残っていなかった。
今日もそんな、美しく美しく整えられた地帯に、人々が集う。買い物、食事、散歩、様々な様子が繰り広げられる。でも。
もうそこには、「ひとり」を楽しむことができる余白は、ない。
私はあの場所が、ひどく、恋しい。