2014年8月12日火曜日

すれちがってきたひとたちへ


私が初めて外に写真を撮りに出た日、朝から雪が降っていた。
雪降る中、私はペンタックスのSP-Fのシャッターをかしゃかしゃ鳴らしながらともかく目に映るものすべてをフィルムに刻んだ。
これっぽっちも逃したくなかった。ほんの一瞬さえもくまなくフィルムに刻みたかった。

あの時。私はウォークマンのボリュームを最大にし、両耳にヘッドフォンをかけていた。
一緒に行ってくれた旧友がその様に呆れて、そんなんでよく街が撮れるねとぼやいた。
今なら分かる、その意味が。
でも。あの当時はそれで精いっぱいだった。
そうしなければ私は外を歩くことが一歩たりともできなかったから。
私と世界との境界線は崩壊し、世界のありとあらゆるものが私の内になだれ込むばかりだったあの頃。私は音で防御壁を必死に築いて、何とか世界と対峙していた。

その日最後に撮ったのが、この船の写真だ。
あの頃まだ、石川町筋を流れる川には、こうした船が夥しい数浮いていた。
要するに、乗り捨てられて。
それはまるで、その当時の自分の姿のようで。私は撮らずにいられなかったんだった。

徐々に徐々に、早朝を狙ってひとりでも外に出るようになった私は、野毛小路をその日歩いていた。
ふと気配を感じ恐怖に振り返ると、そこにいたのはただの猫だった。
猫が、私を呼んでいた。
呼ばれるまま入っていくと、ばあちゃんがひとりそこに居た。
「あんた、よそ者だね?」

ばあちゃんはそう言ってにやっと笑った。
コンビニの袋があちこちに散乱していた。その中に大勢の猫とばあちゃんが居た。
ばあちゃんがぽーんと菓子パンを放ってきた。私はそれを受け取ったものの食べていいのかどうしていいのか分からず困っていた。
ばあちゃんはいつの間にか、昔話を始めていた。

結婚してすぐじいちゃんと建てた店。おでん屋。
でもじいちゃんは戦争に早々に駆り出され呆気なく死んだ。
残されたばあちゃんは、必死に店を守りとおした。この店がそのおでん屋だった。
客で賑わっていた頃なんて見る影もなくなった錆びたガス台、散らかった店内。
それでも。
ばあちゃんはそこで生きていた。

またおいでよ。
そう言われて、はい、と返事をした、と思う。
写真、持ってきますね、と言ったんだったと思う。
でも。
私は間に合わなかった。
ばあちゃんは、その夏、死んだ。

二枚目の写真は、結局ばあちゃんにも誰にも渡せず私の手元に残った写真だ。
店内から撮った。
私の手にはその時、行き場のないまま菓子パンが握られていたんだったと思う。

そんな写真が、いつのまにか山となっていることに気づいた。
そのくらい、気づいたら写真を産むようになって時間が経っていた。
私の手元に残ったそれらの写真は、私が彼らとすれ違ってきたことを示している。

あれほど世界と隔たって、世界は敵だと全身強張らせていた私にも
すれ違ってきたひとはいたのだな、と
今更、気づく。

あの頃すれ違ってきたひとたちと、もっと話がしたかった。
もう二度と会えないひとたちへ。

ありがとう。