よく言われる。にのみやは、裏切られて嘘吐かれても、大丈夫、って感じがするよね。と。
なんだそれ、と応じてがははと笑ってやり過ごすが。何言ってんだよ畜生、と思っていたりする。
裏切られても平気、なんて嘘だ。平気なんかじゃぁない。
嘘吐かれても平気なんて嘘だ。全然平気なんかじゃぁない。
そのたび自分の何処がいけなかったのかと自分を責め、苛み、凹む。
それでも笑っているのは、笑うしか他に術がなかったりするからだ。
笑う以外に何がある? 怒ればいいのか? 怒れば何か解決するのか?
否。
怒ったって憎んだって解決することなど何もない。
なら、できることは何だ。
さらり、笑って流して、次に行くこと、そのくらいじゃないか。
だから笑う。
そっか、嘘だったか、と。そっか、裏切りだったか、と。
さらり笑って、がはは笑って、やり過ごす。
でもそういう態度が、平気なように、大丈夫なように受け止められてゆく。
私の心の内と、ひとの解釈との間には、海溝ほどの深い深い溝が生じる。
それでも。
私は笑う。
そうだったか、そんなことだったか、と、がははと笑う。
笑って、じゃ、ここからどうする?と応じる。
それくらい、じゃないか。できることなんて。
私にできることなんて、そのくらいじゃないか。
だから。
本当は平気でも大丈夫でもなんでもなくて、深く傷ついていたって、私は笑う。
笑って、受け止める。
そして、次へ。
私にできることは、そのくらい。