2014年3月16日日曜日

平気なんかじゃぁないからこそ、


よく言われる。にのみやは、裏切られて嘘吐かれても、大丈夫、って感じがするよね。と。
なんだそれ、と応じてがははと笑ってやり過ごすが。何言ってんだよ畜生、と思っていたりする。

裏切られても平気、なんて嘘だ。平気なんかじゃぁない。
嘘吐かれても平気なんて嘘だ。全然平気なんかじゃぁない。
そのたび自分の何処がいけなかったのかと自分を責め、苛み、凹む。
それでも笑っているのは、笑うしか他に術がなかったりするからだ。

笑う以外に何がある? 怒ればいいのか? 怒れば何か解決するのか?
否。
怒ったって憎んだって解決することなど何もない。
なら、できることは何だ。
さらり、笑って流して、次に行くこと、そのくらいじゃないか。

だから笑う。
そっか、嘘だったか、と。そっか、裏切りだったか、と。
さらり笑って、がはは笑って、やり過ごす。
でもそういう態度が、平気なように、大丈夫なように受け止められてゆく。
私の心の内と、ひとの解釈との間には、海溝ほどの深い深い溝が生じる。

それでも。
私は笑う。
そうだったか、そんなことだったか、と、がははと笑う。
笑って、じゃ、ここからどうする?と応じる。

それくらい、じゃないか。できることなんて。
私にできることなんて、そのくらいじゃないか。
だから。

本当は平気でも大丈夫でもなんでもなくて、深く傷ついていたって、私は笑う。
笑って、受け止める。
そして、次へ。

私にできることは、そのくらい。