娘は。
お絵描きの好きな子だった。彼女がひとりで遊んでいるときはたいがい、スケッチブックが友達だった。クレヨン、絵の具、サインペン、描き出すと黙々と作業していた。
彼女の絵はいつだって、誰かとふたりの絵だった。
尋ねたら、
ひとりは寂しいから。私はいつもママといるから。
という返事がいつだったか返ってきたことがある。
そうか、彼女の中にはお父さんという項目はないのか、と
少し寂しくなったことを覚えている。
でも。
それは当然なのだ。二、三歳で離婚し、物心ついたときには私とふたりきり、
二人三脚で歩いてきた彼女と私。
お父さんなんていう項目ははるかかなたの夢の物語だった。
私たちはよく、近所の公園にお絵描きにいった。
お絵描きといっても砂の上に絵を描くといったものなのだが、
つまり、スケッチブックだけでは足りなくて、地面に大きく描こう、ということで。
彼女は、描いていいよ、と私が声をかけると、もうその後は一心不乱、
夢中になってひとりで描き続けるのだった。
もちろん絵はその日のうちに、下手すれば描いているそばからなくなってゆく。
それでも私たちはかまわなかった。
描くという行為が楽しいのであって、描いたものを残して評価してもらう、なんてことは考えてもいなかったから。
だから毎日が、お絵描き日和で、ただただ楽しかった。
彼女があの日突然言った。
ママ、いなくならないでね。
地面には大きな大きな、ママの絵が描いてあった。
2014年1月18日土曜日
2014年1月17日金曜日
後姿
後姿というのはひとが思っている以上に多くを語る、
と私は思っている。
そのひとが表では隠している言葉を、背中が黙々と語ってしまうのである。
つまり、後姿は饒舌だ。
たとえば。
「いえそんなことありません、こちらこそありがとう」とにっこり笑って去ってゆく誰かの
後姿、肩のあたりを私は見つめる。
その肩の線が語るのだ。
ああなんてこと、残念でならない、こんなことなら・・・。
そんな声がありありと、聴こえてくる。
私は娘の後ろ向きの立ち姿がとても好きだ。
彼女の背中は多くを拒絶する。
そして、なぜか彼女の後姿は寡黙だ。
寡黙であるが故の、確固たる言葉を、持っている、と
私は感じる。
2014年1月16日木曜日
娘との対話
それまで私は、ごくごく普通に友人や風景にカメラを向けシャッターを切っていた。
或る日離婚するまで。
離婚して、何がまず困ったといえば、娘が休日私にくっついて存在しているということだった。
いや何とわがままなと言われるかもしれない。確かに私もそう思う。
しかし、それが本当に困った。
写真を撮りに行こうとしても行けない。
何をするにも彼女がくっついてくる。
一体何を撮ればいいんだ。
そう悩み始め、堂々巡りの日々を過ごしもした。しかし、或る時はじけるように気づいた。
あぁそうだ、彼女を撮ればいいのだ。
そうして彼女との対話が始まった。
彼女はまだ幼く、私の撮影についてくるなんて気分でもなく、
つまり、
彼女にとってはおそらく、ママと遊びに或いは散歩に出かける、という程度の気持ちだったに違いない。
でも、写真を撮りたくて撮りたくて仕方がない私にとって、一転、彼女は最高のモデルになり得た。集中力が短時間で切れることを除けば。
つまり。
短時間で撮るしかない。彼女の集中力が続いている短い時間である程度の代物を仕上げるしかない。その壁にぶつかって、私はあっさり諦めた。
彼女が気分の乗っている間だけ、カメラを向ける。それが途切れたら、さっさと引き上げる。
そうして何年。彼女と対話し続けているだろう。
最近では、写真撮りに行こう、と声をかけると、「おこづかい頂戴!」とのたまうようになってしまったが、それでも、彼女と撮ることをやめる気持ちはない。
カメラのこちら側とあちら側、対等になって、初めて見えてくるものが、ある。
それが面白いから、やめられない。
今では、写真を撮りにでかけることは、彼女の新たな一面を発見できる、大事な機会になっている。
2014年1月15日水曜日
ホルガ
私は結構ホルガというカメラが好きだ。
あのおばかなカメラが。
よくフィルムを巻き忘れ、あちゃ!という事態に陥るが、それもこのカメラの味のひとつになって、仕上がってみると結構納得いっちゃったりする。
計算しつくされて、隙間もないほど整えられたカメラよりも
隙間だらけ穴だらけの、ポンコツカメラが写し出す世界の方が
ずっと
余白に満ちていて、ほっとする。
余白というのは美だ。
私はそう思っている。
余白、余韻、そういったものがないと、私は窮屈さを覚える。どうにもこうにもお尻のあたりがむずむずしてきて落ち着かなくなる。
もちろん、むやみやたらに余白やら余韻やらを醸し出した作品は、それはナンセンスなのだけれども、あるべくしてある余白や余韻には、酔わずにはいられない。
ホルガ。
それは、隙間だらけ穴だらけの
余韻の世界。
そして私は、その世界がたまらなく、好きだという、こと。
2014年1月8日水曜日
やめてやる、と思う夜には / シリーズ michiko より
もうやめよう。もうやめてやる。こんなことになるくらいなら写真などやめてやる。
そういうふうに暴力的に思うことが、時々、ある。
写真なんざやめてやる。
思う傍から、私の心身は凍り付いていたりするのに。
それでも。
思わずにはいられないときというのはやっぱりあって。
だから、そういう夜は、必ずみっちゃんとの写真を見返す。
私の写真のはじめに、ずっと付き添っていてくれた絵描きの友人・みっちゃんとの写真。
彼女との時間はとても濃密だった。
ほんの数年という短い時間だったけれど、でも、きっとこれから先いつ振り返っても、
彼女との時間は濃密だった、と私は言うに違いない。
彼女が最初のモデルでなかったら。
今の私の写真はきっと、なかった。
彼女が最初のモデルでなかったら。
今の私の距離感はきっと、なかった。
そう思う。
そう思わせるほど、彼女の存在は大きかった。
もうやめよう。やめてしまおう。写真なんて。
そう思う程に、彼女が頭の中浮かんでくる。色濃く浮かんでくる。
私はそんなためにモデルになったんじゃないわよ、とあっさりばっさり言い切る彼女が
まるで目の前に立っているかのような気持になる。
彼女に、私がばしんと言い返せないかぎり、まだ、やめられない。
まだしばらく、ばしん、となんて言い返せそうにない。
大丈夫。
まだ、やめない。
そういうふうに暴力的に思うことが、時々、ある。
写真なんざやめてやる。
思う傍から、私の心身は凍り付いていたりするのに。
それでも。
思わずにはいられないときというのはやっぱりあって。
だから、そういう夜は、必ずみっちゃんとの写真を見返す。
私の写真のはじめに、ずっと付き添っていてくれた絵描きの友人・みっちゃんとの写真。
彼女との時間はとても濃密だった。
ほんの数年という短い時間だったけれど、でも、きっとこれから先いつ振り返っても、
彼女との時間は濃密だった、と私は言うに違いない。
彼女が最初のモデルでなかったら。
今の私の写真はきっと、なかった。
彼女が最初のモデルでなかったら。
今の私の距離感はきっと、なかった。
そう思う。
そう思わせるほど、彼女の存在は大きかった。
もうやめよう。やめてしまおう。写真なんて。
そう思う程に、彼女が頭の中浮かんでくる。色濃く浮かんでくる。
私はそんなためにモデルになったんじゃないわよ、とあっさりばっさり言い切る彼女が
まるで目の前に立っているかのような気持になる。
彼女に、私がばしんと言い返せないかぎり、まだ、やめられない。
まだしばらく、ばしん、となんて言い返せそうにない。
大丈夫。
まだ、やめない。
2013年12月30日月曜日
ありがとうございました
今日で今年の書簡集での展示も無事終わります。
長いようで短い時間でした。いつもそう思います。
訪れてくださった方々、遠方からエールを送って下さった方々などなど、
本当にありがとうございました。
そして今年も、終わってゆきます。
来春、4月5日から5月5日、
REMINDERS PHOTOGRAPHY STRONGHOLD
http://reminders-project.org/rps/aboutstronghold/
にて、「杏子痕~彼女の肖像」の展示をします。
気持ちを切り替えて、その準備に私は入ります。
今年一年、お世話になりました。
よいお年をお迎えください。
そして来年も。
どうぞよろしくお願いいたします。
にのみやさをり
2013年12月3日火曜日
風の旅人復刊3号に
12月1日、風の旅人復刊3号が発刊されました。
http://www.kazetabi.jp/
この3号に、「彼女の肖像~杏子痕」が掲載されました。
私の手元に今、この3号があります。でも、まだ正直、ちゃんと自分の頁を見ることができていません。そして今日、彼女にこの本を手渡してきました。
彼女がにっこり笑ってくれたことが、何よりの私の励みです。
そして。
これを読んでくださるあなたの声が心が、私たちのこれからの励みになります。
よかったら、読んで、見て、ください。
http://www.kazetabi.jp/
この3号に、「彼女の肖像~杏子痕」が掲載されました。
私の手元に今、この3号があります。でも、まだ正直、ちゃんと自分の頁を見ることができていません。そして今日、彼女にこの本を手渡してきました。
彼女がにっこり笑ってくれたことが、何よりの私の励みです。
そして。
これを読んでくださるあなたの声が心が、私たちのこれからの励みになります。
よかったら、読んで、見て、ください。
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