2014年10月29日水曜日

朗読劇「乳白」に寄せて


10月26日、ちょうど私の個展が始まる当日、とある朗読劇が催された。
「乳白」。
朝戸佑飛氏による脚本。

その第一稿を手渡されたのはひと月前だったか。
読んでもらえますか、とまっすぐに渡されたそれは、直球ならではの彼の味が存分に出ているものだった。
彼の実際の体験や経験が随所に織り込まれ、それは小さな飛行石のように輝いていた。

写真を、と言われたのはいつだったか。その時だったかもしれない。それとももっと後だったかもしれない。正確には覚えていない。
が、写真を、と言われて即座にオーケーしたことは覚えている。

物語の登場人物は三人。いや、正確にはどうだろう、四人だったのかもしれない。
あの乳白色の代物を混ぜたら四人だったのかも。
いや、それはここではとりあえず脇に置いておこう。
ともかくも写真を撮ることを引き受け、それも日帰りで砂丘で、ということに、なった。


撮影日、早朝の新幹線に乗った。
雨がまだ降っていた。それは強くなったり弱くなったりしながら降り続いており。
これで撮影ができるのか、と危ぶまれた。

が。
何故なんだろう、撮影を始めよう、とする間際になって、雨はぴたりと止んだ。
私たちは勇んで浜に飛び出した。
砂はしっとりと濡れ、裸足にじわじわとまとわりついた。
でもそれは決して心地悪いものではなく、むしろ、私たちのはやる気持ちそのままだったかもしれない。
砂丘には二つの大きな水溜りもできており。
これは撮影にうってつけだ、と私は心の中手を叩いた。



朝戸くんは、撮影が終わった後、にのみやさんは僕より本を読みこんでくれてたんじゃないか、と言ってくれたが、それは違う。
私のイメージは、第一稿を読んだその場でほぼカタチができていた。
だから私の為すべきことは、そのイメージを具現化するべく、彼らに動いてもらうだけ、だった。

読み込んだ読み込んでない、そういう問題じゃなく。
彼の脚本が、イメージを沸き起こさせるものだったからなんだろう。
読みながらもう、私の中にはふつふつとカタチが生まれ浮かび、これを写真にできたらどれほど楽しいだろうと思っていたのだから。


そうして始まった撮影。朝戸くん以外のふたりとは私は初対面。
正直、一対一の撮影じゃなく一対多数の撮影と言うのはひどく疲れる。
エネルギーが分散され、余計に負荷がかかるからだ。
しかもこの日初対面のふたり。
私は大丈夫だろうかとほんのちょっとだけ思わなかったわけじゃない。でも。
大丈夫、という何か確信めいたものも、あったのは確かだ。

海の波は高く荒れていた。
これでもかというほど浜に打ち付けてきては砕けた。
その間を走り、転がり、横たわり。
彼らは自在に動き回ってくれた。


私が「乳白」について言葉で語るのは愚かしい気がするので、敢えてやめておく。
私が為すべきは、写真によって語ること、それだけの気がするからだ。

それでもひとことだけ声にするなら。言葉にするなら。
誰もが二十代のどこかで、通り過ぎるものが、物語の随所にちりばめられていて、
きっと、同年代が見たら共感を、
離れた世代が見たならばこそばゆさと眩さを、
感じずにはいられないものだったはず、だ。

撮影は三時間弱。あっという間に過ぎてしまった。
終えるのが切なくなるくらい、あっという間で。

彼らと私は二十も年が離れている。でも。
あの瞬間は、同じ仲間でいられたんじゃないか、と。おずおずとながら思っている。
彼らと肩を並べられたんじゃないか、と。

そして。

また彼らと一緒に仕事ができる機会を、私は欲している。