2014年9月9日火曜日

こんなにも


今為している治療はとても地味だ。
ひとつは、ひたすら語る。自分のトラウマについて徹底的に語る。
現在形で語ったり、主語をいちいちつけて語ったり。
そうやって記憶を鮮明にさせてゆく。させてゆくと同時に、それが「過去」であることを刻印させてゆく。現在ではない、過去なのだ、と。
しかし、現在形で自分のトラウマを語ったことがあるひとになら分かるだろうが、その地味な作業がとても辛い。記憶がぶわっと今に襲い掛かってくる。襲い掛かってくるから避けようとして現在形から逃れようとする。でも、一度今に舞い戻ってきた記憶は怒涛の如く私を呑み込む。結果、息が上がりぜぇぜぇと息切れし、語り続けられなくなる。
その繰り返し。

他人事のように語ることは、いくらだってできるのだ。私にも。
まさしく他人事のように、こんなことがあったあんなことがあった、と語ることは。
しかし、
現在形、しかも主語が自分、となると、私は避けてしまう。とてもじゃないが語り切れない。
語るごとに現在が過去に侵されてゆく。

もうひとつは、課題をこなすこと。
たとえば、他人と本屋などで背中合わせに10分20分耐えること。
たとえば、長い時間歩いて他人と何度もすれ違うこと。
たとえば。

挙げればどれもこれも地味すぎる、当たり前すぎることなんだろう。
しかし。たとえば他人と背中合わせに立って耐えることは、私には辛い。
どうしようもないくらい怖い。
また同じことが起こるんじゃないか、起こるに違いない、起こってしまう!という危機感に何度も襲われ、そのたび時間を超えることなく逃げ出してしまう。

普通のひとにとっての当たり前が、こんなにもできないなんて。
それを思い知らされる毎日だ。

それでも。
いつか大丈夫になりたいから。
いつか傷をちゃんと過去のものにしたいから。
いつか。

と思って、治療を続ける。

そんな今日この頃。