2011年1月27日木曜日

髪の毛

娘の髪の毛は、まっすぐに伸びている。
まだ穢れを知らぬかのように、つやつやと輝き、彼女が跳ねるように歩くそれに沿ってひゅんひゅんと揺れる。

年を重ねて知ったことのひとつは。
髪の毛さえも年を含んでゆくということ。
癖のなかった真っ直ぐな髪が、いつの間にか癖に塗れ、艶を失ってゆく。
でこぼこの、まるでそれは自分が歩いてきた道程の、そのままを現すかのように。

砂利道を歩くと、一足ごとにしゃり、しゃり、と石の擦れる音がする。
娘の軽い足音と、私の重みのある足音とが重なり合うように森に響く。
先を往く娘のその軽やかな足取りは、まるでちょっとした妖精のようにさえ見える。

ねぇママ、森の匂いって、いれたてのお風呂の匂いに似てる。
あぁ、そうかもしれないねぇ。
あったかくって、でも涼しくって、いい匂いだぁ。
うんうん、そうだね。深呼吸したくなるね。

娘の歩く行く先が、できることならいつも、こんなふうに光に満ち満ちていますよう。
私は彼女の後ろを歩きながら、祈るように思う。

2011年1月19日水曜日

森の中で

その森は一体いつからそこに在ったんだろう。私は知らない。
私が幼い頃にはすでにそこに在った。
人の手によって少しずつ削られてはいるけれど、それでもこの森はまだ生きている。
とくとくと脈打っている。

娘が駆けだした。
半ズボンの娘の足はまっすぐに、のびやかにしなって駆けてゆく。
彼女の手にはさっき彼女が拾った笹の葉が握られており。
それは森の緑と実によく溶け合っているのだった。

私にもきっと、こんな年頃があったろう。
私もきっと、母の眼の中でこんなふうに走ったことがあったろう。
私に記憶がないだけで、きっと。
そう、信じたい。

私は父母とうまくやってこれなかった。
だからこそ、この娘を産む時、悩みに悩んだ。
「虐待の連鎖」を。

それを乗り越えて。産んだ娘は、すくすくと私の隣で育ち、
いつの間にかこうやって、私の元を離れ駆けだしてゆく存在になっている。
娘は私の恐れなどに構うことなく、のびやかに健やかに育っている。

今森が開けてゆく。
明るい陽光が空から降り注ぐ。
娘の往く手には明るい陽光が漲り、私はそんな彼女の往く手を目を細めて見やる。
そうやって走っていくといい。駆けてゆくといい。
振り返った時私はいつでもここに在る。

2011年1月14日金曜日

木々の狭間で

道をさらにのぼってゆくと、木立がますます深みを増してゆく。
それまで手を繋いでいた娘が、私の手をぱっと離し、走り出す。
それは、まさに木立の窪みで。自然が作った、小さな部屋のようで。

私も彼女に習って近づこうとして、やめた。
「ここは子供だけの場所ですよ」。木がそう言っているかのように聴こえた。
それは空耳だったかもしれないけれど。でも確かにそう聴こえたのだ。

娘は、足元に生えている草花を、摘んでは香りを確かめている。
それは、娘ひとりきりの、大事な時間だった。
私は離れた場所で、彼女が戻るのを待つことにした。

目を閉じて耳を澄ますと、せせらぎの音が何処からか聴こえてくる。そんな場所だった。
木立はぽっかりと影を作り、その影が部屋となって、娘をそっと包み込んでいた。
空は青く青く青く澄み渡り、野鳥の声があたりを飛び交っていた。

一人遊びに満足したらしい娘は、いつの間にかにっと笑っている。
だから私もにっと笑い返す。
ここ、秘密基地になりそうだね。娘が言う。
私は無言で頷き返した。

2011年1月11日火曜日

草叢で

そこにはかつて、小さな公園があった。ブランコ二つに動物を模った置物。ただそれだけが置かれた、小さな小さな公園だった。
私が子供の頃は、山小屋に来た折、よくそのブランコに乗って遊んだ。漕ぐほどに高く高く揺れるブランコは、そのまま飛び出したら空に飛んでゆけそうな気がして、その頃の私の好きな乗り物の一つだった。

が。
今、その公園は草叢になってしまった。
遊具は錆びて、置き去りにされており。もはや動物を模った置物の姿は草叢に隠れて見えなくなっており。ここがかつて小さな公園だったことなんて、とても思えなくなっていた。

娘が尋ねてくる。
ママ、本当に公園だったの?
うん、ママが子供の頃はね。
今、草しか生えてないよ。
そうだね…誰も草を刈ったり整備したりしなくなっちゃったんだね。

娘はそれでも、草叢の中に足を突っ込もうと、試みている。
私は少し離れて後ろから、その姿を見つめている。

たった三十年。三十年の間に、この土地は様変わりした。
娘の足さえ受け付けないほど、草叢は深く深く深く。
諦めきれない娘が、じっと立ち尽くしている。
私は心の中、自然の再生力に、拍手を送っていた。

2011年1月5日水曜日

大樹

森の中に一本、ひときわ大きな樹がある。一体もう何年ここで生きているのだろう。私には分からない。そのくらい、太く太く大きな樹がある。
その樹の手前には小さなベンチが置いてあって。だからここを通ると、たまに通りがかりの人が座って休んでいる。

ベンチに寝転がって樹を見上げると、それはもう壮観で。どれほどのおじいさん樹か分からないのに、太く逞しく育った枝葉は何処までも何処までも深く茂っており。
きっと気の遠くなるような長い時間が、ここには流れていたのだな、と、そのことを思う。

樹の幹は、ささくれ立っていて、だから触れるとちょっと痛い。痛いのだけれど触れずにいられなくて、私は手をそっと伸ばす。
目を閉じ、耳を澄ますと、樹の鼓動と共に、周囲の音が私の鼓膜に雪崩れ込んで来る。
鳥たちのさえずり、木々の囁き、小動物の足音。
樹は、きっと、みんなの守り神なのだ。

ねぇママ、この樹はここから一歩も動けないんだよね? 娘が問うてくる。
そうだね、うん。
樹はそれで満足なのかな。他のところを見たいとか思わないのかな。
だからこそ、種を飛ばして旅させるんじゃない? いろんな世界を見ておいで、って。
ふぅーーーん。

がっしと大地に根付いたその逞しい根。私はそっと土から顔を出している根の部分を撫でてみる。あたたかい、気がした。

2011年1月4日火曜日

森の入り口

そこは鬱蒼と木々の茂る場所で。
一歩進むごとに、緑の匂いが濃くなってゆく。
私たちはそこをゆっくり、そう、ゆっくり散歩していた。ある夏の昼下がり。

先に走ってゆく娘の背中を眺めながら、大きくなったなぁと改めて感じる。
生まれたとき彼女は、がりがりに痩せて、あばら骨が丸見えだった。
妊娠時期ずっと、異常続きで絶対安静が続いたと思っていたら、出産したら出産したで、三ヶ月目に私は倒れ、動けなくなった。トイレにさえ自分でいけない状況になった。
あのときほど、情けないと思ったことはない。
おむつが濡れて泣いている娘が目の前にいるのに、手が届かない。
何とか必死に這いずって行っておむつを交換するのだが、泣き止まない。
抱き上げることが難しくて、私は彼女に寄り添って、ああでもないこうでもないとおもちゃを見せてはあやした。
本当に情けなかった。昨日までひょいっと娘を抱き上げていた自分の体だったのに、それがトイレにさえいけない、痛みで座っていることもできない、そんな状態に陥るなんて、と。

それでも。
そんな親の不具合になど引きずられることなく、娘はすくすくと大きくなり。
風邪一つひかず、ぐいぐいと大きくなり。
気づけば私の背丈に、もうじき届く、頃。

ママー!森がざわめいてるよー!
先に行った娘が大声で私にそう告げる。私は立ち止まって耳を澄ます。そして娘へ返事をする。
うん、ざわわざわわって、何か言ってるみたいだねー!
娘は走って私のところに戻ってくると、耳に口を寄せてこう言った。
きっとね、この森には、精霊が住んでるんだよ。森の精霊。

あと何年かしたら、この森も開発されて、私たちの手の届かないところへ行ってしまうのかもしれない。でもそれまでは。
存分に味わっておこう。この森の匂い。この森のざわめき。この森の、囁き。