2011年7月8日金曜日

幻霧景Ⅰ-01

それは夜明けとともに始まった。まだ薄暗い森林公園。
うっすらと霧のかかった朝の光景。どの樹もどの樹も、しんと鎮まり返っている。
その静けさがたまらなく心地よい。
私のフィルムの感度で、ちょうどこれが始まりの時刻。

広がる草の原を見つめていた私は、その子に声を掛ける。
ねぇ、あそこまで走ってみようか。

その子はコクリと頷き、私の掛け声とともにダッシュした。
小さい子にはまだその距離は辛かったろうに、それでもその子は必死に丘を駆け上がっていった。
一方私は、シャッターを切り続けている。

そして私がカメラを下ろすと、それまで私の隣にいた彼女がその子を迎えに、自然歩きだす。
撮影の、始まりだった。

2011年7月5日火曜日

鉄棒

当時住んでいた部屋は小学校のすぐ裏手にあった。そのおかげで玄関を出ると目の前に教室や校庭が広がっていた。時折休み時間にベランダから娘が手を振ってくることもあった。

その小学校の校庭の、一番端っこに、その鉄棒はあった。
いつ見ても、他の遊具より人気がないらしい鉄棒。鉄棒を使って休み時間に遊ぶ子は今はそれほどに少なかった。
私はそんな寂しげな鉄棒が、いつも気になっていた。

ふとカメラを構え、シャッターを切る。
それをプリントして、はっとした。
鉄棒の周りには、幾つもの足痕がちゃんと残っているじゃないか。
あぁそうか、私が見ている時たまたま鉄棒で遊んでいる子がいなかっただけで、実はここで遊んでいる子たちもちゃんといるのだ。
そう思ったら、なんだかほっとした。

子供の頃、私は鉄棒が大好きだった。別に得意だったわけではない。ただ、
鉄棒にあがった分だけ、背が高くなって、世界をその高いところから見回すことができる、そのことが、私は心地よかった。
片足をかけてくるくる回って着地する。それを繰り返しているといつの間にかふらふらになってしまうのだが、そうやって見る世界もまた、私には面白いものだらけだった。

娘に或る日尋ねてみた。「ねぇ鉄棒って好き?」
娘は即答。「キライ」。
え?なんで? だって今の担任、自分が鉄棒がうまいんだって自慢ばっかりするんだもん、なんか嫌だよ。そうなんだ…。あ、でもね、自分で好きに鉄棒やるのはいいんだ、面白いからね。そうだね、面白いし楽しいよね。うん。
子供はよく大人の様子を見ている。大人のすることなすことちゃんと見ている。私は心の中どきりとしながら小さく笑った。

2011年6月21日火曜日

トンネルの先に

あの日の撮影の最後に、この一枚を撮った。
ふらふらして足元の定まらない彼女を、私は片手で支えながら、そうして撮った。撮り終えた後、二人とも、へなへなと座り込んだような記憶がある。約二時間の撮影。夜明けと共に家を出、そうして太陽は今、私たちを照らしていた。

どうして最後にこんなカットを撮りたかったんだろう、私は。
普段殆ど指示を出さない私が、あの時は、こうして、と、強く頼んだ。
彼女の手の中に、その輪の中に、光が欲しかった。彼女がこれから歩く道が、どんなに今暗闇であろうと、その先は必ず光溢れる場所に繋がっていてほしい、そう思った。
ただ、それだけを願った。

明けない夜がないように、彼女の道程がいくら今真っ暗闇であっても、その先には必ず光が待っている。私はそう信じたい。

2011年6月16日木曜日

水鏡

私は水が好きだ。池も湖も海も川も。水の類は全部好きだ。泳げもしない頃から、水辺に魅せられていた。陽光に煌く水面も、夜闇に沈む水面も、どちらも。惹かれてしまう。
前世はもしかしたら、魚だったんじゃないかと思ったりも、する。

あの日、Nちゃんが隣にいた。性犯罪被害者となってしまったNちゃんは、まだ被害から間もなくて、毎日毎日が戦いだった。
あの日の朝も、起き上がろうとしては倒れ、痙攣を起こし、意識を失い。私はただ彼女の手を握って、彼女の意識が戻るのを待つだけだった。

悪夢に魘される夜。フラッシュバックに襲われる朝。記憶を失う昼。そうした毎日の繰り返しの中でも、彼女は必死に戦っていた。
あの日、震える足で私のカメラの前に立ち、舞い踊ったNちゃん。
数週間後、ここからはひとりで頑張ってみます、と、電話をくれた。
今きっと彼女は、この空の下、ひとり戦っているに違いない。

あの日、Nちゃんが隣にいた。
水鏡はしんと鎮まり返り、私たちと共に在った。

2011年6月14日火曜日

日没の刻

鳥列を追いかけながら気づく。ああ、今、今まさに太陽が堕ちる。私は突然、立ち止まり、じっとその様を見つめた。
見つめなければいけない、そんな気がした。

そうしてぽとん、と、あっけなく太陽は堕ちた。地平線に沈んでいった。辺りは突然薄暗くなり始め。私はその時初めて、寒い、と感じた。
太陽がどれほどのものを、この地上に与えていたのかを、痛感した。いつのまにか鳥列は消えており。私はまるでこの砂地に取り残されたかのような、そんな気がして。

帰ろうか。
うん、帰ろうか。

どちらともなく言い交わし、歩き出す。防風林の中の小道はしっとりしており。私はそのまま裸足で歩く。
突然、私は振り返りたくなる。今度ここに来るのはいつになるんだろう。またおまえと会えるんだろうか。そんな不安に突如襲われて。
でも。
振り返るのは、やめた。私はきっとまた、ここに来る。そして再会する。この場所と。この世界と。またきっと。

2011年6月10日金曜日

海を渡る鳥たち

その時、ぎゃぁぎゃぁと少し掠れた、潰れたような鳥の鳴き声が響いてきた。驚いて振り返る。そこには一列になって波間を渡る烏たちの姿。
私はその見事な列にしばし息を呑む。烏がこんなふうに飛んでゆくのを、私は初めて見た。一糸乱れぬその鳥列。西の地平線に今落ちんばかりに傾いた太陽目掛けて、真っ直ぐに飛んでゆく。

気づけば私は、その鳥たちを夢中で追いかけていた。波に足がはまるのもお構いなしに走っていた。もちろん私などが追いつくわけはない。彼らはぐんぐん小さくなってゆく。
こんなふうに走ったのはどのくらいぶりだろう。子供の頃はこうやって思い切り走っては転んで怪我をしたっけ。生傷のたえない子供だった自分。
いつから妙な分別を身につけた? そうして身は徐々に徐々に重くなり、走ることを忘れていった。
こんなにも、気持ちがいいものだったのに。

2011年6月6日月曜日

波打つ砂紋

私は流木から立ち上がり、もう一度、砂丘を一周してみることにする。今度はカメラを手に持たず提げたまま、景色を見つめるのではなく眺めながら。

さっきまで見つめていたものたちを、今度は少し離れた場所から見る。紋様は見事なほどの波を描いており。草もたいして目立つわけでもなく、だからそこは、間違いなく砂丘の一隅であり。
ふと思った。人と同じ、だ。
離れていれば適度な距離をとって見ていれば、心地よい間柄を築ける相手であっても、近づきすぎたが故に傷つけ合い離れ離れにならずにはいられなくなる。

適度な距離。
世界にはそういう、物差しがあるのかもしれない。