2010年10月7日木曜日

突然現れた女の子

その子は突然現れた。この街から遠く離れた、遠く遠く離れた街からわざわざやって来て、私の写真を撮って欲しい、と、その子は言った。

そういう出会いは、正直初めてだったので、ちょっと面食らった。
でも、撮れませんなんて言う雰囲気ではなく。
私は、自信はなかったけれど、シャッターを切り始めた。

でもあっという間に、何と言うのだろう、彼女は私のテンポについてきて、馴染んできて、今初めて会ったような気が、全くしないのだった。

あの時、彼女はどれほどのものを抱えてここまで来たのか、私には知る由もなく。
私はただひたすら、彼女を追いかけ、シャッターを切った。

その夜、泊まる所がないという彼女を家に泊めた。すると、しばらくして彼女が口を切った。聞いて欲しいことがあって。
彼女の幼少期の性的虐待の話だった。医者にかかろうと思っているのだが、一体どこから何を話したらいいか全然分からない。どうしたらいいのだろう、と彼女が言う。
私は、彼女の話をすべて、タイプしていくことにした。

そうしてできた彼女の話をまとめたプリントは、一体何枚になったか、覚えていない。結構な量だった。
彼女はそれを胸に抱いて、これでようやく治療ができる、と涙をひとつ、ぽろりと零した。

翌日帰っていった彼女。その後、数回やりとりをし、自然に遠のいていった。
そして私の手元には、彼女の写真が。
どうか彼女が、今幸せでありますよう。祈るように思う。

2010年10月6日水曜日

私は正直、傘が苦手だ。雨が降っていても、差さなくて済むなら傘を差したくない。持って歩きたくない。
フランスにしばらくいたとき、ざあざあ降りだというのに、立派な毛皮のコートを着た女性が、男性と腕を組んで歩いていた。傘なんて知らないわ、といったふうで、それはとても格好よかった。私は横断歩道を渡るのも忘れ、しばしその姿に見入ってしまった。
いいなぁと思った。傘を差さないで歩いても、何とも言われないって、いいよなぁ、と。私はたまたまフランスに傘なんて持っていかなかったから、その時Gパンによれよれのセーターという格好で雨に濡れていたわけだが、彼女の颯爽と歩く姿を見たら、なんだか自分もそれでいいと言われているような気がして、嬉しくなったものだった。

私は幼少期、蕁麻疹がよく出た。特に雨の日、雨に濡れると、足や手の指に蕁麻疹がぶわっと出て、痛痒くなって仕方がなかった。あまりにひどく腫れて、それを見た教師が、体育は休みなさいね、というほどで。見学にさせられる自分が情けなくて、いつも唇を噛んで授業を端から見つめていた。

大人になって。蕁麻疹はそんなに出なくなったが。それでも、雨の中、傘を差して歩くことは好きじゃない。雨自体は結構好きだったりするのだが、傘、が、だめだ。
そんなとき。
娘と二人、雑貨店に入ってあちこち歩き回っていて。一本の傘を見つけた。赤い傘に、白い細かな斑点が散っている、そんな、何処にでもありそうな傘だった。でも。
何故か私は一目ぼれしてしまった。
ねぇ、これ買ってもいいかな? と娘に問うと、娘はびっくりしたように、ママが傘買うの? いいじゃんいいじゃん、買いなよ!と言う。その言葉に後押しされて、私は結局その傘を買って帰った。

それからというもの。
雨の日が、ちょっと違ってきた。お気に入りの傘を差してもいい日、になった。
面倒なのは変わりないが、でも、好きな傘を広げるのは、結構気持ちいいものなのだということを知った。

友人と、砂丘を訪れた際、ふと彼女の傘が目に入り、ちょっとそれ貸してくれる? と、私は柵にその傘を立てかけてみた。
晴れの日に咲く傘。なんかそれだけで、素敵な気がした。
もちろん今でも、雨の中、娘と自転車で走り回ったりする私だが。傘も結構、格好いいもんじゃん、なんて、最近は思っている。

2010年10月5日火曜日

石段

まだ娘が幼かった頃、この石段を、彼女は這い這いで、器用に上り下りした。開けっぱなしの口からは涎が垂れて、でもそんなのにも構わず彼女は、ただ、上り下りすることに、夢中になっていたものだった。
上って、にかり。下って、にかり。私に向日葵のような笑顔を向けながら、繰り返し繰り返し、飽きずに為していた。

少し大きくなって、もう自分の足で頼りなくも歩けるようになった彼女は、この階段でよく転んだ。段差はとても小さいものなのだけれども、足を下ろすタイミングがうまくつかめないようで、そのたび、大きな頭からころりん、と、転ぶのだった。あまりに転びすぎて、彼女は突如、泣き始める。うっわーんと声を上げて泣き始める。でも、階段から離れようとしない。結局、彼女が飽きるまで、階段で過ごした。

小学校に上がって。もう彼女は、こんな小さな階段など、屁でもないといったふうに飛んで歩く。昔のことなどこれっぽっちも覚えていないのだろう。ここで笑ったこと、ここで泣いたこと、それらは彼女の記憶の奥深くに、眠っているに違いない。

そんなふうに、記憶の奥深く、畳み込まれている記憶が、人には一体どのくらいあるんだろう。
悲しい記憶ばかりが残っているようにみえて、でも、それらを全部吐き出してゆくと、最後の最後に、素敵な思い出がしまいこまれていた、ということが、多々ある。

久しぶりにひとりこの石段に立ち、私は、娘の成長を思い出している。まさにこの階段のように、一歩、また一歩、進んでは転び、転んではまた這い上がって、ここまでやってきた。いや、それはこれからも続く。生きている限り。

いつか彼女がその手に赤子を抱くような年頃になったら、教えてやろう。ここでおまえは何度も遊んだんだよ。這い這いしたり、たどたどしい足で歩いては転んだり。そうやって、オトナになっていったんだよ、と。

いつか。きっと。

2010年10月4日月曜日

影絵

うちから短い急坂を下ってすぐ、こんもりと木の茂る公園が在る。そこには桜の樹がたくさんあって、だから季節になると、大勢の花見客で賑わう。
夏はもう鼓膜が破れるかと思うほどの蝉の声が響き渡り、秋には秋で、虫の音が漂う。この街中にあって、季節を教えてくれる場所。

その公園の桜の樹の中でも、最も老木と言われている樹がある。大きく大きく枝を振り広げ、堂々と立つその姿は、いつ見ても圧巻だ。気軽に幹に触ることさえ躊躇うような、そんな威厳を湛えた樹。私はそんな樹に、一種の憧れを抱く。

冬、葉も散り落ちて、裸ン坊になったその老木の前に立った。明るい柔らかな陽射し降り注ぐ午後。
樹はただじっと黙って佇んでいる。よく見ると、枝のあちこちに、もうすでに新芽の塊を湛えており。あと数ヶ月もすれば、この塊は芽吹き始めるに違いない。

私はそっと、その彼の幹に手を添えてみた。目を閉じ、じっと、手のひらから伝わってくる何かに、耳を澄ましてみた。

とくん。とくん。とくん。
そんな音、聴こえるわけがない、と笑う人もいるかもしれない。でも。
確かに聴こえるのだ。耳を澄ますと、彼の心音が。生きている証が。そこに、在った。

あぁ、生きているということは、もうただそれだけで、尊いのだ。そう思った。
ふと見ると、彼は足元から濃い影を伸ばしており。

私は、彼をそのまま撮る代わりに、影にカメラを向けた。
威厳を湛えたその彼の姿は、影になると、やわらかいやさしげな雰囲気になるのだと、その時気づいた。
私の何倍も、何十倍も長く生きているのだろう、桜の樹よ、私よりさらに、永く生きてくれ。そして見届けてくれ。私たちのありようを。

影はどこまでもやさしく。そしてやがて闇に溶けていった。

2010年10月3日日曜日

泣く

人は泣くとき、どんなふうにして泣くものなんだろう。
ひとり部屋にこもって泣く。
誰かのそばで泣く。
風呂の中、声を上げて泣く。
いろいろな場面が思い浮かぶけれど。
その日、彼女は声を上げずに、泣いていた。

石塀に寄りかかり、冬のあたたかな陽射しを浴びながら、彼女は立っていた。
何があったとか、そんな話、私たちはしない。
ただ、カメラを挟んで向こうとこちら、好きなように佇む。
ただそれだけ。

それだけだからこそ、逆に、伝わってくるものが、ある。
余計な言葉、誤解を生む言葉がそこに挟まっていないからこそ、伝わってくるものが、ある。

まるで彼女は、石の壁に、溶け込みそうなほど、しんと佇んでいた。
そして何処かをじっと、見つめていた。
私はそんな彼女をじっと、少し離れた場所から見つめていた。

彼女は涙も流さず、ただじっと、そこに立ち、泣いていた。

声をあげ、泣き叫ぶことのできた、幼い頃。
そうして今、私たちはもう、それなりにいい年齢に達している。
そんな私たちには、もう、声を上げて泣くことは、なかなかできない。
それでも泣くしかないとき。
人はこんなふうに、泣くのかもしれない。
じっと、佇んで、声を呑み込み、唇噛み締め、ただ、心で泣く。

私たちはいつのまにか、そうやってオトナというものに、なっていた。

2010年10月2日土曜日

水面

その池は、のっぺりとした緑色の水を湛えていた。長いことそこにとどまっている、そんな水の色だった。
そして水草が、要所要所にぽっくり浮かんでいた。
その様子は、ひとつの静止画で。まるでそこだけ、時が止まったような、そんな感じがした。

空は人の心を映す鏡、とよく言う。私はそれに、水面も付け加えたい。
水面を見つめるとき、人は自分の心の状態をそのまま、その水面に移し変える。だから水面は、ありとあらゆる映像を、そこに映し出す。

その中には、悲しい映像もあるだろう。たまらなく楽しかった映像もあるだろう。そのどれもが等しく、水面には浮かび上がり。
あぁそうか、鏡というより、スクリーンなのかもしれない、水面は。

その映像は、ひとりひとり違うもので。だから、目には見えない映像が幾重にも水面で交叉しているに違いない。
今たとえば、私と、私の隣に立つ誰かが、同じ水面を見つめていたとして。それでも、そこに映し出される映像は、ひとりひとり、違う。決して重なり合うことは、ない。

ふと我に返り、緑色の水を湛える池の姿を改めて見つめる。
ぴくりとも動かない景色。それはもしかしたら、
天国の池のようで。
空の隙間からぽとっと落ちてきた、天国の池の姿のようで。

カシャッ。
シャッターの音が、ひときわ高く、あたりに響いた。

2010年10月1日金曜日

影が作る景色

海の向こうの町に出かけた折。日も堕ちて、しばらくした時。見上げた景色にはっとした。あぁ、影が景色を作っている。そう思った。
浜辺、海に半身を浸けながら、ぼんやり眺める。大きな樹がくっきりと浮かび上がり、風が緑を揺らすその音がメロディになって流れている。私はそれが心地よくて、しばらくそうやってじっとしていた。

私はモノクロの描く輪郭の世界が好きだ。
もともとは、私の世界は他の人と同じく、カラーの世界だった。それが、事件に遭ったことを契機に、突如世界の色が失われた。それから何年間か、私の世界はモノクロで。だから、私の世界のことを誰かに話して共有することは、できないことだった。
私がモノクロ写真にのめり込んだのも、多分それが理由だ。あぁここに私の世界の一部がある。モノクロ写真を前に、私はそう思った。だったら私が再現するしかない、私の世界を再現するしかない、それを提示して、世界はこうなのよ、私の世界はこうなの、と誰かに伝えてゆくしかない。そう思った。

モノクロ写真を初めてまともにプリントできたとき、私は声を上げそうになるほど嬉しかった。これだよこれ、私の世界がここに在るよ、と。
ようやっと仲間を見つけたかくらいに、私は嬉しかった。まだ濡れている印画紙を抱きしめて、涙がぽろぽろ零れるのに任せた。そのくらいに嬉しかった。

何年かして、徐々に徐々に世界が色を取り戻し始めて。でも、何故だろう、今度は、違和感を覚えた。ずっと憧れ追い続けてきたはずのカラーの元の世界なのに、そこに私は違和感を覚えるようになっていた。こんな色の洪水だったっけ、こんなに目を射るほどの色の洪水の世界だったんだっけ、ここは、と、戸惑った。たった数年間かもしれないが、色が失われたことによって、私はもう、モノクロの世界に馴染んでしまっていた。

今、確かに私の目は色の在る世界を映しだす。でも、私は何故か、そこから色を取り除いてゆく。そして最後に残るものは何なのか。それを探そうとしてしまう。

最近、必要に応じてカラー写真も撮るようになったが、私はそれをそのまま現像はしない。必ず減色させる。そうやって、私が納得のできるところまで減色して、作り出す。
それが私の、今の世界だ、と。

数年間で終わったはずのモノクロの世界は、初めそれは忌むべき世界だったのに、今ではこうして、親しい世界になった。私にとって落ち着く、落ち着いて呼吸のできる世界、それが、モノクロの世界。