2018年2月23日金曜日

呟き/今日という日に

昔、まだ自分の傷が生々しかった頃。性犯罪被害者の数を一人でも減らしたいと真剣に思い行動していた頃があった。とにかく一人でもいい、自分のような目に遭う人を減らしたい、と。
その頃はだから、性犯罪被害者として声を上げられる者がまず行動すればいいと思っていた。たとえば自分。自分は当初から性犯罪被害者だということを明らかにしていたから、そういう自分がまず行動すればいい、と。
たとえば声を聴かせてという相談電話窓口を設けた時だってそうだ。自分のような孤独に陥るひとを少しでも減らしたいという気持ちがあった。被害に遭って自分はひとりぼっちだとひたすら孤独に向かった自分を思い出しては、そういう孤独に陥らずに済むならそれに越したことはない、と、その為に自分にできることは何だろう、と、そういう気持ちがあった。
それを、性犯罪被害者の為に私が行動している、と受け止めた人は多いし、私自身最初はそうなんじゃないかと思っていた。
でも。
いつの頃からか、違うな、と思うようになった。私は自分の為に行動しているだけで、他の誰の為でもないな、と。気づいた。気づかされた。

誰かの為にだけ行動できるほど、私は偉くもないし強くもない。それだけを動力にして行動し続けることができるほど、タフでも、ない。
私は結局のところ、私がこうしたいからする、というところで動いているのだな、と。そのことをつくづく思い知らされた。たとえば悲鳴を上げている誰かに気づいたとして、駆け付けたとして、それも私がそうしたいからした、だけであって、誰かの為、ではない。私がしたいからした、だけなのだ。

この間、あなたは志半ばで諦めるのか、と罵倒された。
正直、言われても、何のことだかちっとも分からなかった。何を志半ばと言っているんだろうこの人は、と、思った。しばらく考えた。考えなければ分からなかった。
ああそうか、この人は私が、被害者の為にこれまで行動してきた人間なのだと捉えているのだなと気づくのに、しばらくかかった。
申し訳ないが。前述したように、私は被害者の為だけに行動して来れるような高尚な人間でも何でもない。ただただ、自分がこうしたいからする、と、それだけでこれまで生きて来た人間なのだ。
あなたの期待に沿えず、申し訳ない。

立て続けに罵倒を受けて、考えた。
この人は私が期待に添わないことをこんなにも怒っているのだな、傷ついてさえいるのだな、と気づいて、心底申し訳なくなった。
でも。
今更己に嘘をついても何も始まらない。私は、そういう位置にはいない人間なのだ。

被害者の為にとか、加害者の為にとか、正直、私にとってあまり重要では、ない。それよりも何よりも私の原動力になっているのは、私がどうしたいか、だ。私がどうしたいか、こうしたい、だからこうする、と、もうただただ、それだけ、なのだ。

もちろん、そこに至るまでに、こうすれば被害者が一人でも減るのではないか、とか、加害者が再犯を犯す度合いを少しでも減らせるんじゃないかとか、いろいろ動機はある。理由はある。こうしたら一人でも傷つく人が減るんじゃないか、とか。そういったものは、いろいろある。山ほど、ある。
でも。
最後の最後、私が行動するか否かを決めるのは、私がどうしたいか、なのだ。他人にとってどうとかそんなの正直問題にならない。ただただ、私がどうしたいか。そこなのだ。

それを身勝手と笑うひとは笑えばいい。おこがましいと罵倒する人はすれば、いい。昔はそういったことに怯えていたけれど、私ももういい歳だ。怯えて逃げても後悔するだけの自分がいることをもう分かっている。
私は私が後悔する生き方をしたくは、ない。私は私が納得いくように生きたい。私が私の人生を引き受けられなくて、一体誰が肩代わりしてくれるというのか。誰もしてくれやしない。私が私の人生を背負うのだから。

今、加害者更生に加わっているのも、私がそうしたいから、だ。そこに辿り着くまでにいろんな思いがあったことは確かにそうだ。被害者を減らしたいとか傷つくひとを一人でも抑えたいだとか、性犯罪は再犯率が高いからとか、なんだとか。私を突き動かしたものたちを数えだしたらきりがない。でも。
最後の最後、私が行動に移る時。
それはただただ、私がこうしたいから、だ。他人の為でも何の為でも、ない。私の為、だ。

私は私に呆れたくない。私は私を諦めたくもない。私は私を貫きたい。私は私として生きたい。私が私であるために今ここで何を私はするのか。
私はそれを自分の軸にしている。
昔はさておき、少なくとも今の私は、そうとしかいいようがない。

だから。
そんな私を見て、あなたは敵だ、と言うひとは言えばいい。あなたは身勝手だ、と言うひとは言えばいい。志半ばで諦めるのかと罵倒するならすればいい。
構わない。
そうだね、と私は受け止めるよ。

私は自分の存在が、存在しているだけで誰かを傷つけ得ると知っている。悲しいかな、そんなもんだ。私が存在しているただそれだけで傷つく人は、結構いる。不愉快に思う人も結構いる。
申し訳ないと思う。
でも。
私はそれ以上に、生きたい。私は私を貫いて生きたい。申し訳ない以上に私はそう生きたい。そう、生きる。

そう、決めたのだ。