2015年1月7日水曜日

私信 私の知るあなたへ


 最初にあなたに逢ったのは、まだおたがいが十六の晩秋だった。いきなり目の前で泣き出したあなたと、その後わたしに矢継ぎ早に問いかけを繰り返すあなたとに、私は戸惑うばかりだった。
 あなたは自分を月だといい、私を太陽だと言った。その頃の私には、とうていそんな言葉は受け入れられず、何を言ってるのかと心の中で思っていた。
 あなたは私を好きだといい、何も言わない私にそれでも付き纏った。さをりが男だったらよかったのに、とあなたは軽々と言った。さをりの全部が欲しい、さをりの全部を自分のものにしたいのに、と。でもさをりは男のことを好きになるんだよね、と。そんなあなたは私がいくら堤防を築こうと、平気で土足のまま私の中に入ってきては私の庭を踏み拉き、そしてさらさらと笑っていた。
 そんなあなたと約束をすると、十に九つは放られた。あなたから呼び出した約束であっても、あなたはいけしゃぁしゃぁと放った。そういうあなたに、私はいつも振りまわされている気がしながら、拒絶するという術をなかなか用いれず、放れるあなたを羨ましいとさえ思っていた。
 ヒトの恋人とキスしようと寝ようと、あっけらかんとあなたは私にそのことを言った。その報告をするときあなたは、さをりがあのヒトのことを好きなの分かるようなきがする、と最後に必ずそう言った。私が、男と女なんていうのは恋人だろうと恋人じゃなかろうと寝たけりゃ寝るしキスしたければキスする、愛なんてご大層な命題を掲げなくてもそうした行為は成り立ちもするし、また、愛なんて代物が全てを包み得るなんていうのは幻想で、もし愛というものがこの世にあり得るとするならば、憎悪や憤怒、その他諸々の感情を折り込んだ風呂敷それ自体こそが愛だろうと思うようになったのもあなたがきっかけだった。あなたの言動や行為、それにともなって起きた諸々の出来事。それらがきっかけだった。
 そうして、何よりも。
 私が初めて、生まれて初めて、自分からヒトとの緒を切るという行為をなし得たのは、あなたへだった。

 そんなあなたとまさか、十余年も経て再会することになろうとは、誰が思ってみただろう。

 あなたを目の前にしたとき、私はあなたにぶつけたい言葉が山ほどあった。どうにも清算できぬまま、どうにも昇華できぬままに引きずってきたこの重過ぎる荷物たちを、再会したならば私はあなたに正面から思い切りぶつけてやりたかった。私が背負わなければならなくなった重さをあなたに叩き返してやらずにはいられないと、ただそれだけを思ってた。
 なのに。

 あなたは私を認識することはなかった。いや、昔関わったことのある誰か、という認識は持ったけれど、私とあなたとの間で起こった出来事を思い出すことは、なかった。呆然と、愕然とした私に、あなたと私を知っているヒトがぼそりと私に言う。
 病気なのだという。
 認識する力がもはやないのだという。
 あなたの精神を神経を蝕んだその病は、もう私たちが出会った頃にはあなたを蝕み始めていたものであり、そして今のあなたはもうすっかりその沼に浸かり込んでいて、よくなるということはないのだという。

 そんなのって。
 そんなのって、ありか。

 伝えていないことがあったよ。
 まだまだ、あなたに伝えていないことがあったよ。
 これでもかというほど。これでもかっていうほど。
 なのに。

 もうそれは叶わない。もしそんなことをしようものならあなたの境界線はぐらぐらとゆらぎ、下手すればあなたをさらにその沼に落ち込ませるだけの行為になってしまうという。そんな状態のあなたに、もう私は何も、伝える術など持たない。

 あぁ。

 今、私に会釈しながらも焦点が合わないままのあなたの目は、まるで地上から八センチくらい上の所で浮遊するかのようにひらひらと泳いでゆく。そして思い出す。あなたが繰り返し私に言っていたことを。
 狂ってしまえたらいいって思うの。
 そうしたら楽でしょ、きっと。
 もしその言葉をそのまま受け取るならば、あなたは、望みどおりになったのだろうか。死にたいとは言わなかった、むしろ、何処までも生きていたいと言っていたあなたは、今、望みが叶った状態であるのだろうか。
 答えなど決して返ってこないことを知りつつ、無駄な問いかけを心の中で私は繰り返す。黙って、私の目の前でたゆとうように笑っているあなたを見ているのは、私にはたまらない。

 あぁ、
 あなたが憎かった、あなたが憎らしかった、絶対に許せないとも思ってた、あなたが同じ地上に存在して今も生きていると思っただけで膝が震えるほどに、私はあなたに怒ってた。
 それは今も変わらない。あなたが私を認識できなかろうと何だろうと、やっぱりどうしようもなく変われない。
 でも。
 でも、でも。
 そうだよ、同時に私は、あなたが妬ましかった、羨ましかった、憬れてた、そして何より、あなたが好きだった。

 私は、あんなにぶちのめされても、何でも、
 あなたのことが、そう、好きだったんだ。

 片付けようの無い感情の坩堝の中、見上げた空は高く、滲んでも滲んでも高く、手は届かない。今一度だけ言おう。あなたへはもはや届かない言葉で、最初で最後、一度だけ。この空に。

 わたしはあなたが好きだった。

2000/09/22記