2014年7月28日月曜日

夏の空に思い出す


彼女とこの写真を撮ったのはいつだったか。
正直覚えていない。
が、夏の激しい空を見上げると、自然、彼女を思い出す。
夏のよく似合う、ひと、だった。

彼女は写真をやるひとだった。
私が妬ましくなるような写真を、彼女はその頃すでに作っていて。

私は彼女の作品を見るたび、見せられるたび、嫉妬でぐるぐる巻きになりそうだった、と、
今なら正直に、言える。

何だろう、写真を向けなければ何もなかったかもしれない、通り過ぎて気にも留めず通り過ぎて、それで終わっていたかもしれないものたちを、これでもかというほどありありと刻み、浮かび上がらせる術を、彼女は持っていた。
それはまるで対象への執念、あるいは怨念のような、そういっても過言じゃないほどのエネルギーを、私は常に彼女の写真から感じていた。

彼女と別々の道を往くようになって。
今の彼女のゆくえを私は知らない。
どうしているかも知る由も、ない。

それでも。
折々に、思い出すのだ。彼女のあの眼を。
いつだって誰かに縋っていたいような、切実な眼、を。

君はきっと、誰より、君がそうしてほしいように対象を写真に刻み込んでいたんだ。
私はそう、思っている。


2014年7月26日土曜日

野外写真展示イベントと空豆さんの舞踏


7月19日、天気が危ぶまれる中、予定されていた野外写真展示イベントが催された。
榎本祐典、塩田亮吾、高橋かつお、にのみやさをり、藤原裕之、横関一浩、山形幸雄、吉田穂積、原田美加子。
これらの写真家が集まり、芝の上に直接写真を並べるというもの。
そこに、舞踏家の竹内空豆さんが特別参加してくださった。

野外展示。写真の野外展示を始めたのは、参加者の中心、榎本くん、藤原くん、山形くんだ。
これまでに三度、すでに野外展示を経験した。
芝に直接並べる、しかも額縁も何もないところで。
だから、コピーで写真を拡大し、できるかぎり大きく引き伸ばして、
通りすがりの誰の眼にもとまるよう、工夫した。

そんな私たちの写真たちは、
めいめいがめいめいのテーマに沿って並べられた。

いつ雨が降り出すかわからない天気の中、空豆さんがやってきて、
順繰り並べられた写真を眺めてくださった。 丁寧に丁寧に。


そして、彼は衣装に着替えると、おもむろに大きな桜の樹の根元に寄り添った。
それが、彼の舞踏のはじまりだった。

しなやかな腕はゆるやかに弧を描き、時にやさしく、時にあらぶりながらうねり続ける。
彼のやわらかな肉体は、これでもかというほど撓り、勢いよくジャンプする。

と、その時、雨が降り出した。

彼は踊り続ける。
私たちは。それを見つめ続ける。


集まった写真家の殆どがおそらく、その時シャッターを切り続けていたに違いない。
それほどに、空豆さんの舞踏は鮮やかだった。
一瞬も、ひとつのしぐささえも、見逃したくない。
そんな思いが、私の中には渦巻いていた。

当日写真から何か感じたら、その何かのまま、踊ってください。
私は事前に、空豆さんにそうお願いした。

その言葉通り、彼は、どこまでも写真にやさしかった。真摯だった。
まるで愛人を見つめるが如くのまなざしでもって、
写真に接し、向き合い、踊ってくれた。

まるで祈りのような舞踏だった。

彼が舞踏を終えた頃には、雨は強さを増しており。
私たちは、イベントを終了した。

写真と舞踏とが、こんなふうにコラボレーションできるとは。想像以上のものがあった。

あいにくの天気で、観覧者はほとんどいなかったけれど。

いい体験になった。
写真家のみんな、そして空豆さん。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。

またいずれイベントやると思います。
その折に再会できることを信じて。

いつか、また。

2014年7月17日木曜日

引っ張り出して眺めては、


あの日、日差しの強い冬の日、私たちは海岸線をずっと歩いた。
地図も何ももっていず、ただひたすら、続く海岸線をてくてくと。
別に何を話すでもなくあれやこれや喋りながら、
私たちはカメラを挟んで向き合っては笑い合った。
あの日の写真を、またちょっと、引っ張り出したりしている午後。

彼女とは、私が性犯罪被害に遭った後に出会った。
まだ被害から間もない頃、友達を介して知り合い、それからというもの、つかず離れず、彼女はそばにいてくれた。

私の持っていない記憶を、だから彼女は幾つも持っている。
この間ちらり、聴かせてくれたが、
私がたとえば、悪夢を見、その夢と現実との区別がつかなくなって彼女に夜な夜な電話をしてきたこと、
たとえば一緒に夜中コンビニに行こうとしたら、私が突如あられもない恰好で現れたというような、
とても私自身では覚えていない、幾つもの記憶を、彼女はいまも持っていてくれている。

私が今回また、治療を再開することを知った彼女は、私を心配してくれた。
本当に記憶を取り戻すことがあなたにとっていいことなのか、
トラウマを乗り越える為に為す治療が、あなたにとって本当にいいことなのか、
今のあなたを大事にすることが、一番なんじゃないのか。
そういったことを、彼女は私に言ってくれた。

彼女の言葉はひとつひとつ、私の中に落ちてきた。すとんと落ちて、まるで水滴のように何の抗いもなくすーっと浸透していった。
それだけ、彼女の言葉が私にとって、親しいものだったからに違いない、と私は思っている。

確かに。
治療をすることで、もしかしたら私の症状は悪化するかもしれない。その可能性がないわけじゃない。
治療をすることでトラウマとまた対峙しなくてはならなくなって、辛い思いもたくさんするかもしれない。
でも。

可能性が残っているなら、そこに賭けてみたい、という思いが
私の中にまだ残っていて。
また、私のパートナーの強い希望でもあり。

私は、治療を再開することに決めた。

治療を再開し、まず、しんどい。毎日がしんどい。それでも、
自分で決めたのだから、と私は自分に言い聞かす。
それでも辛い時は。

彼女と撮った写真を引っ張り出して、見つめることにしている。
みっちゃんはきっと、心配している、エールを送ってくれている、いつだっていつだって、だから
もうちょっと頑張ってみよう、
そう、思えるから。
もちろん家族も応援してくれている、陰ながらきっと見守ってくれている。
ならば。
もうちょっと、踏ん張って、頑張ってみよう、と思うのだ。 


2014年7月14日月曜日


あの夏。
君は小学校に入って間もない頃、
まだまだ私にくっついて歩いていた頃。
君と撮りに行った。
その日は抜けるような青空が広がっていて、陽射しは今日みたいに、きらきらを通り越してぎらぎらしていた。
それでも、風は心地よく、流れていたっけ。

  ママは何になりたかったの?
君がそう訊くから、
  ママは本づくりのひとになりたかったの。
と正直に応えた。
  どうしてならなかったの、
と重ねて訊くから
  一度なったんだけど、しばらくして辞めたの、
と正直に応えた。

君は、全然納得できない顔で、その先を待っていたようだったけれど、
私はまだ、君に話の続きができなかった。

本当は。
ようやっとの思いで親の呪縛から逃れて、本づくりの仕事を始めたのだけれど、そこで強姦という被害に遭って、病気になって辞めざるをえなくなったのよ、
と、言いたかった。
でもまだ、早い気がしたから、言えなかった。

いつか、いつか、と思いながら日は過ぎて。
或る時、ママの本読もうかな、と突然小学校高学年になった君が言うから、
いいよ、と返事した。

君は、貪るようにその夜のうちに本を読み終えたんだったね。
そして、
何も言わなかった。
ただ、翌朝、いつものように、仏頂面で
おはよう、とぼそっと言っただけだった。

でも、

それで、十分な気がした。
読んだからって、知ったからって、何が変わるよ、と
君は言っているようで、
だから、私はひどく、安心したんだ。後になって、ただひとこと、君は
知ってたよ、と言ったね。ぼそっと、知ってたよ、って。
それでもう、十分だったんだ。

だから、
私たちはそのことについて改めて、向き合って話をしたことはなく。
でもだから、改めて言うよ。

ありがとう、娘。
君のその、変わらない態度が、
何よりの、私に力を与えてくれている。

今年もまた、夏が来たよ。

2014年7月12日土曜日

台風の痕に思う。


台風の爪痕は、いつだって空にありありと残る。
夏、台風が行き過ぎるたび、私は空をじっと見つめる。
そして、あの日のことを思い出す。

台風を追いかけて、追いつこうと必死に追いかけて乗った列車。
当然のように置き去りにされ、エメラルドに濁った海だけがそこに在って。
嗚呼私はここでも取り残されるのか、とひとり泣いた。
泣きながら、海に入った。

でも同時に、
これでもうすべて、解放されるんだ、という
勝手な赦しのようなものに包まれて、
私は少し幸せだった。
私はもうこれで赦されるのだ、と
その思いで、いっぱいだった。

でも。

クルシイ、と誰かが何処かが叫んだ。
クルシイクルシイクルシイ、とごぼごぼと息がこぼれた。
だめだ、ここで耐えなきゃ死ねない、と思いながら
同時に水面に伸ばそうとする手がそこに在った。

気づけば私は水面に顔を出していて
思う存分飲んだ海水が目に耳に鼻に痛くて、
ああ、痛いんだ、と思ったら、笑えた。
笑って笑って笑って、ちょっとだけ、泣いた。

生きるしかないのか、と
あの日生き延びてしまった私は
ここからまた生きるしかないのか、という思いを越えて
もう、ここから生きよう、と
思う自分が、そこに、在た。

海の中、
クルシイクルシイと呻きながら、それでも一瞬見開かれた眼に映ったのは
とてつもなく美しく濁った、エメラルドの海だった。

台風が来ると、
だから私はいつも、あの日のことを思い出す。
あの日私は、生きようと思ったのだと。
そのことを、思い出す。
今日もそうして見上げた空には
飛ぶように雲が、散らばっている。

2014年7月8日火曜日

夏に手を伸ばす。


ある夏の日。
手を伸ばしたらもう、空が掴めそうなくらい近くて。
砂の地面に寝そべって、じっと手を伸ばして、手を握り締める代わりにシャッターを切った。

ある夏の日。
その壁はすでに焼け爛れていて。無残な様相を見せていた。
なのにそれをさらに傷つけるかのように日差しはざんざんと容赦なく壁を焼いて、
何処までも何処までもそれを、抉るのだった。

ある夏の日。

それは私の眼の中で、じゅっという音とともに
光景が焼け焦げた痕となって
刻み込まれた、日。
 
 

2014年7月6日日曜日

ひとつの岐路


そろそろ新しいテーマにもとりかかろうと始めている最近。でも、
自分が興味のあるテーマを、ちゃんと世界とリンクさせる、その方法が私にはまだよく分からない。
だから、近しい、そして尊敬できるオトナに相談に乗って頂いた。

その方の言葉はひとつひとつ、私の中にすっと落ちてきて、納得できてしまう。
悔しいけど、そうなのだ。
だから、悔しいのなんてあっという間にどうでもよくなって、どこまで自分が貪欲になれるかに終始する。


私が長いことモノクロで撮っていた理由。それは、私の世界が或る日突然モノクロになったからだ。
よく、それって心理的な理由でしょ、なんて言われて済まされそうになるが、
いや確かに心理的な理由なんだろうけれど、でも、
簡単に言うなよ畜生!と心の中思っている。

世界がモノクロになる、色が失われるということが、どれほど恐ろしいことか、そのひとたちは知らないんだ。或る日突然、それまで普通だったものが失われることの恐ろしさを知らないんだ。だから、簡単にあしらえるし下手すれば鼻で笑うことだってできてしまう。

それに対していちいち目くじら立てていても、しょうがないのが現実。
そんな余力があるなら、そのエネルギーを全部別のことに費やしたいのが私。




この数年、カメラを構えながらも、向こうに色が見えて来ることが増えてきた。
自然、写真もカラーになるのかというと、そうじゃない、モノクロの方が自然すぎて、私はいつもモノクロで写真を作ることを選んでいた。

が。

もともと私がモノクロ写真を選んだ理由が、自分の世界が或る日突然そうなったことを誰かに伝えるためというものならば、
今の私が今の私の世界を伝える手段として用いるものに、
カラー写真が入って来ていいはず、なのだ。

そうか、
そうだ。

私にはまだ、色は眩しい。目が眩む。
でも、それでも淡い色は、確かに見えている。

再現してみようと思う。少しずつ。
自分の今の世界を。

モノクロにしか見えないならモノクロに、
カラーに少しでも見えたならそのように。

やってみよう。

2014年7月4日金曜日

足掻けよ



私が彼らを追いかけるのはなぜか。
定期的に、彼らに声を掛け、向き合うのはなぜか。

簡単だ。
私は彼らに興味がある。彼らのことがたまらなく好きだ。だから、声を掛ける。
当然だ、そうでなきゃ声なんて掛けない。
でも。

もうひとつ、理由があって。
それは、

彼らが真剣に足掻いているのが、手に取るように伝わってくるからだ。
どくんどくん、と、その鼓動が、その都度その都度伝わってくるからだ。
このどくんどくんというどうしようもなく生きてるって音が、私はたまらなく好きだからだ。

誰にでも、足掻かずにはいられない時期というのがある。
それがもっとも露わなのが、十代、そして二十代なんだと思う。振り返って、そう思う。
或る程度年齢を重ねてしまうと、開き直りがうまくなる。
その、開き直りがまだまだ下手で、
ひたすら足掻いて息切れしてそれでも叫んでしまうのが、二十代なんだと私は思うのだ。

同じ二十代でも。
いいさ、こんな程度で、と、自分で自分を嘲笑して済ましてしまう奴らもいる。
私は、そういう子らが別に嫌いなわけじゃない。でも、
もったいないことをしているな、と思う。
おこがましいことを承知で言えば、

足掻けるのは、真剣に足掻いて喘いでそれでも走れるのは、今だけなんだぞ、

と、言いたくなるのだ。

三十代にもなると、それでも走り続けることなんて、体力・気力的にできなくなる。
自分の限界、限度を知ってくるが故に、ある程度の守りに入るし、あきらめも出てくる。
良くも悪くも、そうなる。
年齢を重ねれば重ねる程、分別もついてくるし、自分の力量ってものを思い知らされてくるから、知らぬうちに自分の能力に合わせた選択をするようになっている。

でも。
二十代は。
とんでもない夢もまだ見ることができるし、とんでもない思いつきに飛びつくだけのバネもある。
だから。

足掻け、と私は言いたい。
それも、真剣に足掻け、と。

そんなんやってられるか、どうせこの程度さ、なんて年よりじみたことを言うなら、最初からやるな。
何処までも年寄りでいればいい。
残念ながら、若さとは、一度失ったら二度と取り戻せないものなんだ。

だから。
二十代よ、真剣に足掻け、そして、今を駆け抜けろ。
今しかそれは、赦されないことなんだから。




2014年7月2日水曜日

「冬咲花」より 04


私が niko さんにさよならした理由は「声を聴かせて」の中でもうすでに書いた。
だからここで触れる必要はないかと思う。

でも時々私は思い出すのだ。
あの日彼女が思い切り走っていった、その先にあった光のことを。
あの日、公園では桜がきれいに咲き始めたところだったことを。

ひとは、交われば交わった分、誰かの心の中に足跡を残すもの。
niko も私の中に、確かにその足跡を残してくれた。

だから私は折々に空を見上げ、そっと呟く
元気ですか。
元気でいますか。

もちろん返事があるわけではない。
ないけれど。でも。
きっと彼女は今日も足掻きながら、いやもしかしたらとんでもなくしなやかに
生き延びていてくれているに違いない、と、そう
信じている。

元気ですか。
元気でいますか。

私は、ここに、います。


(「冬咲花」 終)