2014年7月17日木曜日

引っ張り出して眺めては、


あの日、日差しの強い冬の日、私たちは海岸線をずっと歩いた。
地図も何ももっていず、ただひたすら、続く海岸線をてくてくと。
別に何を話すでもなくあれやこれや喋りながら、
私たちはカメラを挟んで向き合っては笑い合った。
あの日の写真を、またちょっと、引っ張り出したりしている午後。

彼女とは、私が性犯罪被害に遭った後に出会った。
まだ被害から間もない頃、友達を介して知り合い、それからというもの、つかず離れず、彼女はそばにいてくれた。

私の持っていない記憶を、だから彼女は幾つも持っている。
この間ちらり、聴かせてくれたが、
私がたとえば、悪夢を見、その夢と現実との区別がつかなくなって彼女に夜な夜な電話をしてきたこと、
たとえば一緒に夜中コンビニに行こうとしたら、私が突如あられもない恰好で現れたというような、
とても私自身では覚えていない、幾つもの記憶を、彼女はいまも持っていてくれている。

私が今回また、治療を再開することを知った彼女は、私を心配してくれた。
本当に記憶を取り戻すことがあなたにとっていいことなのか、
トラウマを乗り越える為に為す治療が、あなたにとって本当にいいことなのか、
今のあなたを大事にすることが、一番なんじゃないのか。
そういったことを、彼女は私に言ってくれた。

彼女の言葉はひとつひとつ、私の中に落ちてきた。すとんと落ちて、まるで水滴のように何の抗いもなくすーっと浸透していった。
それだけ、彼女の言葉が私にとって、親しいものだったからに違いない、と私は思っている。

確かに。
治療をすることで、もしかしたら私の症状は悪化するかもしれない。その可能性がないわけじゃない。
治療をすることでトラウマとまた対峙しなくてはならなくなって、辛い思いもたくさんするかもしれない。
でも。

可能性が残っているなら、そこに賭けてみたい、という思いが
私の中にまだ残っていて。
また、私のパートナーの強い希望でもあり。

私は、治療を再開することに決めた。

治療を再開し、まず、しんどい。毎日がしんどい。それでも、
自分で決めたのだから、と私は自分に言い聞かす。
それでも辛い時は。

彼女と撮った写真を引っ張り出して、見つめることにしている。
みっちゃんはきっと、心配している、エールを送ってくれている、いつだっていつだって、だから
もうちょっと頑張ってみよう、
そう、思えるから。
もちろん家族も応援してくれている、陰ながらきっと見守ってくれている。
ならば。
もうちょっと、踏ん張って、頑張ってみよう、と思うのだ。