2014年6月8日日曜日

仄光




ここ数年、堂々巡りしていた。
私は生涯、性犯罪被害者ってのを背負っていくしかないのかなぁ、っていうこと。
それはしんどいよなぁ、それにそれって何か違うよなぁ、って。
ひたすら、堂々巡りしてた。

でも、何だろう。
突然、出口の光が、ほんのり見えた気がする。
もちろんそれは錯覚かもしれない。まだまだここから長いトンネルが続くのかもしれないけれど、
でも、
錯覚でも何でもいい、
光が見えた、気がしたのだ。


背負っていようと背負っていまいとどっちだっていいじゃないか、
私はもう、ここまで来てしまった、そして、ここから行くしかない、
できるのは、
自分のふつうを、一瞬一瞬、見つけて積み重ねて、慈しんでいくことだ、って。

いつも思ってた。
私は結局、どこまでいっても性犯罪被害者で
ひとりの人間として、ただの人間としては、見てもらえないんじゃないか、って。

でも。
見てもらえなくしているのは、なんだか、自分なんじゃないか、って気づいた。
自分で自分を縛ってる、そんな気が、した。

近く、葬式でもしようと思う。
自分の腕の傷の葬式でも。
しようと、思う。

まずは、そこから。