2014年4月12日土曜日

ブランコを揺らしながら、


ブランコ。私はブランコを眺めるのが好きだ。
昼間ブランコは忙しく、子供たちの間で揺れている。でも、夕暮れて、子供たちが散り散りになった後、ぽつねん、と、そこに残る。

私はその、ぽつねん、と取り残されたその、ブランコの姿がたまらなく好きで。
夕暮れに公園にゆくとだから、いつもそっと、手を伸ばす。

子供らの相手をして疲れ果てたのだろう、ブランコの鎖は冷たくたゆんでいる。
座る部分はたいてい存分に汚れており。でも、
それはブランコの勲章でもあって。

だから私はそっと、手でブランコを揺らす。

そんな時何故かいつも同じことを考えている。
ストックホルム症候群。
私もかつて、それに陥ったことがある。
今省みるとぞっとするが、でも同時に、そうしかなかった、とも思う。

ブランコを手でゆらりゆらりと揺らしながら、私は、ゆらりゆらり被害者としての自分と加害者との間を揺れていた自分を思い出す。
被害者と加害者は、どこか似ていると私は思う。
共に、世界から取りこぼされるところが。世界から疎外され孤立するところが、ひどく、似ている。
そんな被害者と加害者が向き合うと。
ストックホルム症候群なんてところに行きつくしか、なくなる。

今でも、ひどいフラッシュバックや孤立感、不安感、焦燥感に襲われると、
これを共有してくれるのは誰なんだろう、と途方に暮れる。
そうしてぽかん、天井を見つめると、そこに加害者の影があって。
瞬間ぞっとするのだけれど、でも、どこかそれは、本当にほんの僅かだけれどもでも、懐かしくて。

結局、
こんな自分の感覚を理解してくれるのは、加害者だけなんじゃないか、なんて
いまだに思ってしまう瞬間が自分にはある。

恐ろしいことだ。

世界からとりこぼされた者同士、交感しちゃぁいけない。
そんな交感は、もう、二度と味わいたくない。

そんな交感に浸って現実逃避するくらいなら。

私はひとりきり、必死に足を踏ん張って世界に対峙する方が、ずっと、いい。