2012年7月24日火曜日

彼女の肖像(3)

何故そんなに、切なく、哀しく、そしてほっとする時間だったのだろう。

私は過去、嘆きの時間を十分に持たなかった。持つ暇も余力もなかった。生き延びるためにただ必死に、がむしゃらに、ここまでやって来てしまった。
そんな過去の私を彼女の中に見つけるにつけ、私は抱きしめてやりたくなるのだ。「大丈夫、休んでも大丈夫、止まっても大丈夫、休んで泣いて、存分に泣いて、それからまた歩き出せばいい」と。

実際彼女はよく泣いた。とんでもなくよく泣く人だった。何かあっても、何もなくても、ぽろぽろと大粒の涙を零して泣いた。そんな彼女に出会うたび、私は羨ましくなった。どうしてこうも潔く泣けるのだろう。泣けるってどうしてこんなにも素敵なのだろう、と。
彼女はきっと、そんなこと、知らなかったに違いない。

でも。

泣ける、というのは一つの浄化になり得る。と、私は思っている。
悲しみにしても憤りにしても。涙を思い切り流してそれを嘆き悲しむことができれば、それはある程度浄化される、と。
そしてそれは、とても大切な、必要な行為、必要な時間である、と。

私は過去、そうした時間を十分に持つことができなかった。そのせいでずいぶん遠回りをしてきた。だからこそ。

彼女の中に過去の私を見つけるたび、言ってやりたくなるのだ。
もういい、もう十分だ、今はそこでお休み、思い切り泣いて、思い切り嘆いて、それからでいいんだ、次のことは。
と。

でももう時間を巻き戻すことはできない。

だから私は、彼女に繰り返し言った。

「泣けるだけ泣けばいい。泣けるというのは幸せなことなんだよ。泣くだけ泣いて、それから次にいけば、いい」