2011年11月28日月曜日

洗濯物と空

以前住んでいた部屋には窓がたくさん在った。通りに沿って全面窓だった。だから私たちは日差しに全く困ることなく、毎日を過ごしていた。

それは贅沢なことだったと気づいたのは、その部屋から引っ越した後だった。
引っ越した次の部屋は一階で、私はそれまで一階に住んだことがなかったから、一階に住むということがどういうことなのかまるで知らなかった。

虫は同居人の如く次々沸いて出て、日差しは時間によっては全く入らなくなり。
吃驚した。
こんなにも違うのかと、今更ながら知った。

あの頃。
洗濯物はいつでも乾くもので。冬でも夏でもそれは同じ、いつだってお日様いっぱい浴びて夕方にはすっかり乾いているもので。
だから洗濯物が煩わしいなんて思うことはなかった。
今、午前中しか物干し竿の方の窓には日がささない。だから朝一番に洗濯機を回さないと洗濯物が乾かない。
そして何より。

空。
なんて小さいのだろう。ここから見上げる空は。
洗濯物の向こうに広がる空は、とても小さくて。狭くて。

切ない。

2011年11月21日月曜日

ゴール

バスケットゴールと言っていいのだろうか、他に正式な呼び名があるのだろうか、私は知らないのだけれど。
そのゴールは公園の端っこに置いてあった。小学生ばかりが集う公園の端っこ。そのせいか誰かがそのゴールで遊んでいる姿を見ることはほとんどなかった。

それでもそのゴールはそこに在って。
私は以前からとても、気にかかっていた。

友人と公園で撮影をした折、ふと思いついてゴールに登った。
登った先で見る光景は。
これまでの景色とは全く異なる、一段高いところから見る景色で。埋立地の高層ビル群はぐいと近づいて見え、周囲のこれまで高いばかりだったマンションも今度は見下ろす位置になり。全てがすべて、違って見えた。
思わず写真を撮るのも忘れ、きゃぁきゃぁ声を上げて喜んだ。友人が呆れながらくすり笑った。あんたはもう、高いところに登ると我を忘れるんだから。

そうして数年後。
ゴールは撤去された。
私が登ったことなど誰が知るわけもなく。あっさりと撤去され。

もう公園に、そのゴールは、ない。

2011年11月14日月曜日

枝々の跡

そこは小さな小さな公園で。
鉄棒とブランコとちょっぴりの砂場があるだけの小さな公園で。
でも時間になると子供たちの集まる、公園だった。

そこの片隅に藤棚があって。季節になると美しい花を咲かせる。
花が咲いている最中というのはもちろん葉も茂っており、
その下に座っていると心地よい日陰に思わずとろんと目を閉じてしまいたくなるような、そんな風が吹くのだった。

そして季節は冬。
すっかり葉を落とした藤の枝は、一見枯れ枝かのように見えるほどからからに渇いており。触ると樹皮がかさこそと音を立てそうなほどで。
でも。
じっと見つめるほど、それは違うことに気づく。
小さな小さな萌芽が、あちこちに。

そして見上げれば。
すかんと晴れ渡る空。夏には見られないすかんと抜けるような青空。

冬が好きだ。
その冷たい風が好きだ。
その抜けるような高い空が好きだ。
誰もがじっと春を待つ、その沈黙が、たまらなく好きだ。

2011年11月8日火曜日

スリッパ、ちょこねんと

夏の或る朝、娘をおんぶして散歩に出た。引っ越したばかりの家の周りを、私はゆっくり歩いた。
私には珍しいものばかりだった。門構えが一切なく、道路から直接玄関に繋がっている家の作り、猫の額より狭い庭、隣の家との境も曖昧ないい加減な区画、どれをとっても私には目新しいものばかりで。
一体どういう場所に越してきてしまったんだろう、最初そう思った。

そんな時、ふと目に入った。揃えられたスリッパ。
斜めった簾は時折風にぱたん、ぱたんと音を立てる。そんな簾の下、スリッパだけがちょこねんときれいに揃えられている。

私は立ち止まって、その光景をじっと見つめた。あぁここには人の暮らしが在る、間違いなく人の体温がここに在る。そう思った。

それまで遠かった景色が、ぐんと近くなった。身近になった。改めてぐるり、周りを見回せば、どれもこれも自分が暮らし慣れた実家の景色とはかけ離れているものの、どこか懐かしさを覚える、そんな景色ばかりだということに気づいた。
あぁそうか、祖母の家に似ているのだ。

祖母の家は、これでもかというほどぎゅうぎゅうに住宅が押し並ぶ中に在った。こんな小さい場所にどうして家が建っているのだろうと思えるような場所に、何軒もの家が犇めいている。隣の家の音なんて筒抜け。そういう場所だった。
でも、何だろう、お隣さんの喧嘩を見つけては隣人が止めに入る、怒鳴り声が聴こえれば反対側から笑い声が聴こえる。そんな場所でもあった。
そのことを、思い出した。

この場所も、そういう場所なのかもしれない。そう思ったら、一気にこの場所が好きになった。大丈夫、ここで暮らせる、そう思えた。

夏のあの朝、見つけた、ちょこねんと揃ったスリッパ。
私をこの場所に引き寄せてくれた、大事なスリッパ。

2011年11月2日水曜日

滑り台

その公園は丘の上にあって。
子供にとっては大きな大きな滑り台のある公園だった。それ以外にはブランコがあるだけの、素っ気ない公園で。
でもこの滑り台があることで、たくさんの子供が集った。

私は弟を連れてよくこの公園に遊びに行った。当時弟はとても気弱な子で、他の子にちょっと小突かれただけで泣きべそをかくような子だった。だから、弟がちょっと泣きべそをかくたび、仕返しをして彼を守るのが、私の役目だった。

或る日滑り台で遊んでいたときのこと、滑り台の天辺から弟が滑り出そうとした瞬間、その弟をどーんと突き飛ばした子がいた。弟はもちろん頭から滑り台を転げ落ちる。私が呆気に取られて口をポカンと開けている間にも弟は転げ落ちる。

瞬間、私の怒りが爆発し、相手が年長の男の子にも関わらず飛びかかった。もちろん結果は組み伏せられるだけの話だったのだが、私はあの時赦せなかったのだ。どうにも赦せなかった、大事な弟を突き飛ばすなんて、と。もうただそれだけだった。

弟はそんな私を、今度は彼が呆気に取られて砂場から見上げていた。お互いぼろぼろの姿になり、滑り台の脇、ぽつねんと取り残されて。

何となく、目が合って。二人とも何となく、笑った。一度笑いだしたら止まらなくなって、しばらくけらけらと二人で笑った。

手を繋いで帰ったあの日、どちらも親に何も言わず、黙々とご飯を食べたことを覚えている。

あの滑り台を今こうして見ると、それはとても小さくて。あの頃私たちが見上げていたような大きさは何処にもなくて。

でも、懐かしい。そう、今はこうして懐かしいと言える、それだけの時間が経った。私の上にも弟の上にも、誰の上にも。
そんな私たちを見守るように、滑り台は変わらず、ここに在る。