2011年9月29日木曜日

雪が降っていた

あの日。友人に頼んで付き添ってもらい、久しぶりに閉じこもっている部屋の扉を開けた。友人と共に始発電車に乗ったあの日。雪が舞い散っていた。

初めてカメラを抱えた私が、初めて撮ったのは。この一枚だった。雪を散らす空を見上げていたら、ふとシャッターを切りたくなった。
何の変哲もない、その一枚を焼いた時、あぁ私の世界がここに在ると知った。

世界がカラーからモノクロに反転してからというもの。私は孤独だった。世界の在り様を共有できる相手がいないということは、酷く私を怖がらせた。恐ろしかった。こんな、誰も知らない世界に来て、そうして私は死んでゆくのか、と思ったら、とてつもなく怖くなった。
誰か、私の世界を知ってくれ、どうか、私と世界の在り様を共有してくれ。
私はそう、叫んでいた。

本屋に平積みされていた写真集を見た時、突如浮かんだ。あ、ここに在る、と。私の世界はこうやって再現することができる、と。そのことに気付いた瞬間、私は、モノクロ写真を絶対に手にするんだ、と決めた。
写真だから、とか、モノクロだから、とか、そういう理由じゃない。私は、私の世界をただただ再現して誰かと共有したかった。それだけの理由で、いきなり何の知識ももたない写真を始めた。

シャッターを押すことは分かっても、ピントを合わせるなんてことも私は知らなかった。カメラに詳しい友人が、ここをこう回して画を合わせるんだよ、自分の思うところで。そう言った。だからその通りにやってみた。一度シャッターを押すことを覚えた私は、次から次にシャッターを押すようになった。シャッターを押せば、そこにまるで自分が在るというかのように。

あの日。友人に頼んで付き添ってもらい、久しぶりに閉じこもっている部屋の扉を開けた。友人と共に始発電車に乗ったあの日。雪が舞い散っていた。

それが、私と写真との関係の、始まりだった。

2011年9月22日木曜日

あの日

あの日。私はもう倒れそうになりながら、それでもじっと、自分の順番が来るのを待ってた。
病院の待合室は満員で。私はそこに座っていることさえ苦痛で。だから待合室を飛び出し、非常口から階段へ滑り出た。そこには誰もいなくて。だから私はほっとして、ようやっと周りを見ることができた。
それは雨上がりの日で。来る道筋にも水たまりが幾つか在った。

ふっと、階段の手すりから身を乗り出してみれば。
あぁここから墜ちたら、私はいなくなることができるかもしれない、と。そう思った。八階の階段。死に切れるかどうかは分からなくても。とりあえずここから逃げることは、できる、と。そう思った。
その私の目に、飛び込んで来たのが、この光景だった。

あぁ、綺麗だ。そう思った。
私は階段を、震えながら一段一段下っていった。下って下って、ようやくその場所に辿り着くと。
そこには水たまりがひっそりと、横たわっていた。
気づいたら私は、持っていたカメラのシャッターを切っていた。

モノクロの世界の住人になって久しい私には、まさにこの写真のようにその場所は映った。あの時の私が、ここに在る。あの時この光景が眼に入らなかったら、私は思いっきりあの手すりを越えて、この場所に墜ちていたかもしれない。

写真はそうやって、私にあの一瞬を、越えさせた。

2011年9月20日火曜日

今、同じ場所に立てば

この写真を撮った時。
私は怯えていた。ただ怯えていた。
もう消えてなくなりたいと思っていた。この場から逃げられるならいっそ消えてしまいたいって。
逃げ出したくて逃げ出したくて消えてなくなりたくて。だから思いっきり強くシャッターを押した。シャッターを押すことでしか、私は逃げられなかったから。

あの頃私の世界はモノクロで。他人と共有できるはずのカラーの世界は或る日反転したままピクリとも動かなくなった。以来私はモノクロの世界の住人になった。

突如のっぺらぼうに見えて来る人、人、人。のっぺらぼうのヒトガタが押し寄せて来る。耳を塞いでも目を閉じても、それは怒涛のように。
だから私はこの時、逃げ出した。一瞬でもいい、ヒトガタの群れから逃げ出したかった。そうして逃げて、私は暗い暗い階段の陰に隠れた。
隠れながら、見上げた窓。
そこには相変わらずのっぺらぼうのヒトガタや巨大なビルがうねうねとうねっており。
私の心臓はもう、止まりそうなくらい、波打ってた。喉が潰れそうなほど、声なき悲鳴を上げながら。

どうして私の世界はこんなになってしまったの。どうしてどうしてどうして!
ただひたすら、その問いが私の中、ぐるぐる回ってた。

今、同じ場所に立てば。
私の世界は仄かに色を帯びて在る。人波もヒトガタの群れなんかじゃなく、一人ひとりがちゃんと違う顔をしており。眼も鼻もちゃんと在って。
それでも。背筋が寒くなる一瞬があるんだ。
私の瞼の奥には、まだあの映像が貼りついていて。いつまた自分があの世界の住人に戻ってしまいやしないかと怯えながら。ここに、私は、在る。

2011年9月15日木曜日

幻霧景Ⅰ-17

焼く時はただひたすら
祈りながら焼いた。
何処までも深く深く、誰の事もどんな事をも受け容れるだけの深さが、同時に浅はかさが欲しい、そう祈りながら。

届くだろうか、貴方に、届いてくれるだろうか。
貴方の中のいとおしい景色の破片に、何処かで繋がってくれるだろうか。
もしすぐに繋がることがなくても、仄かに匂いくらいは、そう、まるで残り香のように、貴方の内奥へと、伝わっていって、くれる、だろうか。

そう祈りながら、これらの作品を「幻霧景」と名付け、世界に送り出します。
「幻霧景」と貴方と、しばしの間でも見つめ合ってもらえたら、幸いです。


2005年11月 にのみやさをり/「幻霧景」という名の光景について

2011年9月1日木曜日

幻霧景Ⅰ-16

誰の中にも、恐らくあるであろう、
帰りたい景色。
でもそれは決して、たとえば「旧き良き日本の風景」というような、特定の場所や時を指示してしまうものではなく、もっとこう、具体的な形がすっかり溶け果てた後に残る、一つの小さな塊、或いは芯、といったようなもの。
とても懐かしく、同時に途方もなく切なくて残酷で、そして、何処までもやさしくやわらかい、
帰ろうとする者をすべてあるがままそのままに受容するであろう仄景色。
そういったものを、私は、描きたいと思った。

まだ夜が明ける前の、朝露に濡れる芝の上を走り、転がり、横たわり。
そして、ぱっくりと明けた東の地平線から真っ直ぐに伸びて来る陽光は、瞬く間に辺りを照らし始め。
それまでおぼろげでしかなかった様々な世界の輪郭が、露わになってゆく、そんな中で、撮影した。

(続く)