2011年7月28日木曜日

幻霧景Ⅰ-07

ふたりを撮るのは数度目なのだけれど。
そのたび思う。このふたりは親子のように似ているな、と。実際、以前発表した作品では、数人の方から「このおふたりは親子ですか?」と尋ねられた。
何だろう、顔が、というよりも、醸し出す雰囲気が、妙に似ている。

しんとした森林公園。そろそろ夜も明けて、ちらほらと犬の散歩やウォーキングをする人達の姿が。
私達は、その人達の間を縫って、隙間を見つけては立ち止まり、撮影を続けた。

うまく言えない。うまく言葉が見つからない。が。
ふたりは、決して自分のペースを崩さないところが、似ている。周りにどんな、誰がいようと、自分のペース、自分のテンポは譲らない、崩さない。
だから私は安心して、カメラを構えていられる。

2011年7月25日月曜日

幻霧景Ⅰ-06

私はこの写真が好きだ。
これを撮った時、こんなふうに出来上がるとは思っていなかった。というよりも、私は撮影中というのは無我夢中ゆえ、何の計算もできていないから、仕上がりのことなんて考えていられない。考えていない。
現像して、浮かび上がって来た像を見た時、うわぁと思った。
樹々が彼女らを守ってる。
そんなふうに見えた。
大きな大きな樹という家の中にひっそりと二人が佇んでいる。そんなふうに。

本当は。誰もがこの星の上、そうやって守られているんだと思う。いや、守られている筈なんだと思う。
それがいろんなものが奪われ、削がれ、そうしていくうちに、まるで自分はおっぽり出されているような、放り出されて棄てられてしまっているかのような、そんなふうに感じずにはいられなくなってしまうんだと思う。
人は人によって、そうやって、いろいろなものを奪われ、削がれてゆくんだな、と。いや、殺がれてゆくのだな、と。

そんなことを、思う。

2011年7月21日木曜日

幻霧景Ⅰ-05

こちらはもう少しだけ若い桜の樹。真っ直ぐな幹がそれを物語っている。その樹を挟んで、それぞれの位置に座りこむ二人。
あとで知ったが、この時二人は何を話していたのか。それは、撮影が終わったら一緒にアイス食べようね、何のアイスがいい?と話していたという。後になってそれを知り、思わず噴き出してしまったことを覚えている。

一方私はといえば。地べたを這いずり回っていた。
どの角度から撮ったら二人が美しく見えるだろう。そんなことを思いながら、地べたを這いずり回っていた。撮影の際泥だらけになるのは私の場合いつものこと。

静かな朝、かかっていた靄はいつのまにか薄らぎ、鳥の囀りが遠く近く響いていた。

2011年7月18日月曜日

幻霧景Ⅰ-04

 突然、少女が再び駆け出した。今度は自ら駆け出した。
長い髪が彼女の足を一歩進めるたびにひょんひょんと跳ねた。
微かな朝陽を受けてきらきら輝く黒髪には、天使の輪が産まれており。
じっと見つめていると、余計なものはすべて削ぎ落とされ、
私の目の中にはただただ、少女の掛けてゆく姿のみが写しだされる。

まるでスローモーションのようになって、少女は一歩また一歩、走り去ってゆく。
朝陽がまた一段高いところに上ってゆく。

ふと思う。道は人が作るのだ、と。私の前に道はなく、だから私自身が道を作ってゆくのだ、と。走ってやがて谷間に点のようになって消えてゆく少女の姿は、切ないほど純白だった。

2011年7月14日木曜日

幻霧景Ⅰ-03

それは桜の樹、もういつ終わりが来てもおかしくないほどの老木。
私がこの場所を最初に訪れた時から、勿論ここにずっと在り続けている。
大きく枝を横に広げ、それはまるで子供らを抱き抱えるかのような格好で。
すると少女が何も言わずそこに登り座りこんだ。
それを見ていた彼女が、幹の一番根元にすっと腰を下ろす。

まだ夜が明けきらない中、私達はそうして少しずつ少しずつ動き始めていた。

もう桜の花ががすっかり散り落ちて、地面を覆う芝は緑に輝いている季節。
しっとりと露に濡れた芝が、私達の足をすっぽりと包み濡らしてゆく。

2011年7月11日月曜日

幻霧景Ⅰ-02

まだ公園の街灯は点いたままだった。
うっすらと霧が出ており。まだ私達の他に誰ひとり公園にはいなかった。

私達は別に、どんなふうに撮ろうとか、どうやって撮ろうとか、そんな話は事前に一切しない。彼女たちが自由に動き回るのが基本で、それに対して私が時々、もうちょっとこっち来て、とかもうちょっとだけ後ろに下がってみて、と声を掛けるのみ。
それがいつもの私達のスタイル。

そんな私と彼女との間で、その少女は何を感じていただろう。
何を質問してくるわけでもなく、すっと立って、私達の間を往ったり来たりしながら間合いを計っている。
まだ五歳の彼女の動きは絶妙で。私はカメラを構えながら、思わず、よしっと声を掛けてしまう。

2011年7月8日金曜日

幻霧景Ⅰ-01

それは夜明けとともに始まった。まだ薄暗い森林公園。
うっすらと霧のかかった朝の光景。どの樹もどの樹も、しんと鎮まり返っている。
その静けさがたまらなく心地よい。
私のフィルムの感度で、ちょうどこれが始まりの時刻。

広がる草の原を見つめていた私は、その子に声を掛ける。
ねぇ、あそこまで走ってみようか。

その子はコクリと頷き、私の掛け声とともにダッシュした。
小さい子にはまだその距離は辛かったろうに、それでもその子は必死に丘を駆け上がっていった。
一方私は、シャッターを切り続けている。

そして私がカメラを下ろすと、それまで私の隣にいた彼女がその子を迎えに、自然歩きだす。
撮影の、始まりだった。

2011年7月5日火曜日

鉄棒

当時住んでいた部屋は小学校のすぐ裏手にあった。そのおかげで玄関を出ると目の前に教室や校庭が広がっていた。時折休み時間にベランダから娘が手を振ってくることもあった。

その小学校の校庭の、一番端っこに、その鉄棒はあった。
いつ見ても、他の遊具より人気がないらしい鉄棒。鉄棒を使って休み時間に遊ぶ子は今はそれほどに少なかった。
私はそんな寂しげな鉄棒が、いつも気になっていた。

ふとカメラを構え、シャッターを切る。
それをプリントして、はっとした。
鉄棒の周りには、幾つもの足痕がちゃんと残っているじゃないか。
あぁそうか、私が見ている時たまたま鉄棒で遊んでいる子がいなかっただけで、実はここで遊んでいる子たちもちゃんといるのだ。
そう思ったら、なんだかほっとした。

子供の頃、私は鉄棒が大好きだった。別に得意だったわけではない。ただ、
鉄棒にあがった分だけ、背が高くなって、世界をその高いところから見回すことができる、そのことが、私は心地よかった。
片足をかけてくるくる回って着地する。それを繰り返しているといつの間にかふらふらになってしまうのだが、そうやって見る世界もまた、私には面白いものだらけだった。

娘に或る日尋ねてみた。「ねぇ鉄棒って好き?」
娘は即答。「キライ」。
え?なんで? だって今の担任、自分が鉄棒がうまいんだって自慢ばっかりするんだもん、なんか嫌だよ。そうなんだ…。あ、でもね、自分で好きに鉄棒やるのはいいんだ、面白いからね。そうだね、面白いし楽しいよね。うん。
子供はよく大人の様子を見ている。大人のすることなすことちゃんと見ている。私は心の中どきりとしながら小さく笑った。