2011年4月29日金曜日

再訪

その日、砂丘は晴れ渡っていた。強い風がきゅるきゅると吹き荒んでいる。風には砂粒が混じり、私たちをぱしぱしと叩いた。眼を開けているのが困難だった。

それでも。
久しぶりに訪れたその地に、私は気持ちが昂っていた。ただ嬉しかった、再会が嬉しかった。あぁまたこの地に来ることができた、そのことが嬉しかった。

しかし、砂丘は予想通りまた姿を変えており。流砂を防ぐために幾重にも巡らされた柵。足の踏み場もないくらいに。どうしてこんな姿におまえはなってしまったのだろう。いや、どうしてこんな姿におまえはさせられてしまったのだろう。

砂に足をとられながら、それでも歩いて歩いて歩いて。
私たちはとにかく砂丘を歩き回った。
何となく砂上にしゃがみこんだその時、一掴みの雲がちょうど眼の前を流れてゆくところで。
眩しい陽光を浴びて虹色に輝く雲は、瞬く間に空を流れてゆく。私はシャッターを切る。その間にも私の顔を耳を鼻を、砂粒を抱いた風が叩いてゆく。
この美しい砂紋を味わえるのは、もしかしたらあと数年きりかもしれない。そんな予感が私の脳裏を過った。

2011年4月25日月曜日

手紙4.

聴こえますか
聴こえていますか
遠く離れた君へ 今
呼び掛けてる

用事なんてないんだ
ただ君がどうしてるのかなと
それだけなんだ
元気ですか
今何考えてた

遠く離れた、けど、
同じこの空の下

生きてますか
生きていますか

今しか見えない私たちは
途方に暮れたり
道を誤ったり
いろいろあるけど

それでも

生きてますか
どうしてますか
今日はどんな一日でしたか

それがたとえ君にとって
あまりに平凡な
当たり前すぎる一日だったとしても

君が生きていること
私も生きてここにいるということ
それは何より 尊い

届かなくても
呼びかけるよ、 時に君へと

そこにいますか
生きてますか
一日に一度くらい
深呼吸してますか

そうしてる間にも
時間は流れゆき
私たちは私たちの時間を
それぞれに積み重ねてゆく
たとえそれが
これっぽっち だったとしても

二度と会うこともなく
お互い人生を終えるかもしれなくても

それでも
時に僕は君へ
呼びかけるよ
大切な君へ
この世でたった一人しかいない
大切な君へ
たとえ君の耳に心に今
届くことがないとしても

呼びかけるよ
生きてますか
生きていますか
そこにいますか

私は今日もこうして
生きてこうしてここにいます

2011年4月15日金曜日

蝶番

身近な人に言われた。
君はブログででさえも自分の苦しみや辛さを押し隠しているんだね。

確かにそうかもしれない。
私は、そういうことについて書くことが苦手だ。

たとえば。
性犯罪被害に遭った友の強烈な悪夢の話やフラッシュバックの話を聴いた翌朝、私はたいてい起きた途端吐いてしまう。彼女の夢がまるで自分に乗り移ったかのように、夜中悪夢に魘され、へとへとになって、空っぽの胃から胃液を必死に吐き出す。
たとえば。
再体験の話を繰り返し耳にすれば、ようやっと治まっていたはずの症状がぶりかえし、自分まで再体験に魘され苦しむ。
たとえば。

挙げだすときりがない。

でもそういう私を知っているのはごくごく一部の人間だけだ。本当に近しい人間だけ。

うまくいえないが。
自分の苦しみや辛さを書くくらいなら、彼女や彼から伝えられた辛さや苦しみについて記したいと思う。
自分の傷みをずらずら書くくらいなら、彼女や彼から伝わってきた涙の色をしかと記して誰かに伝えたいと思う。

「だから誤解されるんだよ。君はまるで病気を克服して、事件のことも克服して、元気にやってるって受け取られちゃうんだよ」
友が苦笑する。
私も、苦笑する。

でも。
一人でいい。たった一人でいい。この世でたった一人、私のそうした苦しみや傷みを知っていてくれる人がいるならば。
私はもうそれで、充分なんだ。

だから私は言ってみれば蝶番だ。
彼や彼女の声を、あちら側に伝えるために翻訳し記す。そしてまた、あちら側からの声が届けば、それを翻訳し記して、彼女や彼らに届ける。
それが私の、役目なんじゃなかろうか、と。

ふと振り返ると、娘が実に穏やかないい顔をして立っている。
思わずシャッターを切った。秋の早朝の、一景。

2011年4月5日火曜日

木陰に横たわり、

日の出直前から動き出していた私たちのところに、白い白い透き通るような陽光が届き始める。同時に辺りには陰影がくっきりと浮かび上がり出し。
娘の横たわる場所にも、樹々の影や草葉の影と共に、ほんのりと日差しの輪が。

目を閉じて横たわる娘をじっとファインダー越しに見つめながら思う。
こうして毎年一度、ふたりきりでカメラの向こうとこちら、向き合うようになってどのくらい経つだろう。成長著しい娘は、ぐんぐん変化してゆく。今覗くファインダーの中、彼女はその年齢よりもずっと女らしく見えた。あぁ彼女は女なのだ、生まれながらにして女なのだ、というそのことを、痛感する。

昔、誰だったか、女は子宮で思考する、と言っていたのを思い出す。
その子宮を、彼女も孕んでいる。子宮という小さな宇宙を。その宇宙はやがて明かりを燈すようになるのだろう。そして膨らんで膨らんで、命を生み出す。
私の子宮がかつて、そうだったように。

ねぇママ。目を閉じたままの娘が不意に声をかけてくる。
なぁに。
ママさぁ、私のことどうやって産んだの?
ど、どうやってって???
子供って何処から出てくるの? 誰が一番最初に抱きしめるの?

娘の純粋なその問いに、私はあぁなるほどと心の中頷いた。何処から出てくるかはいずれ教えるとして、今はもうひとつの問いに応えなければ。

ママが一番最初に抱きしめたんだよ。
そうなの? お医者さんじゃないの?
違うよ、お医者さんや助産婦さんは、あなたを取り上げてくれて、すぐ、ママの胸のところに置いてくれたの。だから小さなやせっぽっちだったあなたのことを最初に抱きしめたのはママだよ。
ふぅーーーん。

ふぅーーん、と言いながら、目を閉じたまま、彼女の口元がにっと笑う。私はファインダー越しにその変化を見つめながら、ちょっと笑んでしまう。

その瞬間、真っ直ぐに真っ直ぐに、東の空から朝陽が弾けて飛んできた。私たちははっとそちらの方を振り向く。

ママ、私のこと産んでよかった?

彼女はこう、何と言うか、唐突にこういうことを尋ねてくる。油断ならない。私は苦笑しながら彼女に応える。

当たり前でしょ。あなたは私の誇りだよ。

遠くで鳥たちの啼く声が響いている。まるで朝陽を讃えるかのように。
私たちはじっと、その声に耳を澄ます。