2011年11月8日火曜日

スリッパ、ちょこねんと

夏の或る朝、娘をおんぶして散歩に出た。引っ越したばかりの家の周りを、私はゆっくり歩いた。
私には珍しいものばかりだった。門構えが一切なく、道路から直接玄関に繋がっている家の作り、猫の額より狭い庭、隣の家との境も曖昧ないい加減な区画、どれをとっても私には目新しいものばかりで。
一体どういう場所に越してきてしまったんだろう、最初そう思った。

そんな時、ふと目に入った。揃えられたスリッパ。
斜めった簾は時折風にぱたん、ぱたんと音を立てる。そんな簾の下、スリッパだけがちょこねんときれいに揃えられている。

私は立ち止まって、その光景をじっと見つめた。あぁここには人の暮らしが在る、間違いなく人の体温がここに在る。そう思った。

それまで遠かった景色が、ぐんと近くなった。身近になった。改めてぐるり、周りを見回せば、どれもこれも自分が暮らし慣れた実家の景色とはかけ離れているものの、どこか懐かしさを覚える、そんな景色ばかりだということに気づいた。
あぁそうか、祖母の家に似ているのだ。

祖母の家は、これでもかというほどぎゅうぎゅうに住宅が押し並ぶ中に在った。こんな小さい場所にどうして家が建っているのだろうと思えるような場所に、何軒もの家が犇めいている。隣の家の音なんて筒抜け。そういう場所だった。
でも、何だろう、お隣さんの喧嘩を見つけては隣人が止めに入る、怒鳴り声が聴こえれば反対側から笑い声が聴こえる。そんな場所でもあった。
そのことを、思い出した。

この場所も、そういう場所なのかもしれない。そう思ったら、一気にこの場所が好きになった。大丈夫、ここで暮らせる、そう思えた。

夏のあの朝、見つけた、ちょこねんと揃ったスリッパ。
私をこの場所に引き寄せてくれた、大事なスリッパ。