2011年10月4日火曜日

その船の行方

それは街中を流れる川に繋がれており。
もうすっかりぼろぼろになった姿で、繋がれており。

哀れだと思った。まるで自分みたいだと思った。とりあえず首輪を嵌められ繋がれて、そこに置き去りにされている。置き去りにしておいてもいい存在とみなされた自分とその船。
哀しくなった。見つめるほど哀しくなった。切なくて切なくて、胸が痛くなった。喉が締め付けられ、呼吸も苦しくなって。
気づいたら、シャッターを切っていた。

フィルムの巻き上げ方も装填の仕方も何も、まだ知りも覚えてもいなくて。隣に立つ友が必死に何か喋っている。私に教えてくれようとしている。それが分かるのに、言葉が分からない。言葉を理解できない。そのくらい私の心と頭は混乱していて。
そういう時間をあの頃、私は過ごしていた。

そう、誰の言葉も、私に届かなかった。いろんな人が私の肩を叩き、話しかけてくれた。なのに私には、その人の口が動いている、唇が動いている、と、それしか認知できず。もう、私の心は壊れていた。決壊した川のように。どくどくと血を流していた。ヒトの言葉も分からなくなるほどに。

人間という字はヒトのアイダと書く。ヒトのアイダにいてこそ人間なんだ。でも私はあの頃。
もはや人間でもなかった。ヒトのアイダにいることなど、もう私には、できなくなっていた。

クルシイとかイタイとかツライとか、そういったものがもう、感じとれなくなっていた。嬉しいも喜びもみんな、何処かに消えてなくなって、私の手の届かないところに遠ざかって。
無感動、無感情、という状態がもし在り得るのであれば。私はその頃、そういう位置にいた。

そんな私が、哀しいと思った。切ないと思った。あの船。
数年後、船は無残にも壊され、撤去された。
あの川にもう、あの船の姿は、ない。