2010年8月31日火曜日

緑破片(5)

ねぇさん、
体験者にしか、どうやっても分からないことが、こんなにあるんだね。
私、被害に遭うまで、知らなかったよ。
体験者にしか分からないこと。
そう、それは、思いがけなく被害者となってしまった人たちの、「被害後の姿と心境」だよ。
被害から抜け出すのも容易ではない上に、被害から立ち直るためにどれほどの代償を抱えて毎日を送っているのか。自分自身が望んでもいず、自分から選択したわけでもない出来事の為に、なんでこんなに苦しんで、貶められながら生きていかなきゃならないのかって、何度思いつめたことか!
数えだしたら、きりがないよ。

大樹に寄りかかりながら立つ彼女の足は裸足だ。今どれだけの異物が彼女の足の裏を傷つけていることだろう。
それでも彼女は、何も言わずに立つ。
そして私は、そんな彼女を見つめる。

2010年8月30日月曜日

緑破片(4)

突然彼女が走り出した。
それまで在った森が途切れ、野っ原が現れた。
何もかもを振り切るように、彼女は走っていた。

みんなみんな、誰にも言わない方がいいよ、あんたの方がおかしいって言われるだけだよって殴られ倒れた私に向かって囁いた。みんなみんなみんな!
でもあのままだったら、間違いなく私、死んでたよ。
ねぇさんに会うこともなく、死んでた。
唯一、この状況はおかしいんだよって言ってくれたのが、当時の主治医だったんだよ。
肩で息をしながら、彼女が一気に言葉を吐き出す。

ねぇ、本当にあの時、誰もおかしいって言わなかったんだ。
でも。せめて思うことだけでもしてくれたら。
おかしいんだよ、逃げていいんだよって誰か一人の人でも言ってくれてたら。
でも。
そんな人、何処にもいなかった。
ただ一人、主治医だけだった。

私は彼女の、震える肩をじっと見つめていた。
きっと誰も、今、彼女に触れることは、できない。

2010年8月27日金曜日

緑破片(3)

DV防止法もできたよね。あれからもう何年もの時間が経ってる。ドラマでもDVが扱われるような時代にはなった。でも。
果たしてみんな、いつ自分の身の上に起き得ることなのか、って考えてくれたこと、あるんだろうか。
彼女が薄い唇を強く噛む。
殆どの人たちの心の奥底に、「あれは特別なもの」「自分には起こり得ないもの」って歪んだ希望的観測がはびこってるんだ。防止法ができたって、現実の何が、変わったっていうんだろう。

彼女は語る。
「張り倒されて、足で蹴りつけられてブレた視界。床に散らばる、引きちぎられた自分の髪の毛。割れた皿。グラス。でこぼこになった口の内側。どこまでもこびりついて離れない血の味。必死になって裸足で雪の中を飛び出しても、必ず追いかけてくる足音、車の音。「死んでくれ」って言いながら、私の意識が遠のくまで首を絞めてくる手。
でも隣の住人も誰も、助けてはくれなかった、誰も」

「それどころか、倒れて転がった私に、「誰にも言わない方がいいよ」って、みんなが言った」

彼女の目はただ一点を凝視したまま、止まっていた。
私はそんな彼女を、カメラをはさんでじっと、見つめている。

2010年8月26日木曜日

緑破片(2)

過去になんかそう簡単にならないよね。 彼女が言う。 過去にしたいのは、誰よりも私自身なんだよ。なのに、過去になってくれない。何処までも何処までも追いかけてくる。 それなのに周りは、「もう忘れなさい」とか「一体もう何年前の事だと思ってるの、いい加減にしなさい」と言う。どうしてそんなことが言えるんだろう。 彼女が呟く。 私は黙って、シャッターを切り続ける。 みんな結局、他人事なんだよね。自分は大丈夫、自分だけは大丈夫、って信じてる。信じて疑わない。被害に遭うのは特別な人間だけだって、そんなふうに思ってる。 でも。 私だって被害に遭うまで、自分が被害に遭うなんて思ってもみなかった。望んでもいない。それなのに。 彼女はじっと、何処か一点を凝視している。 私はそんな彼女を、ただじっと、見つめている。

2010年8月25日水曜日

緑破片(1)

彼女との撮影はもう何度目だろう。遠く西の町に住む彼女が、薬を飲んで、それでもこうしてやって来てくれてはカメラをはさんで向き合う関係。

彼女は性犯罪被害者であり、DV被害者でもある。また、機能不全家族に育ったACでもある。PTSDを発症してからもう何年。
今もまだ、解離やパニック、失声、フラッシュバックなどにたびたび襲われる彼女。症状はきつい。

性犯罪被害の時、彼女は加害者たちに写真を撮られた。そのせいで、カメラのシャッター音が怖いという。私はそんな彼女に合わせて、カメラを使い分ける。

不思議だね、他の人のカメラはダメなのに、ねぇさんのカメラは怖くないよ。
彼女が笑う。
私は黙って、カメラを構え、彼女の動くままに歩き回る。

ねぇさん、どうしてみんな、もう忘れなさいとか過去のことなんだからって平気で言えるんだろう。
彼女が呟く。

2010年8月24日火曜日

十三夜---「恋の感情」

繰り返されてゆくしぐさで
記憶に 埋め込まれてゆく

微妙な角度の違い
   速度の違いで
猫の眼のように変わる 恋の色合いを
はかっている 互いに

疑い合うことが
  信頼をうわまわり、
罵り合うことが
  語らうことを押し退けてゆく頃、

終章さえ見失ってしまった
恋の姿に 気づく。

2010年8月23日月曜日

十三夜---「葬送曲」

濡れた舌にくるんだ夜を
黒猫が 齧る

カリコリ
と、微かな音を立てて
カリコリ カリコリ
と、漆黒の闇に響き渡る

足元の、朗々と流れ続ける川面を覗き込めば
途方に暮れるだけ、記憶の欠片がその片割れを求め

カリコリ
と、響き続ける音色にのって 名もなき稚魚が飛び跳ねる
人が記憶の向こうに隠し込んだ過去たちを
数え上げるように

黒猫が夜を齧る カリコリ、という音と
名もなき稚魚の飛び跳ねる パシャリ、という水音が
響き続ける、夜が明けるその日まで

2010年8月22日日曜日

十三夜---「女」

しなだれる 女の
髪のにほひほど
まやかしで ある ことを

教えてあげよう、おまえに
今 ここで

ほら、
おまえの腔が
あたしの腔が
熱く熱く 膨れているのに

あたしはこうしておまえのことを
見下す眼を 持っている
  「 それが 女 」

2010年8月21日土曜日

十三夜---「嫉妬の貌」

己の顔が、
鏡に映る己の顔が、見るも無残に爛れ、

その顔に
影のように寄り添い 知りもしない女の顔が
あらはれ、

透き通るように白い 滑らかな肌に
まだ 何の穢れも知らぬ気の、黒き瞳を湛える女の顔が
あらはれ、

私は、
為す術もなく、鏡に映る、その
二つの顔から 眼を逸らすこともできず、

あぁ、

鏡には今夜も 二つの顔があらはれ、

あらはれ、

2010年8月20日金曜日

十三夜---「十三夜」

月が嗤う

たらり たらり

青い血が たらり
  夜が 深まる
白い血が だらり
  夜が 浮き立つ

たらり たらり

嗤うごとに
気を遠くさせる

2010年8月19日木曜日

十三夜---「  」

私は何処
何処にいるの
夥しい数のしゃれこうべ
この地上を覆い尽くすように
この世界を食い尽くすように

こんな中からどうやって
私を見つけたらいい

それでも見つけなければ
私はぶつかり合い乾いた音を立てる骨々を
掻き分けながら 探し続ける

私は何処
これでもない あれでもない それでもない
でも必ず在るはず
私は必ず

この世界の何処かに

だから私は探し続ける
この世界で生きていく為に

2010年8月18日水曜日

十三夜---「悋気」

この満月を、おまえに
気付かれる前に 呑み干してしまいたい

のっぺらとした頬を
撫ぜる黒闇を真似て
この手では決して触れること叶わぬおまえの
その輪郭を
なぞっては みる けれど

こうしているうちにも おまえは
その妖躰を
猫の眼に 晒している

2010年8月17日火曜日

十三夜---「誘惑」

黒髪をほどいて
振り向くな、女
たちこめるおまえの匂いで
息が できない

すべてを見透かしたような
邪気に噎せ返る唇を
晒すなよ、女

それが

熟れた果実なら
誰だって
貪りたくなる

2010年8月16日月曜日

十三夜---「不倫」

髪が のび、
ひきずるほどに
のび、 想いも

綴れない言葉が
その重さ全身でのしかかり、
私は

まるで
他人に見える自分の
顔 を、
鏡の中に 見つける。

2010年8月15日日曜日

十三夜---「月」

それ以上欠けることも 満ちることも知らぬ月が

夜の闇に ぽっかり 浮かぶ。

男が思う。重なり合いながらもひどく
冷たい女の唇によく似ている、
と。
女が 呻く。抱き合いながら見下ろしてくる
冷めた男の眼にそっくりだ、
と。

それ以上欠けることも 満ちることも知らぬ月が

夜の闇に 浮かぶ。
ぽっかり

ぽっかり

2010年8月14日土曜日

虚影(8)



もはや諦めるしか術はない、と、瓦礫の街に崩れ落ちる。
もはや諦めるしか。
そう呟くのに、
同時に、喉が焼けるように痛むのだ。
それでも、それでも、と。

それでも私たちは生きたかった。当たり前に生きたかった。ごくごくふつうに生きていたかった。こんなことが自分の身の上に起き得るなんてこれっぽっちも思ってもみない頃に戻って、ふつうに笑ってふつうに泣いて、そうして生きていたかった。

私たちが願うのは、たったそれだけのことなのに。

遠い。遠すぎる。あまりにも遠すぎる。
あぁ。

それでも私たちはやっぱり、起き上がるのだ。倒れ伏した瓦礫の山から、やはり今日も起き上がって、立ち上がって、足を引きずりながらも歩き出すのだ。
それでも、それでも、と、自分の内奥から湧き出てくる声に圧されるようにして。とぼとぼと歩き続けるのだ。

この先に何が待っているのか。
誰も知らない。
でも私たちは今なお生きている。
生き延びてしまった。
だから生きる。
それでも、と、この手の中に残る粉々の緒の先に、世界が繋がっているかもしれないことをせめて信じて。それでも、と、歩き続ける。

2010年8月13日金曜日

虚影(7)


私たちは、被害に遭ったことで、いろいろな縁を失った。
友人との緒、親との緒、世界との緒。
そうしてすっかり取り残されて、ぽつん、
知らない場所に、放り出された。

これまで無条件に信じていられた世界が、がらり、手のひらを返し。
これまで当たり前にあった出来事が、もはや、当たり前ではなく。
気づけばありとあらゆることが、ひっくり返って、そこに転がっていた。

瓦礫と化した街を、私たちはとぼとぼと歩いていた。
何処へ行けばいいかの地図も、何もなかった。
私たちは彷徨って彷徨って彷徨って、そうしているうちに足の裏は擦り切れ、
血の足跡がぽつりぽつり。

陽炎のように時折、これまで当たり前に在ったはずの世界が垣間見えることがある。
思わず私たちは手を伸ばす。伸ばすのだけれど。
瞬く間に陽炎は消える。
私たちの手はただ、宙を掻くのみ。

2010年8月12日木曜日

虚影(6)


十何錠もの薬を毎食毎食飲んで、それでもパニックが起こればフラッシュバックが起これば頓服を飲んで、夜には夜でさらに薬を飲んで。
私たちの体って、ほんと、薬漬けだよね。もはや薬中毒。
彼女が乾いた声で笑う。

薬なくして、今私たちの生活は成り立たない。山ほどの薬を毎度毎度飲んで、そうして何とか心を保っている。そうでしか、世界に在ることができない。

それでも。
遠いのだ。
今降り注いでいるはずの陽射しも、今足の裏に触れる土も、流れ往く風も、実感が伴わないのだ。すべてがすべて、上滑りしてゆく、そんな感じで。

私たち、世界からすっかり、取り残されたね。
彼女が言う。
もう戻ることはできないのかな。

私は何も応えず、ただ、シャッターを切っている。

2010年8月11日水曜日

虚影(5)


どうして私たち、今もこんなところで生きているんだろう。
彼女が呟く。
どうしてだろうね。
私は返事をする。
死ねる人だっているのに、どうして私は生き残ってるんだろう。
私は黙って耳を傾けている。
私なんかが生き残る意味、いまさら一体何処にあるというの。

彼女は言いながら、泣いていた。
同時に、
嘲笑っていた。
もはや嘲笑ってしか、自分を支えていられないかのように、嘲笑って、泣いていた。

私のすべてを奪った加害者。
私のすべてを壊した加害者。
今ものうのうと世界で生きていて、
平然と次の獲物を探しているかもしれない加害者。
他の誰が赦せたとしても、
私は決して、赦すことなんかできない。

彼女は淡々と、そう言った。
私も淡々と、その言葉を聴いていた。

風が流れ、私たちの髪を揺らしていく。
陽射しはやわらかく、私たちを包んでいる。
でもすべてが
すべてが遠いのだ。
世界のありとあらゆるもの、すべてが。遠い。

2010年8月10日火曜日

虚影(4)


度重なるパニック、悪夢、幻聴、幻覚。四六時中やってくる震え、吐き気、眩暈。様々なPTSDの症状が私たちを襲った。
あまりの幻聴に、自分はもう気が狂ったんじゃなかろうかと、絶叫したくなることが多々あった。でも、そんなときでさえ声は出ないのだ。私たちの絶叫は、虚しく空を切るだけに終わる。

大量に薬を飲み、死んでしまおうとしたこともあった。思い切り腕を切り刻んで、水に浸けてそのまま寝入ることもあった。何とかして死のうと、電車のホーム、ひたすらそのタイミングを計っていたこともあった。
でも。
死ねない。

死ねないことがこんなにも苦しいことだなんて。誰が思ってみただろう。自分で生と死を選ぶことさえできない現実に、私たちはのた打ち回った。
切り刻んだ腕は、もう縫うこともできないくらいぼろぼろになっていたというのに。それでも私たちは、腕を切ることで何とか、自分の意識を保とうとしていた。

2010年8月9日月曜日

虚影(3)


よく、どうして襲われそうになったら悲鳴を上げないのかという人がいるが。それは、被害に遭ったことがないから言える言葉なんだとつくづく思う。
襲われそうになったとき、もちろん私たちは声を上げようとする。でも。
喉は潰れ、出るのは何の意味も持たない、小さな小さな悲鳴だけ。それさえ喉から漏れ出てこないことの方が多い。
それが現実だ。

私たちが被害に遭った当時はまだ、警察や病院の対処も不十分すぎる時代だった。警察で取り調べられれば、本当は嬉しかったんじゃないのなんて言われ、そのくらいであんまりおおごとにすると、あなたが傷つくだけだと思うよ、なんて言われ。その言葉は、事件に遭ったばかりの被害者にとって、残酷極まりない響きを持っており。
でもそれもまた、現実なのだった。

結局彼女は、事件を公にすることなく、泣き寝入りした。泣き寝入りすることで、せめて生き延びようとした。でも。
生き延びることは、思っていた以上に難しいことだった。

2010年8月8日日曜日

虚影(2)


彼女は性犯罪被害者の一人だ。街中のとある場所で被害に遭った。以来、PTSDを発症し、それを抱えながら生きている。
この日も、この場所に彼女が無事に辿り着けるよう、細心の注意を払った。人ごみの少ない駅で待ち合わせ、人の少ない時間を選んでバスに乗り。そうやってここに辿り着いた。
澄んだ空の下、私たちは何を話したわけでもなく、カメラを挟んで向き合う。どう撮ろうかなんて事前に何も話し合っていない。だからすべては気分で決める。

彼女の腕には幾つかのリストカットの痕が在り。青白いほどの肌に、その痕はぷくりと膨らんで残っている。
食べ物を思うように食べることもできないから、彼女はどんどん痩せていく。

ねぇ、私たちの被害って、一体何なんだろうね。
彼女が突然、呟いた。

2010年8月7日土曜日

虚影(1)

これは以前「虚影」というシリーズで展開した作品だ。濃いプリントが焼き込んだもの、薄いのがネガを正確にプリントしたもの。
今回改めて、モデルの方の許可を得、コメントを付しての発表ができることになった。

焼いていて思うのは、撮影したその時見えなかったものが、焼き込むほどにぐいと見えてくるということ。思ってもみなかった痕跡が、ありありと浮かび上がるということ。
そして思った。
私は今、目には見えないものを浮かび上がらせようとしているのだ、と。

それはそのまま、モデルになってくれた彼女の、彼女が内奥に抱えたモノを浮かび上がらせたいと願う私の気持ちのありようのようで。

撮影の季節はいつだったか。春か秋か、もうはっきりとは覚えていない。ただとても天気の良い日で。風が心地よく流れていたことを覚えている。
彼女はとても細くて、折れそうなほど細くて、私が肩を小突いたら、ぽーんと飛んでいきそうなほど儚くて。そんな彼女に、カメラの前に立ってもらう。

そして、私たちの撮影は始まった。

2010年8月6日金曜日

鉄条網と少女

その頃私が住んでいた場所は、線路沿いだった。線路から二本ほど通りを入れば、すぐに私の家だった。

彼女は私とそう歳が違わない。違わないのだが、酷く小柄なせいだろうか、その顔の向きによって、はっとするほど幼く見えることがある。
どきりとするほど、少女になってみせることが、ある。

すぐ後ろを電車が通り過ぎる。そのがたんごとんという音を聴きながら、私は柱によじのぼり、何とかバランスをとってその上に立った。
斜めから見下ろすと、彼女のちょっと俯いた顔は、こちらが頬にキスをしたくなるほど、かわいらしい輪郭を見せた。
ね、ここで撮っていい?
いいけど、落ちないでよ。
わかってるって。

裂けた鉄条網が、ぶらり、垂れ下がっていた。
風は微風で、彼女の肩で切りそろえた髪を、時折ふわりと揺らしていた。
寒い寒い二月の、午後だった。

2010年8月5日木曜日

苔むした石柱

それはいわゆる橋桁で。
だから、満潮の頃にはそこに立つことはできず。川の深みが浅いときに、立つことの赦される場所だ。
その頃はまだ、草が生え放題の場所でもあり。忍び足で近づくと、小さな蟹がさささささっと、群れをなして滑ってゆく、そんな場所でも在った。

その日たまたま水嵩が低く、立つことができた。そこに立ち、私たちはしばし、電車の行き交う橋を見ていた。

こういうものを人があちこちに作ってゆくんだよね。
うん。
やっぱりこういうのって、便利っていうべきなんだよね。
うん、多分、きっと。

それぞれに何を考えていたのか、分からない。私たちは敢えて確かめ合うこともせず、ぼんやりそこに立っていた。
向こう岸の茂みには、白い水鳥が二羽、舞い降りて来て、しきりに足元を突付いている。餌を探しているんだろう。

私たちがいなくなっても、この光景は続いていくのかな。
そうなんだろうね、続いていくんだろう。少しずつ形を変えながらも。
私たちって本当に、一瞬でいなくなるよね。
うん。

そうして私たちは、向かい合った。そして一枚、写真を撮った。橋桁を背にして。
焼き込んでみて、感じたのは、橋桁の年齢だ。それは苔むしており。もうその橋桁がどのくらいの年月をここで経てきたのかを語っているかのようで。
私たちの時間はこんなふうに、時折交叉しながら、それぞれに、過ぎてゆく。

2010年8月4日水曜日

枯れ枝に

森の中、あちこち歩く。あてもなく歩き続ける私たち。
ふと、目の前の窪地に、大きな大きな枝を見つける。

これ、あの樹の枝なんだろうね。
折れたんだね。
見事な曲線描いてる。
うん、見事だ。美しい。

多分、嵐か何かで、折れたのだろう大枝。窪地の真ん中に、でんと横たわっている。私たちはそっとその枝に近寄ってみる。

この枝は、いずれ朽ちていくのかな。
そうなるまでには、かなりの時間が要るだろうね。
誰に知られることもなく枝は折れて落ちて…
やがて朽ちてゆく。
そういえば、こんな物語、なかったっけ?
誰が森の中で倒れる木の音を聴いたか、みたいな。
うんうん、そんな物語、どこかにあった。

辺りを見回しても、人影ひとつなく。時折少し離れた幹を駆け上る栗鼠の姿があるばかり。自然、私たちは、その枝に寄りかかっていた。

こうやって誰に知られることもなく歳を取って、
こうやって誰に知られることもなく朽ちていって、
そうしてまた、命は継がれてゆくんだろうね。
うん、そうだよね。

空を見上げると、ぽっくり浮かぶ白い雲が一つ。それはとても美しくて眩しくて。

2010年8月3日火曜日

年輪

生え散らかった森ではなく、少なくとも人の手が介されている森だから、所々に切り株が見られる。古くなった樹、あるいは近づきすぎて育った樹が、それぞれ切られてゆく。
私たちはひとつの切り株の前で、ふと立ち止まった。
それはあまりに大きくて。私たち二人が乗っても、びくともしないほど立派で。
私たちは切り株に腰掛けた。

ねぇ、この切り株の年輪、数えてみようか。
いや、数え切れるわけがないよ、こんなにも大きいのだもの。
そうだよね、この根の絡み合った様、見て。
それだけ地中深く、眠ってるってことだよね。

私たちは一度立ち上がったが、また座り、じっと切り株の感触を味わった。
冷たくもあたたかくもなく、なんというかこう、じわりと時間の堆積がお尻から伝わってくるような、そんな重さがあった。

誰が切ったんだろうね。
切るときどんな気持ちがしただろう。
切り落とされた樹は、何処へ行ったんだろう。
何かに使われてるといいね、こんなに立派な樹だったんだもの。

たとえば誰かの家のベンチだとか、たとえば誰かの絵の額縁だとかに、この樹が変化していたら、素敵だろうに、と思った。
どちらからともなく、私たちは、切り株に耳を当てていた。もちろんそこから、呼吸する音も何も聴こえるわけではないことは分かっていたけれど。それでも。

生きてたんだよね。ここで。
うん、生きてた。
長い長い時間がここに在った。
そうだね、とてつもない長い時間が。

今ももしかしたら切り株の何処かの欠片が、ぷつ、ぷつ、と呼吸してるんじゃないか。そんなことを信じたくなるような、そんな切り株だった。

2010年8月2日月曜日

花びらに彩られた石段

さらに歩いてゆくと、突然石段が現れた。
誰が何に使うのか、全く不明の、突発的な石段だった。

ね、これ、誰が使うんだろう。
歩いた痕、ほとんどないね。
使われてないってことなのかな。
使われない石段だから、こんなにきれいに花びらが残ってるんだ。

その辺りに桜の樹はなかった。もっと離れた場所に桜の樹は並んで植わっている。
その樹の花びらが、ここまで風に乗ってやってきた、ということか。
それにしても夥しい数の花びら。しかも、足跡も何もない、はらりと落ちたばかりに見える美しい形の花びらたち。

堆積してるね。
うん、きっといろんなものが堆積してる。
花びら、時間、枯葉、歴史…
そうだね、本当にいろんなものが堆積してる場所なんだ。

どう考えても、用を足しそうにない石段だった。でも、この石段に舞い降りた花びらは、ひときわ輝いて見えた。
まるで、花びらのために用意された、そんな石段だった。

ここ、歩いちゃいけないね。
そうだね、別のところ行こう。

私たちはそう言い合って、立ち上がった。そうして、大きく迂回し、石段を後にした。