2010年3月31日水曜日

小さな手~白い部屋より02

人の手というのは、どうしてこんなにも物語を語るのだろう。それがどんな手でも。そう、たとえば荒れ果てた手でも、皺にまみれた手でも、まだ生まれたばかりの手であってさえも。手は顔と同じく、いや、下手すればそれ以上に、多くを語る。
これは娘がまだ保育園の頃の手だった。白い部屋のシリーズを撮影しているとき、ふと撮った一枚だ。

まだ丸みの残る手。丸々として、ふくよかな手だ。でもその手はもうすでに多くものを失ってきた。そのことを私は知っている。
でも手は何も言わない。言わないでただ、あるがままを受け止める。

そうして改めて自分の手を見つめる。私の手は今、ずいぶんもう年を取った。もともと骨太で、血管が浮き出てもいたりして、ごつい手だ。およそ女らしくない。
それでも私はこの手で、様々なものを掴んだり手放したり追いかけたりしてきた。それはこれからもそうなんだろう。
そして何より。
この隣の小さな手が求めたとき、寄り添える手でありたい。そう思う。もちろん、突き放すことだって必要なこともあろう。だからこそ、そっと寄り添える手でありたい。

手は多くを物語る。その物語を私はもっと聴きたい。だから、いつかもっと多くの人の手を撮ってみたい。そう思うのだ。

2010年3月29日月曜日

白い部屋01

白と黒があれば、グレーもある。実はその、グレーの部分、灰色の部分のなんと多いことか。でも私たちはつい、それを忘れる。

もし生まれてからこの方、無菌の部屋で育てられ続けたら。私たちは一体どんなふうに育ってしまうのだろう。いや、無菌の部屋、というからイメージがつきづらいかもしれない。たとえば、過保護、過干渉の親のもとで育てられ続けたら。私たちはどんなふうに育つんだろう。
私の親はたとえば。精神的虐待を為しながら、過干渉でもある親であった。そのことを振り返るとき、怖くなることがある。
私は、父や母の決める白と黒しか、長いこと知らなかった。灰色の部分があるということを、私は長いこと認識できなかった。また、それを自らが決めていいものだということを、私は長いこと、知らないで育った。
だからいざ、世の中にぽーんと放られたとき、私は途方に暮れたのだった。一体これから私はどうしたらいいのか、と。
だからこそ思うのだ。気づかないでずっと育っていってしまったら、一体どんなオトナが出来上がるのだろう、と。

最初何気なく撮ったシリーズだった。「白い部屋」。いや、最初からそのタイトルがついていたわけではない。明るいオレンジ色のカーテンを部屋に張り巡らせ、明るい日差しの中、撮った。それをそのままプリントすれば、明るいグレートーンの画となる。しかし。焼いていてふと、思った。これをもし真っ白にしたらどうなるんだろう、と。

無菌室。白くプリントして、最初に思ったのがそのことだった。あぁここは無菌の部屋だ。外からの菌を排し、隔離された部屋。その密室でたった二人、呼吸し続けていったなら。どんな恐ろしい光景が生まれるんだろう。そう思った。
現れ出る光景は平和かもしれない。穏やかかもしれない。でもその、表面の裏側には、どんなものが秘められているのだろう。
私はそれを、知りたいと思った。

美しくみえる、穏やかに見えるものの裏側にこそ、蠢く何かがあるのではないか。
私には、そう思えてならない。

2010年3月25日木曜日

木登り

昔、木登りが大好きだった。木と木が接して立っている時になど、木から木へ渡って歩いた。地べたに降りるのがもったいなくて、猿のように枝から枝を渡った。
木の上から見る光景は、地べたにいるときとは全く異なっていた。もし私があと十センチでも身長があったら。そうしたら見える世界もまた違って見えただろうにと、中学で身長が止まってしまった自分の身体を呪った。木登りはそんな自分のコンプレックスを、解消させてくれる術の一つだった。

或る時はおにぎりとお茶と本を持って木に登った。木の上で読書しながらお弁当、というわけだ。これがたまらなく気持ちいいのだ。そよ風が木々の間を渡り、葉が擦れる音がさざ波のように響き渡る。季節それぞれの匂いが風に乗って私の周りを回っていた。晴れ渡る空には真っ白な雲が浮かび、それは刻々と表情を変え。陽ざしの色も刻一刻と変化していった。そうして迎える夕焼けは、煌々と燃え、私の目を射るのだった。
或る時は泣きながら木に登った。何が悲しいとか、何が辛いとか、そんなものは地べたに置いて、ただ泣いた。泣けるだけ泣いた。そして、私はそれをごっくんと飲み込んだ。忘れてしまえ。こういうことがあったことだけ覚えていればいい、あとの感情は全部飲み込んで忘れてしまえ、と。そうやって、私はしんどいことをやり過ごした。
今この年になっても、もし身近にのぼれる木があれば、私は無意識のうちにのぼってしまうだろう。そのくらい、木登りが好きだった。

毎年春、娘や友人たちとピクニックに行く公園には、桜の樹がたくさん植わっている。去年その桜にも、老木だからということで綱が張られ、のぼることが禁止されるようになった。
これはその直前の一枚。
子供らが我先にと木に登り、心地いい場所によいしょと腰を下ろし、座った時の顔といったらなかった。得意げで気持ちよさそうで。

ふと思う。あと五年もした時に。私たちに、木登りできる木は残っているんだろうか。

2010年3月23日火曜日

大地

大地にいつでもこの両の足を踏ん張って、立っていたいと思っていた。いつの頃からか忘れたが、もう思春期の頃から、私にはそういう思いがあった。
自分の足を折ることで、誰かと一緒にいることを選んだ。独りに耐えられなかった。独りでいることがたまらなく好きでありながら、独りでいることに耐えられない、そんな時期があった。
自分で自分の足を折ったことで、誰かと一緒にいることは一時期できたけれども、それが過ぎて自分の足で歩きだそうとしたとき、歩けないことに気づいた。足は折れたままだった。
この足を、いったいどうやって元に戻したらいいんだろう。私は途方に暮れた。

折れた足を引きずり引きずり、それでも歩いた。履いていた靴などとうに擦り切れ、底も抜けて、役立たずになっていった。裸足の足にアスファルトは痛かった。それでも歩くしか術はなかった。
一度立ち止まったら、私はもう二度と歩くことができない、そんな強迫観念に私はとっつかまっていた。

もう無理だ、もう歩けない、私はもうここで終わりだ。そう思い、立ち止まり、崩れ落ち、大地にひれ伏したその時。
見えたものが在った。感じるものが在った。
大地のぬくみと、空の青さだ。

あぁそうか、終わりじゃぁないんだ、と知った。絶望の先に待っているのは、新しい希望の萌芽なのだ、と、その時知った。
大地が拒絶するのではない、私が大地を忘れていたのだ。大地に根を張ってこの足で生きていきたいと願いながら、大地がどれほどあたたかいものであったかをすっかり忘れ去っていた。空に両手を伸ばせば、空はただそこに在り、私を見つめていた。
あぁここからなんだな、と知った。またここから始まるのだ、と。

絶望の先にこそ真の希望がある。その言葉の意味を、私はようやく知った。

2010年3月21日日曜日

置き去りにされた椅子

奥多摩の、廃墟に向かったのはもういつだったろう。忘れてしまった。私たちはバスに乗り、湖に沿って走り、そこへ向かった。
自殺者が一体どのくらいいるのだろう。バスに乗りながら私たちは、何度も吐き気を覚えた。肩や首に圧し掛かる異常な重さを覚えた。それは目に見えるものではないから、果たしてその正体は分からないが。私たちは、早くここから離れたいと、何度も思った。

でも。
バスを降りて、その廃墟に近付くにつれ、私たちの肩はすっと軽くなっていった。何故だろう、私たちは顔を見合せながら不思議がった。でも。
その場所に着いて、私たちは納得した。空気が清涼なのだ。驚くほどに澄んでいる。静かに穏やかに、それは澄み渡っている。
置き去りにされ、時間の流れ方を忘れたかのように、その場所はそこに在り。佇んでいた。しんしんと。

駅に止まったまま、扉も開いたままのケーブルカー。反対のホームにケーブルカーはなく。代わりに、椅子が在った。
何処からこの椅子はやってきたのだろう。何処かの家庭にありそうな、さりげない椅子だった。シートが汚れていて、脚も錆びてはいるが、まだまだ使えそうな代物だった。一体何処からこの椅子はやってきたのだろう。

細い竹林の中、私たちは耳を澄ました。夏の始まりを風が日差しが私たちに告げていた。目を閉じて、じっとそこに佇んでみた。葉の擦れ合う音が何処までも深く、響いていた。
椅子はそうしている間もやはりそこに在り。もう誰も座ることのない椅子。それでもそれはそこに、在り。

2010年3月18日木曜日

地平線

以前からその場所には行ってみたかった。地平線が真っ直ぐに伸びる場所。日本にもそんな場所があるものなのかと、坂の多い入り組んだ地形の街に暮らしている私には不思議でならなかった。一種の憧れさえ抱いた。真っ直ぐな地平線、それが描くものはどんな風景なのだろう、と。

日帰りでも何とか行ける場所に、小さい規模ではあるが砂丘が在る。友人が教えてくれた。早速行こうと決めた。どうしようもなく私はその場所に焦がれた。

晴れ渡る空の下、目の前には真っ直ぐの水平線が広がっていた。そして左右を見渡せば。やはり真っ直ぐの地平線が、長く長く伸びているのだった。
友人を追い掛け、私はカメラを構えた。追いかけてはシャッターを切り、切ってはまた追いかけて。その繰り返しで、あっという間に日は暮れ始めた。

私たちは二人並んで波打ち際に立った。海の端っこに太陽が堕ちてゆくのを、ただ見つめた。目の奥がじんじんと痛みだすまで、私たちはただ、太陽を見つめていた。

今その場所は、ずいぶんと砂の浸食が進み、砂が流れださぬようにと柵がいたるところに立てられている。だから以前のような姿を見ることは、もう叶わない。
でも私の中に残るあの光景はありありと。今もありありと、鮮やかにここに在る。

2010年3月16日火曜日

ふたり---輪郭~樹映より07

やがて。
雨粒が、途切れた。
風はまだまだ荒れ狂っていたが、それでもずいぶん穏やかになった。
私たちは、そろそろ撮影が終わるということを、知った。

見上げた空にはまだ、雲が一面広がっていたけれども。
あの空の向こうには間違いなく、太陽が在ることを、私たちは知っていた。
雲が割れるのを、今か今かと待つ、太陽が在ることを。

あの日。
私たちは一瞬を共にした。
それぞれの立ち位置でもって、ファインダーのこちら側と向こう側とで対峙した。
もし今この瞬間、何も知らない人が私たちを見つけたなら。遭難者とでも思うのではなかろうかというほど、私たちはくたくたになって、どろどろになっていた。
でも。

清々しかった。
こんな雨雲も、風雨も、まるで木っ端微塵になってしまいそうなほど、清々しかった。

あれからどのくらい時間が経つだろう。
今ふたりはどうしているだろう。
私は知らない。でも。

あの瞬間の、私たちが、ここに、在る。

2010年3月14日日曜日

痕跡~樹映より06


一体どのくらい歩き続けたんだろう、私たちは。
台風はどのくらい、この町から離れていったろう。
分からない。私たちは誰もそのことを知らない。

もう森の中、何処をどう歩いたか分からない、というほど、私たちは歩き続けていた。雨に濡れ、冷え切った爪先は少し、痺れ始めてさえいた。

でも何だろう、濡れて泥だらけになればなるほど、彼女と彼の輝きは、増してゆくようで。
私は先導して歩きながら、何とも振り向いた。
荒れ狂うこの空の下、それはまるで、ひとつの灯りだった。

あの時、彼らの足は、もう痺れていたんだろうか。
傷だらけになっていやしなかったか。
何も云わず、ただ神経を撮影に集中させて、一心に自分に入り込んでいる彼と彼女に、私は余計な言葉は掛けなかった。
掛ける必要など、何処にもないように思えた。
そう、何処にも。

森を歩き続け、荒れ狂う自然の中歩き続けた足が、ここに、在る。

濡れた蔦葉に埋もれて~樹映より05

さらに歩いてゆくと、森の中、みっしりと葉の茂る場所を見つける。
その葉たちはぐっしょりと濡れていた。濡れて輝いていた。
どこにも陽ざしなどないというのに、それでも彼らは輝いていた。

ここに、横になれる?

彼女と彼は、うんともいいやとも何も云わず、黙ってその中に入っていった。

横たわる彼らは、葉よりもずっと、しんしんと、輝いて見えた。

雨はまだ荒れ狂いこちらを刺すように降り続けている。
私の前髪からは、雨粒が滴り落ちる。
でもファインダーの向こうは、そう、輝いて、いた。

暗室に籠り、このネガをプリントしていて、なおさらに思う。
まるで発光しているようだ、と。
ぬめぬめと照り輝く葉々は、まるで爬虫類か何かの身体のようで。
私はプリントしながら、一瞬身震いする。
それでも何だろう、蠢く気配の中に横たわる彼らは、決して冒すことができないほどに、しんとして、まっさらだった。

2010年3月11日木曜日

沈黙する森(2)(3)~樹映より03/04

私たちはさらに歩く。そして出会う。
森の中の丘、ぽっかりと、まるで森が口を開けたかのような空間。
土の上を這う草も途切れ途切れ、私たちは足を泥だらけにしながら、その中央へ歩いていった。
見上げれば、梢もぽっかりと口を開け。空は丸見えだった。

今にもこちらに堕ちてきそうなほど唸り狂う空が、そこには在った。
けれど森は。
沈黙していた。
ただ、沈黙していた。

私たちは、そんな、森の中に在った。

彼女と彼がもたれかかって座り合う、その場所から私は少しずつ離れていった。
一歩、また一歩。
そうして離れた場所から彼女と彼を見やると。

まるで、一枚の静物画のようで。
私は、シャッターを切った。

猛り狂う空と雲。弄りつけてくる雨粒。
にも関わらず、そこには静謐さが在った。
犯しがたい沈黙が在った。
私は正直、彼女と彼に、見惚れていた。

2010年3月9日火曜日

沈黙する森(1)~樹映より 02


ざわわ、ざわわ、ごう、ごごう。
風は音を立てて吹き荒れ、雨は横殴りに降っていた。
それでも私たちを止められるものは、何処にもなかった。
いまさら、ここまで来て、私たちはもう、止まることなどできなかった。

森の中へ歩き出す。
ごう、ごごうごごう。樹々はまるで嘲るように唸っていた。
ばしばしと、音を立てて雨粒は地面に突き刺さった。
三人とも、着ているものはまたたくまにずぶ濡れになっていった。
それでも、歩みを止めることはなかった。

頭上で雲はぐいぐいと流れ、その表情は一瞬として同じものはなく。
強まったり弱まったりしながら、雨粒は私たちの頬を叩いた。

と。
それまで右に左に揺れていた樹々が、その瞬間、ぴたりと止まった。
彼女と彼が、そこに立った瞬間だった。

森が沈黙している。
私にはそう感じられた。
彼女と彼とをまるで、出迎えるかのような沈黙。その沈黙は、じわじわと、辺りに広がっていった。

2010年3月7日日曜日

嵐の樹の下で~樹映より 01


それは台風がこの町にやってきた日だった。
その日、遠い西の町からやってきてくれた彼女が、彼と一緒にうちにやって来た。この日しか三人の時間が合わない。だから台風の中だというのに彼らはやって来た。
夜通し話をして過ごした。その間も、窓の外はびゅうびゅうと風が吹き、雨が激しく窓に叩きつけていた。
無事に撮影できるんだろうか。
いや、できるかできないかじゃなくて、撮影するんだよ。
そんなことを、私たちは言い合いながら、互いを励まし合った。

そしてまだ叩きつけるように降る雨の中、私たちは家を出た。一心にその場所へ向かった。夜明けの時刻だった。台風は直前にこの町を通り過ぎていった。その台風を追いかけるかのように、私たちはただ、森へ向かった。

真っ白な服を。私は彼女と彼にお願いした。森の中で彼女らを撮るのなら、真っ白な服だ、そう思ったからだ。
まだ雨は降っていた。風も強く樹々を嬲っていた。空は荒れ、大気はまるで怒っているかのようだった。

でも何だろう。そんな中で、彼女と彼は凛々しかった。輝いていた。
自然は怒りながら、それでも、彼女と彼を迎えていた。
私はただ、そんな彼らを、追いかけるだけだった。

2010年3月4日木曜日

焦がれたのは、ただ最後まで学校に残ることだった

私は小さい頃、ひどく体が弱かった。おなかが痛くなったり、熱を出したり、吐いて戻したり。そうして毎日のように保健室に通った。
だから保健室のベッドの上、寝転がりながら、保健室の天井の、穴の模様を数えて過ごした。うんうん痛みに唸りながら、模様の数を数え、少しでも早く教室に戻れるようにと祈った。小学校四年生頃まで、それは続いた。
教室で一日を終わりまで過ごすこと。その頃の私にとって、それが一番の、願い、だった。

私は何かと目立つ子供だった。顔つきがそもそもきつかったのもあるだろう。何かと目をつけられた。
また、私は朝礼で何かと名前を呼ばれる子供でもあった。絵のコンクールに参加したり何したりと結構していたため、そのたび名前が呼ばれるのだった。そのせいでも、何となく子供らの間から浮いて、遠巻きにされることがしばしばだった。

引越しや分校によって、小学校は三つ通った。でもその何処ででも、やはり、私は何となく浮いていた。いじめられることもしばしばだった。

すぐ具合が悪くなって保健室へ運ばれ、そして早退。私はそれが嫌で嫌でたまらなかった。何とか最後まで教室に残りたい、具合が悪くなってもだから、しばらく机に齧りついていた。でも絶えられなくなって、涙がぽろぽろこぼれ、結局先生に運ばれるのだった。

そうして早退して帰る学校は、いつもがらんとしていた。いや、学校の中には大勢の生徒が今、まさに勉強なり何なりをしている。そう、がらんとしていたのは、学校の外、だった。
朝礼台がいつでも、ぽつねんとそこに在った。私はその脇を通り抜け、校門を出て、ひとりとぼとぼ帰るのだった。

この写真は、娘の小学校を朝まだ誰もいない時間に写したものだが。
あの頃の私が見ていた小学校がここに在る。とぼとぼ一人で早退して帰る、その時見上げる学校。校庭。朝礼台。

焦がれ焦がれて、涙に濡れて見上げた小学校。
したかったのはただ、一日の最後まで、学校に残ること。
あの頃の私がまだ、ぽつり、校庭に居残っている。

2010年3月2日火曜日

足跡という軌跡

今住む部屋の、玄関を出ると、目の前に小学校がある。娘が通う小学校だ。一学年二クラスしかない、小さな小さな小学校。
小学校の校庭を眺めると、いつも思う。ひとつとして同じ景色はない、と。当たり前のことかもしれないが、そのことを強く思う。
八時十分。締まっていた校門が開き、子供らがわらわらと雪崩れ込む。五分後には閉められる校門。みんな勢い良く校舎に入ってゆく。
授業の様子もここから目を凝らせば見ることができる。窓際で手を上げる子、こっくりこっくり舟を漕いでいる子、みんなそれぞれだ。
休み時間になれば、遊具に群がる子、校庭を走り回る子、みんな思い思いに校庭を走り回っている。
そして午後三時を過ぎると、子供らはそれぞれちりぢりになり。学校はがらんどうになる。
毎日繰り返されるその光景。しかし、ひとつとして同じものは、ない。

娘を待っていた夕暮れ。ふと、校門がもう締められ、子供らのいなくなった校庭を眺める。あまりにもそれはがらんとしており、それはあまりにも寂しげで。
胸がきゅう、と鳴った。

そこには昼間子供らがつけた足跡がくっきりと残っており。それは幾重にも幾重にも重なり合って。砂の上、くっきりと残っており。
けれどもう誰も、いないのだ。そしてまた、この足跡などに目を留めるものも恐らく、誰も、いない。明日になればその足跡は、新しい足跡によって消されてしまう。

多分私が明日またこの同じ時刻、同じ角度でもってシャッターを切っても、同じ風景は残すことはできないだろう。あの日あの場所、あの瞬間。誰もいなくなった校庭に残された、幾つもの足跡。生きている、そのことの、軌跡。