2010年11月26日金曜日

立つ人

もうそろそろ、終わりにしようか。
そんな頃だったと思う。
彼女がすっと、波打ち際に立った。

少しずつ少しずつ荒れ始める海の様子。
その、波打ち際に立った彼女を、取り囲むように流れる波。
まるで波と一体と化すかのように、彼女はそこに立っていた。

ピントも何も確認する暇なく、私はシャッターを切った。
今この瞬間、が、欲しかった。
他のどの瞬間でもない、今この瞬間。
彼女と世界とが一体になった、その瞬間を。

その時、打ちつける波の音は消え、びゅうびゅう吹き荒ぶ風の音も私の耳から消え失せた。あるのはただ、彼女の立ち姿。
世界と一体と化した、彼女の立ち姿。

立っている人の姿を、これほど美しいと思ったことは多分これまでなかった。
かわいいとか、きれいとか、そんなんじゃない。ただ美しいのでもない。
凛と、美しい。
そう思った。

あんなふうに、いつも世界と一体になって歩いていけたら、どれほど素敵だろう。
いつも思う。
世界と溶け合いながら、かつ、その足で立つということを忘れずに歩いていけたら、どれほど素敵だろう。

世界がどうやっても、遠くて遠くて、かけ離れて、もう手の届かないところにしか存在しないという時期があった。世界と自分との緒は切れてしまったのだ、と、そう思った。でも。
世界はいつだって開けていて。私が手を伸ばしさえすれば、届くところに、在ったのだ。そのことを、ずいぶん時間を経て、知った。

私は確かにこの、砂粒ひとつにも満たない存在かもしれない。これっぽっちの存在かもしれない。でも、それでも、この世界を構成している分子の一つ、細胞の一つであるということ。私がいなかったら、世界もまた違っているということ。
それだけ私もまた、確かな存在なのだということを。

気づくまでに時間がかかった。

気づいて、そうして日々を営むようになって、世界はがらりと変わった。モノクロだった世界が色を取り戻し始め。音を取り戻し始め。感触を取り戻し始めた。
今私は、色の溢れる世界の中に住む住人の一人ありつつ、あのモノクロの世界をはっきりとありありと今も覚えている。
それでいいと思っている。その両方を、私は失いたくない。