2010年11月1日月曜日

視線=私線

彼女の何処に惹かれるって、それは彼女の目だ。
真っ直ぐにこちらを捉えて離さない、そういう目をしている。
決してねじれもよじれもしない。真っ直ぐに向かってくるその目、視線。
私はいつも、それにやられてしまう。

最近、目を合わせて話をする人が、昔より随分少なくなったように思う。宙を漂う目、そっぽを向いたままの目、俯いて決してこちらと合わせようとしない目。
目が大好きな私としては、そのたび寂しくなる。心の中ひっそりと、寂しくなる。そしてつい、言いたくなってしまう。ねぇ、こっち見て、と。心の中で。

射るような目にも、損なところがあって。うちのお嬢は、その真っ直ぐな目ゆえ、しょっちゅう電車で絡まれる。「おまえ何こっち見てんだよ」「睨んでんじゃねぇよ」と、中学生くらいの子たちから、絡まれる。私がそばにいるときなら構わないのだが、一人のとき、彼女はどうするのかと尋ねてみると、それでも絶対目を逸らさない、と言う。いやいや、そういうときはさりげなく目を逸らさないと、怖いことになるかもしれないから、と言う私を抑えこみ、「だってこっちは何も悪くないのに。なんで向こうの言う通りにしなくちゃいけないの。私の目はこの目なんだよ。とりかえようがないんだよ」と、言った。そこには少し、怒りも含まれているような、そんな勢いだった。

本当は。本当は、それでいいと母は思っているんだよ。多少の小競り合いが起きようと、それはそれで、やってみればいいと、母は思っていたりするんだよ。なんだか無責任だけれども。
目がどれほどに物を言う代物かを、自分で覚えて感じていかなければ、目と付き合っていくこともできないだろうと思うから。

そして何よりこの母は、その真っ直ぐな君の目が大好きだから。Mちゃんの目しかり、お嬢の目しかり、こちらが隠していることまでも暴いてしまいそうなほど鋭い真っ直ぐな目は、もうそれだけで脅威ではあるけれども、でもそれは、素晴らしい宝物だと私は思うから。

あの時、Mちゃんの真っ直ぐな目と対峙しながら、私は、余計な心の垢がざぁっと取れていくのを感じていた。
言い訳も何も通用しない、でもそれが心地よい、そういう場所で、彼女の目に見守られながら写真を撮ってゆく。そこにもう、嘘など入る余地は無く。

目と目の合わさるところに、そう、できるなら、嘘など在って欲しくない。せめてそこくらいには、露な心があってほしい。