2010年10月21日木曜日

彼女の手

しばらくの間、私の家に身を寄せていた子がいた。もう数年前のことになる。死ぬことしか考えられなくなった彼女は、うちに来てからも、しばらく途方に暮れた顔をしていた。それでも娘と私と彼女と三人でご飯を囲めば、ひとりで食べるよりずっと楽しい。痩せ細っていた彼女の頬は、少しずつ少しずつ、膨らみを取り戻していった。

彼女はもともと写真撮りだった。何処へ行くにもカメラを持って、写真を撮っていた。彼女の撮る写真は、私には憧れだった。何がどう、というわけではない、でも、暗い画面から立ち上る目には見えない煙のようなものがあって、私はその得体の知れないものに惹かれていた。もともと彼女とは、そういう縁で知り合ったようなものだった。

あちこちを彷徨い歩いて、あちこちに縋りついてはみたけれど、どれも駄目だった。彼女を支えるには力足りなくて、離れていった。そうしているうちに、彼女は迷子になった。自分の足で立てなくなるほど弱り、そうしてうちに来た。

私が死んだら私のカメラ、貰ってね。彼女は酒を呑むとよくそう私に言った。恐らく誰にでもそう言っていたのだろうと思う。そのたび私は断った。あなたのカメラはあなたのものであって、私のものじゃない。あなたが使うべきもので、私が使うべきものじゃない。断る、と。
それでも彼女は絡んで、貰ってよねぇ、と言いながら、酒をかっくらうのだった。

そんな彼女と、一度だけ、撮影に行った。
早朝の土の上を、私たちは裸足で走った。追いかけ、追いかけられ、そうやって写真を撮った。これはその時の、彼女の、手、だ。
痩せ細った痕跡が、細い皺となって、彼女の手に残っていた。心が疲れ果てていることが、手にまでありありと現れていた。それでも。

あの撮影の最中。彼女は生きていた。生き生きと、それは生き生きと、生きていたんだ。