2010年10月5日火曜日

石段

まだ娘が幼かった頃、この石段を、彼女は這い這いで、器用に上り下りした。開けっぱなしの口からは涎が垂れて、でもそんなのにも構わず彼女は、ただ、上り下りすることに、夢中になっていたものだった。
上って、にかり。下って、にかり。私に向日葵のような笑顔を向けながら、繰り返し繰り返し、飽きずに為していた。

少し大きくなって、もう自分の足で頼りなくも歩けるようになった彼女は、この階段でよく転んだ。段差はとても小さいものなのだけれども、足を下ろすタイミングがうまくつかめないようで、そのたび、大きな頭からころりん、と、転ぶのだった。あまりに転びすぎて、彼女は突如、泣き始める。うっわーんと声を上げて泣き始める。でも、階段から離れようとしない。結局、彼女が飽きるまで、階段で過ごした。

小学校に上がって。もう彼女は、こんな小さな階段など、屁でもないといったふうに飛んで歩く。昔のことなどこれっぽっちも覚えていないのだろう。ここで笑ったこと、ここで泣いたこと、それらは彼女の記憶の奥深くに、眠っているに違いない。

そんなふうに、記憶の奥深く、畳み込まれている記憶が、人には一体どのくらいあるんだろう。
悲しい記憶ばかりが残っているようにみえて、でも、それらを全部吐き出してゆくと、最後の最後に、素敵な思い出がしまいこまれていた、ということが、多々ある。

久しぶりにひとりこの石段に立ち、私は、娘の成長を思い出している。まさにこの階段のように、一歩、また一歩、進んでは転び、転んではまた這い上がって、ここまでやってきた。いや、それはこれからも続く。生きている限り。

いつか彼女がその手に赤子を抱くような年頃になったら、教えてやろう。ここでおまえは何度も遊んだんだよ。這い這いしたり、たどたどしい足で歩いては転んだり。そうやって、オトナになっていったんだよ、と。

いつか。きっと。