2010年5月27日木曜日

立ち入ること、立ち入らないこと

誰にでも、多分、他人に立ち入って欲しくない領域というのがあって。それは、どうしようもなくあって。でもそれは、とても大切なものなんだと、思う。
それは子供であっても大人であっても同じだ。

誰かの心をノックして、入ってもいいかと尋ね、お邪魔する。その折にも、ここは土足で上がっていい場所なのか、それとも靴を脱いで上がるべき場所なのか、いつもアンテナを張っていたい。そう思う。

でも、何だろう、その、立ち入って欲しくないという標を示すにも、鉄柵より、せめてこんな木の柵であってほしいと思う。
立入禁止、と立て札を立てるより、ここから先はちょっと遠慮してね、と、指し示すほうが、いい。

それにしたって。
立入禁止の場所の、何と多いことか。人の心だけでなく現実の世界でも。
昔は、たとえば港湾地帯といったら、もう入りたい放題の場所だった。まるで迷路のようなその場所を、私はよく、練り歩いた。男には秘密基地が必要なのだと小説の中で書いていた作家がいたが、それは男だけじゃない、女にだって必要なものだと思う。
でも、それはどんどん矯正され。再開発という名でどんどん姿を変えてゆき。今では、迷路なんて何処にもない、ただの平たい、そして、鉄柵で囲まれた場所に変わってしまった。
こんな山の中でさえ、立入禁止の立て看板が、ごまんと並んでいる。
不自由になったな、と思う。

だからこそせめて、心の柵は、鉄柵じゃなく、木の柵でいたい。あとはあなたの気持ちにお任せしますよ、という余白を残した、木の柵でありたい。