2010年4月25日日曜日

余白の樹の下で

本来写真で、白く飛ぶところなど、在り得ない。世界はあらゆるモノで埋まっているから、余白など、何処にも存在しない。どんなに空間の在る場所でカメラを構えたとしても、それはグレートーンとなって、印画紙の上、炙り出される。

その頃、私は、画の中に余白を作ることがとてつもなく大切なものに思えた。見る人が、その余白を想像で埋めてゆく、そういう隙間が欲しかった。
この画も、そういう写真の一枚だ。

もともとは、美しい緑色の芝で一面覆われた丘だ。そこで白い服を着た友人に動いてもらい、撮った。本来なら、樹やその友人を画の真ん中に持ってきて撮るのかもしれない、が、私には、できなかった。

私は写真を操るが、その写真の、饒舌さに、時折息苦しさを感じる。饒舌すぎて、耳を塞ぎたくなる。
だから、こうした余白が欲しくなる。

余白。
今あなたに、あなたの中に、余白はありますか。
誰かが声を上げたとき、その声に傾けられるだけの余白が、ありますか。
風の音や波の音、光の音に、傾けられるだけの余白、ありますか。